死にたがりの本懐

彼女は犯した罪条について理解していた。創り出せばどうなるか、どんなことが起こるか。そんな事は創り出す前から彼女は意味を、理屈を、最悪を理解していた。それでも創り出したのは、指示でも、脅しに屈した訳でもない。そんなものはきっときっかけに過ぎなかったのだろう。そう、彼らが彼女の世界の一部を壊したから、だから彼女は、創ったのだ。
結末から書きだした物語を―――。


極めて冷静に、沈着に、彼女は何も感じていない表情をして首筋に刀の刃先をあてていた。
そんな姿を騒然として騒ぎ出す彼らの顔、仕草、思慮を眺めながらただ目的のために彼女は自らを突き動かす。

「彼我の境様の憑代に何をする!」
「いいからあの化物の暴挙を止めなさい!」
「彼我の境様。どうかあの化物を斬り捨ててください。いつものように」

刀身は鈍く光る、少しでも力を加えれば薄皮を裂き。血が筋に沿って流れ落ちていく。
彼我の境様、と呼ばれる白いカミサマは茫然と立ち尽くしたまま驚愕した顔をしていた。

「………ろっ」

その様子さえも想定通りだと彼女は、更に刃先を食い込ませた。
血飛沫が飛ぶ。飛んでは障子に、畳に、溶け込み広がっていく様に視線を落としながらその太刀を血潮で染め上げた。

「人間のような鎮静を求めるか。無駄なことよ!」
「あんたみたいな化物は一生その業を背負って生きていくのよ」
「お前如きが人のように死ねると思うなよ!!」

死ぬことは生きる事より簡単な選択だ。頑丈な橋と古びた橋のどちらを渡るかというくらい簡単な事だ。だが、簡単だからこそ死への恐怖は決意を脅かす。けれど彼女にはそんなものは存在しない。だから平然と何も感じずに己の首を斬ろうと進ませているのだ。命のカウントダウンは残り僅か。彼女は直向きに、零へと直進する。
肉に吸い込まれていく冷たい鉄が、首筋を伝って流れ衣服を椿のように染めていく。表情ひとつ変わることもなくそのまま骨まで刺しこんでいくさまを周囲は轟く。だが、彼女にはそんな雑踏は耳にさえ届いてはいない。解放へと手を伸ばしかけた時、彼女の虚ろには走馬灯が流れ始めた。まるで壊れたフィルム劇場のようだ。チカチカと場面が代わる代わる映りだしては、彼女をまるで思いとどまらせようと働きかけているかのようだ。
ふと、彼女の睫毛が揺れた。彼女のガラス珠に映ったのはなんだったのか、震える唇で微かな声量でこう呼んだ。

「おにいちゃん」

それは、もうたったひとりになってしまった最後の家族の名前だった。幽かに呟いた懺悔をまるで届いたかのように爆発音と共に室内に飛び込んできたのも、残酷なまでにその人物だった。眩しすぎる光は虚ろには痛くて、とうに棄ててしまったモノが響鳴する。

「才ッ!」
「お、にぃちゃ……」
「今助けてやるから!兄ちゃんはもう二度とお前の手を放したりしないから!!」

傷を負いながらも兄のその姿を見たとき、彼女の頬に涙がこぼれる。何も感じない、痛覚も味覚さえも全てを捨てなければここへ辿り着くことは出来なかったことだろう。彼女の母は言った。最期の言葉もこれで完遂する。彼女にとってこの結末はハッピーエンドなのだろう。誰がなんと言おうとも。

―――お兄ちゃんありがとう。愛してくれて

彼女の最期の言葉は恐らく兄にも届いただろう。畳の上に転がる首。血潮が噴水のように周囲に雨を降らせる。それはどんな色をしていたのだろう。悲鳴、嗚咽、畏怖……様々な感情の嵐が溢れて飛び出す中、彼女の兄は冷たくなっていく身体の傍へ歩み、その血を浴びる。冷たくなっていく身体を抱きしめ、いま、なにを感じて、なにを思っていたのだろうか……置いていく人はそんなものは考えない。

「……置いて、いかないでくれ」







何もない場所だ。何もかもない。だだっ広い白と黒の空間。でも自分は色を持つ。肌の色、髪の色、爪の色……色彩は偏っているようだ。あてどもなく歩いていると膝を抱えて何かを待っている少女を見つける。私とは似ても似つかない程美しい容姿をした少女だ。まるでとある天下五剣を連想させる。

『ねえ、これでよかったの?』

名前も知らない筈なのに、私はこの少女の事をよく知っていた。とてもよく、知っていた。
少女はこちらも見ずに身体を前後に揺らしながら、足の指を引っ張っていた。

「いいの。あの最期を迎えるために今まで生きて来たから」
『そう……。後悔してないならいいんだ』
「大人はみんな命を粗末にするなというのに、あなた変な人ね」
『命を粗末にしたから説教らしいこと言えないんだよ』
「お姉さんは戦場で死んだんでしょ?名誉ある戦死なら美談だと思うよ」
『あらあら難しい言葉を知っているのね。でも死は死だ。私は死ぬために赴いた。それは美談ではない。自己中というんだよ。誰かのための死じゃない。私の為の死だった』
「じゃあ一緒だね」

少女は歪な顔をして笑っていた。まるで笑えていないその表情を見ながら私は少女の隣に座ると彼女を抱きしめた。よく頑張ったね。偉いよ。凄いよ。

『もう泣いていいよ』

堰を切ったように少女は私の服を握りしめながら泣き声を上げた。初めて泣くみたいに苦しそうにもがき乍ら、服が染みをつくりそれは全身に浸透していきそうだった。
本当はお母さんにこう言って欲しかったんだよね。
生きていれば幸せになれると共用してくるけれど、生きることが苦しくてどうしようもない人だっているんだ。少しでも長く生きて欲しいと願うのだろうけど、でも。そんな言葉を欲しいときだってあるんだ。それだけで心がほんの少し軽くなるから。軽くなったらそしたら次はちゃんと生きるために頑張れるから。

「でもね、一つだけ違うの。お姉さんとわたしは一緒だけど一致していない。だってお姉さんは最期のその瞬間まで“人間性を捨てなかった”だから……お姉さんは、」

真っ暗な空間が、真っ白な床が反転する。眩しい程の白が色彩を狂わせ目を瞑ってしまう。腕の中にいた温もりが緩やかに流れ込んでくる気がして、胸を抑えた。呼吸が止まりそうな程の圧迫に、口から泡を吐いて沈んでいき。私は目を醒ました。この長い長い夢から―――

『すごくなんかないよ……棄てらんなかっただけ』

視界に映る天上を眺めながら呼吸器を取り外して、上体を起こした。時空を飛んだ時の酔いに似ている眩暈だ。目頭を抑えて深く息を吐くと近くの椅子に座っていた男が椅子を倒して立ち上がっていた。そちらへ視線を送るまでもなくその人物を私は知っている。

『久しぶり鶴丸』
「こいつは驚いた……まさか。本当に成功するとはな……きみ、なんだよな」

鶴丸の方を向いて、ニヤっと笑って見せると鶴丸は肩の力を抜いた。

『飲み物取ってくれる?』
「ああ」

ペットボトルの水をサイドテーブルから取りキャップを外してくれる。ストロー挿してから手渡される。両手で受け取り水を半分くらい飲んでから口をストローから離し。また『鶴丸』と呼んだ。手を招いて近づいて貰ってから、右手を掲げて思い切り頬を引っぱたいた。
乾いた音が響き渡るが、私の右手首からも変な骨の音がした。折れてないよね、と揺らしながら確認したが折れていないようだ。良かったと胸を撫でおろしてからペットボトルに残っている水を頭からぶっかけた。呆然と鶴丸は水も滴るいい男状態である。男前度が上がる紅葉付きだ。感謝して欲しい。満面な笑みを浮かべて鶴丸の出方を待っていた。

「……これはきみを手に掛けた制裁か?」
『違う。これはこの子を何度も殺したお前に対する罰だ。全然足りないが筋力があまりないから今後の為にとっておくね』
「それは鍛えてから殴るということか」
『理解が早くて助かるよ、さっすが私の鶴丸』
「そこで言われても嬉しくないな」
『あのね。私は鶴丸に対して全く微塵も怒ってはいない。だけどこの子は違う。理由なき殺意程胸糞悪いものはないんだよ。わかるでしょ?』
「……すまない」
『うん。それから?』
「え、あ、んっとだな……あの娘に対して、俺は何とも思っていない。ただすまなかったとしか浮かばない」
『後悔した後は反省する。そしたらその次は前に進むしかないでしょ。立ち止まる事だけはすんな、以上!』

鶴丸の両頬を掴み、額をくっつける。

『まったくもう。折角神様の端くれだったのにそんなに神気を穢しちゃって……見る影もないじゃん。ばかだな、もう……ばかだよ、つるまるぅ』

目尻に溜まる涙は決壊寸前で、でもそれはこぼれ落ちることはなく。唇を噛んで耐える頬に鶴丸は困った顔をして親指で撫でた。

「後悔はしていないさ。例えこの身が怨霊と化そうともきみが生きて居てくれるなら何度でもこの身を捧げよう。刀の本懐とはそういうものだ、残念だったな」

悪戯が成功したときのような笑顔を覗かせた鶴丸の表情に、つられて私も笑った。
黒い髪、黒い衣、そして血のように紅い眸をした鶴丸国永の姿は、もうかつての神気を纏っていた神様ではなく。人を呪い、過去を呪い、己自身を呪った過呪怨霊となっていた。

「安心してくれ。いつでも白い鶴さんにもなれるぞ」
『それ早く言えよ』


じゅじゅの世界にどっぷり漬かっています。寝る間も惜しんで執筆しているのは久しぶり過ぎて筆が酷い。甘ったるい感じは短編に載せるのでここでは只管己の性癖を全部ぶち込んだ。愛され主人公逆ハー展開で突っ走ります。ということで開幕宣言。

×