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「いい加減やめたらどうですか」

 そう言うと、彼女は悪戯な顔をして振り返った。

「あ、初めて普通の話してくれた」

 その表情に反省の色はない。今までの仕事が徒労に感じ、私はため息をつきたくなった。

 初めて彼女と出会ったのは数年前のことだ。これから訴えられようとしている人とは思えないほどの傲岸さで、彼女は私に弁護を依頼した。内容は、既婚者との不倫だった。依頼人の人間関係をあれこれ探る気はない。私ができる限りの手を尽くすと、彼女は一言「ありがと」と言って私の事務所を去った。私が尽力して減額した慰謝料の準備をしながら。

 何故あの時の彼女に焦りの色がなかったのか。それは、常習だからだと理解した。何度も何度も、彼女は同じ名目で訴えられる。既婚者との不倫。それほど頭が悪いわけではないだろうに、必ず証拠をつかまれている。

「慰謝料だって馬鹿にならない。到底貴女の歳では稼げない額を請求されているはずだ」

 本来、人を正すのは私の仕事ではない。しかしこうして毎度のように依頼を持ち込まれると、私の方も責任を感じてしまうのだった。彼女を監督していなければいけないような、何かが。

「援交とかはしてないですよ?」

 そんなことは聞いていない、と言うのを我慢して冷静な声色を出した。

「貴女が誰と行為をするかは、私に関係ない」

 そうだ。何を当たり前のことを言っているのだ。彼女の私生活すべてを縛り付けたいと思っているのではない。

「ただ、既婚者とするのは法に触れる」

 だからもうやめてくれと、縋るような言葉を飲み込んで彼女を見た。彼女は長いまつ毛を震わせて、二、三度瞬きをした。それから、恍惚とした笑みで言った。

「そうしたら日車さんが弁護してくれるじゃないですか」

 私が呆気にとられたのは、その悪びれなさにではない。彼女の目的が、不倫ではないどこかにあるような――限りなく私に近い何かを見ているような、気がしたからだ。だが、私と彼女はあくまで依頼人と弁護人の関係だ。すぐに思い直し、一つ咳払いをする。次やったらもう弁護はしない、とでも言う方が彼女にとってはいいのだろうが、私はあくまでも公平でいたかった。

「私は依頼に応えるだけです」

 彼女の満足したような笑いが、私の目に焼き付く。