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 マクドナルドの店員は、ドリンクを注文された時ストローに直に触れない。紙の袋を二割ほど残したまま残り八割を破り取り、袋に入った部分を摘んだままカップに差すのだ。最後に袋を取り、ストローには指紋一つない状態で客に出す。佐久早はファーストフード店によく行く方ではないが、かつてドリンクを頼んだ時の華麗な手さばきは目に焼き付いている。この世の人間がみんな、マクドナルドの店員だったらいいのに。合同合宿中に何故そんなことを考えているかというと、ペナルティで炎天下を走らされ、暑さで頭がやられているからである。顔を上げない佐久早にマネージャーの誰かがドリンクを差し入れしてもおかしくない。マネージャーというのはマクドナルドの店員とは違うようで、直接口をつける部分によく手を触れるのである。佐久早の目の前にも、小さな影が忍び寄る。ああ、来てしまった。佐久早は諦めた気持ちで顔を上げると、自分のドリンクの蓋が開かれるさまを目を見開いて見ていた。

 口をつける部分に、指が触れていないのである。それどころか、マネージャーがしたのは蓋を緩めるのみで、残りは佐久早に委ねられている。ここまで気遣いができるマネージャーは、そういない。目の前で笑う彼女に何か繋がりを残さなくてはと思い詰めて、咄嗟に出てきたのがこの言葉だった。

「マクドナルドでバイトしてましたか」
「してないけど、何で?」
「……いえ」

 小さく礼を言ってボトルを受け取る。冷たいドリンクを飲みながら、何て馬鹿なことを聞いてしまったのだろうかと思った。井闥山とグループ合宿をするような強豪のマネージャーが、アルバイトなどできるはずもない。佐久早が何か撤回する前に彼女は立ち去ってしまって、不完全燃焼の感情だけが残った。

 元々他校のメンバーに積極的に絡みに行く方ではない。彼女とは何の縁もないまま、淡々と日々が過ぎた。初対面で衛生面から親しくなったと言えば飯綱さんだが、飯綱さんはたまたま同じチームでプレーする部員だっただけだ。何の共通点もないとこうも疎遠なものかと、佐久早は遠目で彼女を見た。合宿もそろそろ終わりだ。今夜の居残り練習に、彼女はいるだろうか。

 予想はしていたが、佐久早の練習する体育館に彼女は来なかった。普段の練習ならともかく、居残り練習にマネージャーがつきっきりになることは少ない。佐久早の腹の虫が鳴った時、ちょうどマネージャー数人が顔を出した。

「おにぎりの差し入れです!」

 勿論、おにぎりとは手で握るものである。佐久早はもう上がる風を装って、校舎へ歩いた。一階の食堂を通りかかると、彼女が何かの片付けをしていた。

「……いた」

 佐久早の声に、彼女は驚いたようだった。佐久早を見上げる視線には、畏怖すら含まれる。全国優勝校のエースということが、彼女を遠ざけてしまっているのだろうか。

「この間はドリンク、ありがとうございました」

 佐久早が言うと、彼女は忘れていたかのように話し始める。

「ああ、ううん……別に。ていうか佐久早君が私に話しかけてくれるって、意外」
「え?」
「この間のあれ、マネージャー向いてないからやめてアルバイトでもしてろって意味だと思ってた」

 佐久早は呆れた声で否定した。紛らわしい言葉であったことは否めないが、別に嫌味を言ったわけではない。むしろ彼女に感心しているのだ。

「衛生面に疎い人が多すぎなんですよ。その中であなたは輝いて見えました」
「あはは、ありがとう。お礼におにぎりでも作ろうか」
「お願いします」

 彼女は余っていた米を集め、ラップに載せる。そしてラップの上から握った。直接米に手は触れない。好きだと思った。

「そういえば佐久早君、私のこと先輩だと思ってるでしょ」

 唐突に言われた言葉に顔を上げると、悪戯に笑った彼女の顔が見える。

「実は私も二年だから、佐久早君とは同い年なんだよね」
「……そういうことは先に言え」

 佐久早はからかわれた気分で息を吐く。初めて見つけた、彼女との共通点。心が躍るのは、もっと彼女と近付きたいと思っているからだろう。