部屋の隅にあるラケットバッグが肩身狭そうに置いてある。『天才』の欠片は薄れていた。
家主、財前光は手元にある真新しいベースの弦を鳴らした。天才という過去の異名を持つ彼はテニスをやめたわけではなかった。しかし、誘われたり身体を動かしたり時々くる『テニスをしたい』という衝動が来た時だけだった。サークルにでも入ってゆるくテニスをすればいいんじゃないかと友人に言われ、テニスサークルの前をさりげなく通ったが、明らかに自分と違う派手な人種が多く、眉間の皺を増やしてその場から去ったのはまだ記憶に新しい。
「ここはADAD繰り返して・・・Cm・・・Eか?」
財前光の熱意は音楽に移っていた。大学生になり時間とお金の余裕ができ、今まで趣味程度にしていた音楽を本格的に行うため、軽音楽サークルの方に入り、バンドを組んでいた。今まで思うようにできなかったベースと作曲が思っていた以上にできるようになり、彼が音楽にのめり込むのに時間はかからなかった。
「んー・・・あかん、ぜんっぜん思いつかへん」
隣にあるスタンドに愛用のカーマイン色のベースを置き、立ち上がった。冷えた水でも飲んで頭を冷やしたいところだったが冷蔵庫開いても見当たらない飲み物。財前はチッと舌打ちをして床に投げてあったジャケットを着て家を出た
近所のコンビニまで歩いて数分。日はとうに傾いてしまっていた。まだ肌寒い夜に財前は背中を丸め、街灯の光るコンクリートの上を歩いて行った
「お、財前!ええところに!今お前ん家に行こう思っててん!」
「・・・」
「おいコラ無視すな!」
「・・・金髪ヤンキーの知り合いなんて身に覚えないっすわ」
「お前の大先輩、忍足謙也やっちゅー話や!」
「あーはいはい、俺ん家まで何の用っすか」
日が傾いていても日中以上の明るさを放つコンビニエンスストアはもう財前光の視界内に入っているのにこの中高時代の先輩に足止めをくらってしまった。イライラして顔を上げると先輩は人の良さそうな笑顔をこちらに向けていた。違う大学に進んだというのに、この元相方とのエンカウント率が下がることはなかった。
「俺がサポートで入ってるバンドが今度ライブに出る予定やねん、財前来ーへん?」
「嫌です」
「なんでや!」
「何で謙也さん見らなあかんのですか」
「まぁまぁ財前が好きそうなバンドもありそうやし、どうせ暇やろ」
そう言って謙也は財前のポケットにチケットをねじ込み、ほな、と軽く手を上げその場を去っていった。
あの人の慌ただしさと勢いはまるで変わってない。財前は再度ため息をつきながらポケットに入れられたチケットを取り出した。
「(このライブハウスうちの大学の近くやん)」
音楽に熱が傾いたのは金髪先輩も同様であった。昔からドラムをしていたこともあり、大学の軽音楽サークルに入っているらしい。この共通点が今でもエンカウント率が高い理由な一つであった。
来週やし、覚えとったら行けばいいか。財前はそう呟き、もう一度そのチケットを元の場所にしまいこんで、背中を丸めてコンビニへの道を急いだ。
160304
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