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「お前俺が好きなんだろ。俺もだ」

 昔、そう言った高杉君を拒否したことがある。私は名門・講武館に特待生として入学を許可された農民で、決して武家の出ではないからだ。いくら高杉君がよかろうと、私や周りの人達は良い顔をしないだろう。とにかく、高杉君と私は釣り合わない。

「身分が違うから、かァ……」

 私が精一杯の勇気で告げた言葉を、目の前の男――二十七歳になった高杉晋助は、からかうように告げた。吉田松陽が連行され、松下村塾の男達は攘夷戦争へ行ったきり帰ってこなかった。きっと死んだ者もいるのだろう。高杉君もそうなのかもしれないと時折胸を痛めたが、やがてニュースでその名を聞くようになった。高杉君が過激派テロリストでも好きだと言えるほど初恋を引きずっているわけでもないが、高杉君に連れ去られたこの状況に何も思わなくもない。高杉君は相変わらず怖いものなど何もなさそうな表情をしていた。

「俺ァ士籍を捨てたぜ。どうだい、今なら釣り合うんじゃねェのか」

 何から突っ込んでいいのかわからなくて私は口を噤む。あの頃は武士と農民の身分の違いだったが、今や犯罪者と一般市民だ。どちらかと言えば下にいるのは高杉君の方なのに、相変わらず高杉君には手が届かないと思わされる。高杉君もまた私を本気で慕い続けているのではなく、昔馴染みに会った興で私を口説いているのだと見て取れた。

「釣り合ったところで、自分のものにする気もないくせに」

 高杉君は口元で笑って煙を吐いた。高杉君は昔からそうだ。好きとは言ったが、付き合って欲しいとは言わなかった。そういう年頃ではなかったからかもしれないが、高杉君が松下村塾に行った後だって、私は高杉君と恋仲になることはなかった。ただお互いに好いていることを薄らと知っていただけだ。今も、私を自分の女にしようという気はないのだろう。過激活動をしていて女など邪魔なだけだ。高杉君が誰かのものになっているところも想像できない。

「思い出に傷をつけてでも俺に抱かれるか、思い出のまま何事もなくこの船を降りるか……どっちがいい」

 どちらもいいと思ったし、どちらも嫌だと思った。あの頃の思い出はとっておきたいのに、大人として再会した高杉君と何もしないのは気落ちしてしまう。私は畳に足を擦ると、高杉君の隣にぴたりと密着して頭をもたれた。

「これくらいで、十分です」
「……そうかい」

 高杉君は何も言わずに煙管を吸っている。多分、私達は次の発着地までこのままだ。そしてこの船を降りたら、私達が出会うことは二度とないだろう。それでもいい。初恋に終止符を打てるなら、なんて贅沢なことだろうと思った。