花降らし

手足は動くようになったが、左眼だけは視力がまだ戻らない。そしてどうやら思考を読み取るものだけ視えなくなってしまった。惜しいものを手放してしまったな。
筋トレとかしているとベッドに押し込められ、暫くの間は安静にしていろと夜蛾先生に言われたが、大人しくしている訳もなく。ダンベル片手に蝶の式を飛ばして情報を収集し、その結果をまとめたノートを見ていた。これと言って手がかりが少ない。巧妙に隠れている事だけがわかる。やはり、手強いか。鶴丸には彊界家へ行ってもらっている。私の工房に残された記録などを持ち帰って来てほしいと頼んだ。ページを捲り悩まし気な声をあげていると、扉がノックされる。どうぞ、と答えると開く扉の先には夏油さんがいた。

「やっぱり身体動かしてたね」
『おかえりなさい』
「ただいま。少し外に出ない?」

夏油さんは時間があると必ず訪れてくれる。今日も季節の花を手に花瓶に活けながら、普段とは違う台詞に驚くけど、快く了承した。
寝巻から着替えて扉の外で待っている夏油さんに声をかけると、腕を差し出される。夏油さんの顔と腕を交互に見ながらどうしようかと考えていると、手を取られ腕に添えさせられる。有無も言わせずに「行こうか」と足先が動くから、つられて私も歩き出すしかない。夏油さんってこういう所があるから、何か油断が出来なくてつい身構えてしまう。そして戸惑っていると不意をつかれる。なんという常套手段。さすがです、夏油さん。いつもこんな風に女の人を虜にしているんですか、乙女ゲームかよ。やりたいわ。

「……私が優しくする相手は決めているつもりだけど」
『乙女ゲームかよ』

夏油さんは笑うが、何処か覇気がない横顔を眺めながら、前を向き直した。
歩幅を合わせてゆっくりと進む、日差しが差し込み瞼を閉じてから瞼を持ち上げると視界には薄桃色のハートの欠片が一面を覆っていた。

「桜の木がここだけしかなくて、今が見頃だから。花は好きかな」
『……もう、春なんですね』
「そうだよ。季節が巡ったね」

一本の桜の木に多くの花が所狭しと咲き乱れる。ひらひらと目の前を舞うその欠片に手を伸ばすけどかわされてしまう。地面には舞い散った花びらが絨毯の様に敷かれていた。でもそれを踏むのは忍びないので避けながらベンチに到着し、ふたりで腰かけた。
見上げると木々の隙間から桜を透かして、太陽が見える。綺麗な光景に思わず顔がほころぶ。

「よかった。ここへ連れて来たかいがあるよ」
『桜は好きです。だってあの子達の花だから。儚いけれど美しく、最期の瞬間まで自分らしくあれと、そんな毅然とした雰囲気があるから、私もそうありたいと思います』
「桜を見てそんな表現をする子は初めてだな。私は散り際もこんな風に美しいなんてあまり、好きじゃないけど。人間は藻掻く生きものだから、こんな殊勝なのは違う」

薄桃の花弁が舞う中、見上げた夏油さんの横顔は燻らせている感情を押し付けようとしている。理性と本能が衝突しているのだろう。それでも夏油さんはどちらかというと理性の誓約が硬い人だから、まるで溺れているようだ。理想と現実の狭間で泡沫を浮かべているのかな。なんて、不器用な人だろうか……まるで昔の自分を見ているようだ。そうか、そういえば彼もまだ高校生だっけ。足をぷらつかせながら、桜へと視線を戻す。

「才ちゃんは何故あの時殺せたんだい?君を責める奴らの無責任の言葉に怒りを覚えたから?」
『怒りは浮かばなかったですね。いつだって人間は自分が可愛いですから。あの言葉たちも私に向けて当然だと思います。でも殺したのは、私を恨むと利用されるから。あの場で彼らを見逃してもきっと彼らは裏切る。そうしたら彼らの身体は利用価値があるから、敵に内臓から全てを活用されるために殺されます。あの人たちは利用されて本望とか思うかもしれないけど、これ以上戦いたくないので昔の仲間と。だから大層な理由はないです。ただの私のエゴです』

風が吹くと地面に積もった桜も舞い上がり頭上から花弁の雨が降り注ぐ。花びらが頬をかすめ服に彩をみせていく。暖かな春の陽気に身体を左右に軽く揺らした。

「……自分勝手だね」
『幻滅しましたか?』
「いや、君らしくて否定できない。それに嫌いにもなれない。どうしてかな。君の言葉は清々しいよ。悩んでいる方が馬鹿らしく思える」

上を向いて夏油さんが苦笑する。笑うことはいいことだけど、その顔はやめてほしいかな。また泡沫が浮かぶ。大きな泡沫が上空へと上がる度に、彼の身体が深海へ堕ちていくのを揺蕩うように眺めていた。

『夏油さんならどうしますか?』
「ん?私なら……殺さない。彼らは非呪術師だったからね。殺したとしても意味がない。敵に回ったら殺すけど、それでも殺す時は今じゃない」
『じゃあそれが自分以外に向けられたものなら?』
「ああ、それはね――殺すかな」

降り注ぐ花弁が横風に攫われる。肌を撫でる冷たい風にまだ冬が残っているようだ。刺すような空気の中、夏油さんは笑ったままだ。その仮面って接着剤でもつけてあるの?ねえ。
ベンチから降りて数歩歩きその場でスカートを翻すように一回転した。共に舞い散る桜と共に踊っているみたいだ。

『夏油さん。後悔を重ねてます?だったら私に対する後悔は棄てていいですよ』
「え?」
『助けられなかった。あの時殺せなかった。怒りをぶつけられなかった。言い返せなかった。言えなかった……後悔はいいことでもあります。でもきみの後悔は重いね。まるで碇みたい。そんな所に船を停留させてどうするの?一緒に溺れる?』

目が合う。色さえ映していないその眸がやがて桜の花弁を模写していく。夏油さんの目の前まで行くと両頬に手を添えて向き合う眸。

『息を忘れたらダメですよ』
「……」
『溺死しちゃうよ?だからちゃんと息継ぎしてください』
「……ねえ、名前で呼んでくれない?」

両頬に添えた手に手が重なり、身を引こうとしたら腰に腕を回され強く押し出されると前へとつんのめる。夏油さんの顔が胸部にあたるから慌てふためく私を他所に抱きしめられる。

「名前で呼んでくれたら放すよ」
『げ、げとうさんっ!胸に顔埋めないでください!幼女趣味っていいますよ!』
「うん。名前で呼んで」

めげないなこの人。恥ずかしくて真っ赤になる顔のまま諦めて、喉をつっかえながら唇を動かした。

『す、ぐるさん』
「うん。ありがとう」

その時の声は僅かに震えている気がして、まるで泣いているみたいだった。桜の花びらが舞い散る下で、私達は暫くの間この態勢のまま春風に吹かれていた。


夏油さんのターン回でした。夏油さんは最初掴みどころのない人だなと思っていたのですが、中の人声優を聴き一気に不器用な人だな、と気づかされ、私の中で夏油さんは五条さんと比べたら親身になってくれる位置づけとしていらっしゃりました。でも彼もまたやっぱり冷たい感じではあるんですよ。そういう細かな部分を動作などで表現してみたのですが、気づかれた方がいらっしゃったら御の字ですね。でも夏油さんが主人公に対する気持ちは皆さんの好きなように取っていただいて大丈夫です。

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