「ごめん、退いてもらってもいいかな?」
不意に聞こえた声に、自販機の前で長い間何を買おうか迷っていた私は振り返った。すみません、と続くはずの言葉はそこにいた意外な人物によって遮られ、思わずあっ、と声を漏らした。
「栄口くん、」
「あ、俺の名前知ってるんだ」
「うん、試合見に行ったから」
「へえ、そうなんだ」
いや、名前を知っている本当の理由は彼の事が好きであるからでして…。そう言い出せない私をよそに、彼は自販機に小銭を入れてボタンを押した。ガコン。出てきたのはパックジュースのバナナ・オレ。あ、おいしいよね、それ。
「もしかして野球好きだったりする?」
「あ、うん」
そう答えると、彼は顎に手を当て少し俯いてうーん、と悩み始めた。どうしたんだろうと不思議そうに見ていると、彼は何か思い付いたように顔を上げる。そして私の方を向いて、にっこりと笑った。
「今、野球部のマネジ、一人だけですごく大変そうなんだけどね」
「うん、」
「もし良かったら、マネジやらない?」
「へ…?」
俺、副キャプテンだし、監督やキャプテンには俺から言っとくよ。そう言って、彼は私の手を引いて歩き始めた。どこへ行くのか聞くと、キャプテンがいる七組に行くらしい。
「あの…!」
「あ、もしかして嫌だった…?」
「いや、そうじゃなくて。…私なんかで良いの?」
「もちろん!野球部の皆も喜ぶだろうし、俺も大歓迎だよ」
なかなか嬉しい事を言ってくれるではないか。私はそんな彼に、宜しくお願いします…と小さく呟いた。それは彼の耳にも聞こえたみたいで、こちらこそ宜しく、と、とびっきりの笑顔で返してくれた。彼に一歩、近づいたかも。
ロマンス
090608