夜半の月かな

あの年はとても暑かった。異常気象、温暖化の進行もあったが人々の心も殺伐としていた。駆り立てられるように皆、出払った。太陽の爛々とする姿を見上げながら、私もまたアスファルトを踏んだ。コンビニで買ったソーダ味は二人で分けて食べると何となく美味しくて、また食べたいね。と言ったら「そうだね」と返してくれた。氷菓の水っぽさを今となってみれば兆候だったのかもしれない。
海に行きたいな、と口に出来なかった。だけど代わりに夏祭りに行きたいと言った。
私の上げた声に驚きながらも彼は答えた「いいよ」って。あの約束は今もまだ有効なのだろうか?期限はあっただろうか?

『ねえ、傑さん。私まだ、おかえりって言ってないよ』

太刀を奮いつんざく悲鳴を背後に鞘に納めた。山奥の村に住み着いた土地神は、その悪習と共に滅びを迎える。散々腹にため込んだ人間の腐臭を吐き出しながら、陽が昇る。
人々が称賛の声を上げる中、私は空を見上げた。明けの明星が霞む空に浮かんでいる。息を吐き出しながら、薄桃色の花弁が視界の端に映り、私は瞼を閉じた。

「主」

風に攫われる白い衣に口元を寛げた。

『帰ろうか』

背筋を伸ばして、私は鶴丸のエスコートに手を添えて颯爽と山を下った。呼んでおいた車に乗り込み、高専への帰路についた。







「此度の土地神祓徐ご苦労さまでございました。神子殿」
「やはり神同士、相性が良いのかもしれませんな」
『神同士の争い事に人間が首を突っ込むことはあまりお勧めしませんから。それで、此度で討伐数は上限に達したと思いますが』
「そうですね。神子殿は一級呪術師として申し分ないようです」
「手続きは既に済んでおります」
「お受け取りください」

札で張り巡らされた部屋に毎回通されることは別に構わない。証明書が机の上なのも、壁越しから声が聞こえるのも、本当に構わない。それだけ彼らにとって私が恐ろしい存在であると同時に崇めなければならない存在であることがわかるから。
だが、敬語で下出に出てくるその言動が異常だ。気味が悪いにも程がある。
いつものように上から目線で踏ん反り返っていなよ、人間様よ。証明書を手にし確認してから、ポケットにしまうと頃合いを見計らったように、皺のよった頬が動いた。

「神子殿よ。そなたの許嫁は息災か?」
『近頃はすれ違いが多いですが、お強い方ですからお元気だと思われます』
「その様子だとあまり上手くいっているようにもみえませんな。やはり五条では役不足ではないだろうか」
『どうでしょうか?私如きが人間様の婿を娶ることが些か傲慢に思えますが』
「いやいや。強欲はあの男の方だ。神子殿を独占するあまりか蔑ろにするなど言語道断」
「神子殿はそのような無粋な者と結納を交わす覚悟がおありですかな」
『……考えてはおりますが、今すぐ出せる解答ではございませんね。私も彼もまだ若いですから。そこまで急ぐようなものでもないものと思われます。それとも私をお疑いでしょうか?裏切るなどと。それは些か心外ですね』

その言葉を口にした途端、ざわつき、焦り始める元老たち。自分たちのいいように操りたいけど機嫌を損なう訳にもいかない。自分たちの何が失言だったかわかりもしないで、とってつけたような謝罪が降ってくる。ああ、疲れたな。早く帰ってお風呂入りたい。泥とか洗い流したいのに。臭うかな、ああ、臭うかも。女の子なのに。

「神子殿は彊界家を復興させ、更には最先端の呪術師育成にも力を尽くしていると噂はかねがね聞き及んでおります。是非とも今度お話をお聞かせ願いませんでしょうか」
『それは大変恐縮なお申し出でございます。私で宜しければ』

社交辞令の乱舞に流石の私も頬が痙攣してきた。しかも帰り際に声をかけられて誰だよ。と思いながら半ば強引に何かを持たされた。何か薄い板みたいな。厚紙かな。でもアルバムみたいな感じ。中身を見ることも惜しんで私は退席した。
ああ、いつもあそこは疲れる。政府の質問攻めと一緒だよ。あれ。根掘り葉掘り値踏みみたいに、でもマシなのは突かれないところかな。揚げ足取りじゃないのは救い。
背伸びをして扉から出てくると鶴丸が藤棚の下にいた。暇そうにしてる。後ろから忍び足で近寄り、脅かそうと背中に飛びつく前にくるりと振り返り前から両腕を広げて抱きしめられた。

「そらぁ。俺を驚かせようとはな」
『ちぇ』
「さあ帰ろう。退屈で死にそうだ。ああ、そうだ。風呂を共にしようか」
『そんな驚きはいらん』
「連れないな。じゃあこのまま抱えて行こうか」
『え?ちょっ、つるまるっ!?』

ひょいっと軽々私を俵担ぎして、駆け出した。いや、ちょっと待てや!主なのになんで雑な俵担ぎ!っという抗議は風圧によってかき消された。







「おかえり」
『ただいま、硝子さん』

高専につくまでずっと俵担ぎで、呪霊だけど鶴丸は非術師にも見える存在だからずっと公衆の面前で公開処刑を味わいながら、到着したので羞恥心から死んでいた。
しかも鶴丸は着いた途端「疲れたから霊体化するわ」と言って私を降ろしたあと勝手に消えた。自由だなあいつ。と思いながら大爆笑する硝子さんを横目に、心の回復を図った。一頻り笑い終えた硝子さんは何事もなかったように、私に声をかけた。この人がなんで五条さんの同級生やって来れたのか理解できる。と再認識。

「疲れ切ってんね」
『ええ、まあ。色々とあって、もう色々とありすぎて、もう、何があったのか若干忘れているんですけど、総合的には疲れました』
「なんか記憶が軽く吹っ飛んでる気がするけどおつかれさま。ああ、そう言えば荷物届いてたよ。あんた宛に」
『ええ?誰だろう?ア〇ゾンかな?』
「段ボール3箱くらい」
『ああ、じゃあ違うな。私、一つしか頼んでないし』
「何頼んだの」
『事務所通してください』

煙草を吸いながら硝子さんはまた笑っていた。あの頃は見上げていた彼女の横顔を今では並ぶほどの身長差となっている。背が伸びるの早いな。でも発育は悪いんだよね。何だろう成長期に費やしているのか、もしや。硝子さんの胸部を見た後、自分の方をみると足先が見えた。はははは……この世界でも私の胸部は成長速度トロいのかよ。と近くの壁に八つ当たりした。

「あんま壊すなよ」
『あまりなら大丈夫ですね』
「壊していいとは言ってないけどな」

パラっとコンクリートの欠片が拳に乗るのでふぅっと吹いて証拠隠滅させると、硝子さんは煙を吐き出し、私が脇に挟んでいる厚紙を指した。

「それなに?さっきから気にはなってるんだけど」
『ああ、多分。お見合い写真だと思います。まだ中身見てないんですけどイケメンだったらいいなって期待を胸に秘めてたりします』
「期待してんの」
『写真集みたいなものですよ』
「ああ、そういうね。じゃあ荷物ないかも」
『ん?』
「さっき言ったこと取り消すわ。あんたに届いた荷物はもうない」

部屋に到着し、硝子さんが扉を開閉する。一体どういう意味だろう、と尋ねる前に室内で繰り広げられている場面に絶句した。夜蛾先生に締め技を仕掛けられている五条さんがいた。
扉を閉めて硝子さんの後を追いかけるために、彼らの前を素通りする。

「何か飲む?」
『じゃあ紅茶を』
「あいよ」
「あれ?視えてないのかな」
「悟。話はまだ終わっていない」

軽い断末魔が聞こえるけど、多分、恐らく、限りなく、五条さんが100%悪いからその制裁だろうという結論に至っているので、気にせずマグカップを渡され、飲んでいた。

「才宛に届いた荷物を勝手に燃やすな!」
「あれはゴミだよ。ゴミ」
「それを判断するのは本人だろうが」

筋骨隆々な体格の夜蛾先生から繰り出される締め技を受けながらも平気で話せている時点で、それは締め技ではないのでは?でも軽く降参しているか。タップしてるし。

『なにやったか大体わかりましたけど、私に届いた荷物って消し炭だったんですね』
「うん。今そうなった」
『あ、いまだったんだ』
「それよか見せてよ。中身」
『ああ、それもそうですね。イケメンだといいですね』
「あんたは顔が良いのが好きだね」
『観賞用なら見目がいいのがいいです』
「正論だな」

カップを置いて膝の上に置いていた見合い写真を取り出し、開こうとしたら制裁が終わったのか、五条さんが目の前までやってきて写真の中身を見る前に取り上げられた。
何か言う前に五条さんが爽やかな笑顔で跡形もなく消し去った。うわぁ〜呪術って奥が深いな。と思いながらちょっと残念に思った。中身見たかったな。

「才。おかえり」
『ただいまです。五条さん』

互いに笑みを貼り付けたまま交わす挨拶だが、既にゴングは鳴り響いていた気がした。

「何言われた、あの爺共に」
『将来の方向性について』

美味い事言ったな。とカップに手を伸ばし紅茶を一口含む。だが、目の前の人から滲み出る殺気に隣にいた硝子さんは既に撤退していた。夜蛾先生は呼び出されて退席しているけど。つまり室内には私と五条さんだけか。こいつは滅入ったな。紅茶が入っているカップが目の前で割れる。中身は全て飲み干したからないけど、欠片は膝の上や、床に音を立てて落ちる。椅子から立ち上がりスカートの上に落ちた欠片を払うと、一歩前に詰め、私の背後にある机の上に手をついて、追い込まれた。
顔を上げると五条さんのサングラスの奥から伝わる冷ややかな眼差しに、息をひとつ吐いた。

「まさかまだ僕との婚約を破棄したいとか思ってるわけ?」
『思ってるわけですね』

断言した私の言い方が癪に障ったのか、鼻先が触れ合うほど近づかれる。だけど私も同じだからお相子だろ。

『今日から一級呪術師になりました。彊界家も復興し、軌道に乗っています』
「だから?僕からの援助もなしに生きていけるようになった、だから?もう用済みってこと?はあ?ふざけてんのかよ。そういう問題じゃねえだろ」
『そういう問題です。私の地位は少しずつ安定しています。だからもう付き合わなくていいですよ。窮屈でしたよね?ガキを相手にするのは。兄との約束もこれにて完済です。お疲れ様でした。今まで通り好きにしてくださって大丈夫ですよ。元々私は誰かの自由を奪ってまで生きていきたい訳じゃないので』

五条さんを避けて扉へと向かうと「待てよ」と腕を掴まれそうになったが、鶴丸が間に現れその手を弾いた。呪力ではなく敢えて神気を含ませたから五条さんに触れられたのだろう。
五条さんが舌打ちをすると鶴丸が、鼻で笑い私の背中を押した。扉まで到達し、手を置いてから振り返り言葉をつづけた。

『五条さんが聴く耳を持たないことは知っていますから、特級になったら破棄して貰いますよ』

鶴丸は喉を震わせながら、五条さんを見ていたが、私がこの場から立ち去ると同時に鶴丸もまた姿を隠した。

「ああ、クソ……あいつ祓ってしまおうかな」
「呪霊相手に嫉妬か?成長したな五条」
「硝子。どっか行ったんじゃなかったの」
「いや、夫婦喧嘩は犬も食わんから避難しただけ」
「あっそ……てか、嫉妬なんてするわけ無いでしょ。この僕が」
「(いや、しとるがな)」







「才手紙が届いたぞ」

夜蛾先生自ら届けに来たその手紙を受け取ったのは、五条さんが留守のときだった。

「任務の要請があったから後で部屋に来てくれ」
『わかりました』

手紙の差出人を確認したが書いていなかった。郵便の消印もない。これよく通ったな監査。
でも呪力が込められている訳じゃないから、私の所にやってきたこともまた事実。透かしてみたけど中身は紙っぽいのが入っているだけのようだ。
ペーパーナイフで封を切り、中身を取り出すと一枚の写真だった。
裏面に中学校の名前が記載されていた。県立と書かれている。写真を表に返すとそこには首から上は写されず、女子の制服を着用した人間が、左手首がない状態で写真に納まっていた。思わず眉を顰めると、後ろから鶴丸が覗いてくる。写真を見るなり鶴丸は退屈を消し飛ばす程の愉しさを見出したのかクツクツと笑っていた。

「こいつは面白い展開になってきたもんだな主」
『不謹慎だよ鶴丸』
「おっと、こいつは失礼。だが主。想い人からの招待状だ。浮かれるってものだろ」
『はあ……浮かれるもんか。寧ろ最悪でしょ。劣勢だよまったく』

深い息を吐き出しながら写真を引き出しにしまい、鍵をかけてから部屋を出た。ひとまずは任務とやらを聴いてから考えることにしよう。私の勘が正しければ恐らく直結している。
扉をノックし、中へ入ると珍しい人物がいた。驚きながらも懐かしさに声をかけようとも思ったが咳ばらいをした夜蛾先生に意識が戻され、隣に並んだ。

「揃ったな。今回は長期任務をお前たちふたりに言い渡す。とある中学から依頼が来た。その中学で多発している問題を解決するために尽力を尽くしてほしい」
「その問題とは?」
「窓からの情報だけでは何が原因なのか調べがつかないため、潜入して探ってほしい」
「なるほど。生徒と教師という組み合わせなら納得です」
『場所はどこですか?』
「埼玉だ」
「潜入となるとひと月は掛かりますか」
「早くて一週間という見積ではある」
「それは少々厄介ですね。一週間程度で済みますか?本当に」
「だから早くて一週間、と言ったろ」
「はあ……わかりました」
「ある程度の情報だけを記載した資料を配る。目を通しておくように。決行はひと月後だ」

夜蛾先生が去ると私は声をかける。

『一緒に任務をするなんて初めてだね』
「初めてというより、私は組みたくありませんでした。自分より年下の子に面倒を見てもらうなんて御免被ります」
『復帰してから暫くぶりなんだから仕方ないよ。階級だってそう。それに私が推薦できるし、いいこと尽くめだよ』
「前向きですね。いやに」
『前向きになるしかない時もあるよ』
「そうですか。なるべく早く片付くように最善を尽くしましょう才」
『よろしくね、ナナちゃん』

握手を交わすけど、ナナちゃんは少しだけ嫌そうな顔をして。

「その呼び方辞めませんか?」
『友達は親しみを込めて呼ばないと』
「……はあ」

ナナちゃんが溜息をつき、私はその懐かしい姿に笑った。ここにもう一人いれば完璧なのに欠けた何かを探すこともせずに、私達は埋めることもせず、ただ淡々と次の場面へと出かけるんだ。もうあの頃の桜は散ってしまったのだから……


躍動の舞台が幕を開ける――――


弐部始動しました〜〜〜。もう頭が痛くなるほどめっちゃ設定モリモリ。あっちで戦闘・策略。こっちで恋愛とかして、もう大変な弐部にしました。首閉まってて……助けて欲しい。弐部の五条さんは最低なので気をつけてくださいね。最低じゃない五条さんは多分このサイトにはいないかもしれない。あれ?壱部は岩塩を互いに投げ合う関係でしたが、弐部ではカカオ87%くらいにはなるといいですね(他人事)まあ、その……楽しんで頂ければ感無量です。ほんとうに。私だけが楽しいだけの連載で本当に申し訳ございません!!

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