春雷来たれ

「ねえ、蜘蛛がどうやって獲物を捕らえると思う?」

7尺4分半の刀を磨きながら駒鳥が鳴く声に、耳を傾けながら口元を少し釣り上げた。その顔を横目に、弾む声で窓辺に寄りかかり下を見下ろす。色とりどりの花が咲き乱れるように連なっている中、たった一人だけ弾く雨すら気にせず駆け抜けていく姿を目視する。
その姿に駒鳥は再び唄いはじめた。

「美しい蝶を絡めとるの。自身の手掛けた作品の上で。美しいものは美しいものの手の中で永遠の美を飾るのよ」
「とっても素敵な作品になるね」

窓に浮かべる結露に指を這わせながら、その跡は霞め消えた。









その日は曇り空だった。今にも泣きだしそうな空は校門を出た途端、人々の目を隠すように傘を差させた。これ幸いなのか、それともこれも陰謀なのか。シトシトと降る雨の中、水分を吸い込んだセーラー服を揺らしながら、屋根の上を次から次へと飛んでいた。時々、雨を弾いて空気が鋭利な刃物となって襲い掛かってくるのを躱しながら、霧雨の中を駆け抜ける。
耳元のインカム越しから鶴丸のノイズが入った。

「 こっちは仕留めたぜ 」
『ご苦労さま。あとは』
「 すぐ戻る 」

一方的に通信がきれてしまう。ここ最近急激に狙われるようになってから鶴丸が過敏になっている気がする。前世でもここまで反応したことないのに、ここでの環境が彼を変えたのかも。考え方も行動も。まあこんなに長い間近くで過ごしたことはないから知らないだけかもしれない。
屋根から跳躍した途端に、遠距離から放たれた水に含んだ酸を半回転し避ける。屋根へと飛び移ろうと思ったが、これだと飛距離が足りない。落下していき道路に降り立つことに決め、地面に着地する手前で月詠が僅かな呪力を着地地点から感知した。その違和感に気が付いた時には既に遅かった。

「闇より出でて闇より黒くその穢れを禊ぎ祓え」

何処からか帳を演唱する声が届く。確認しようと思ったが着地した途端、帳が張られてしまったためそれは不可能となる。恐らく私が射程内に入った時からこの術式は完成されていたと考えるのが妥当かな。月詠が呪力を感知したとしてもこれではどのみち同じ結果がでていただろう。悪天候による視界の悪さ、連日からくる呪霊からの襲撃で判断を鈍らされた。低級ばかりの単調な攻撃だったから油断したのもあり、敵の無駄のない誘導に面食らう。

『してやられた』

小学校の通学路なのか、帰宅する少年少女が私の視界を横ぎる。非術師からは視認されないし、中にも入れないようなら、これは私だけを閉じ込めるような仕様ってことかな。やっぱり。冷静に分析しながら周囲を見渡していると、子供の声が聞こえた。妙に落ち着いているような声が聞こえた。

「ねえ、アンタ。この事態を何か知っているなら説明して欲しいんですけど」

視界をやや下へ向けると黒いランドセルを背負った、傘も持っていない男の子がふてぶてしい様子で私の傍にいた。あれ?気配しなかったな。忍び寄った様子もないのに、何でこんなに近づかれるまで気がつかなかったのかな。月詠がゆらりと揺らめく。少年の背後から影が視える。深紫が静かに漂う、そんな色彩を月詠は捉えた。今すぐ顔を出す、という訳もなさそう。様子を伺っているのかな。となると、この少年はどっちだろう?微笑みを浮かべて少年の背丈に合わせて腰をかがませた。

『こんばんは。きみの名前を聴かせてもらってもいいかな?』
「……伏黒恵」
『そんなあっさり教えられると逆に困る。いや、聞いておいて何なんだけど。気をつけて。私が悪い人だったら今頃その名前だけできみのこと呑み込んじゃうから』
「アンタからはそんなモノ感じないから教えただけですよ」

大きな黒い眸が真っすぐに射抜くから、茶化すことも出来ず表情が緩んでしまう。

『そっか。信用してもらえるのは嬉しいね。期待に応えられるように頑張るよ。私は、彊界才。呼ぶときは下の名前でね。苗字は好きじゃないんだ』

首を縦に振る恵くんは指して教えてくれた。通学路を使用して帰路についていたら帳を見つけ、入るまではしないでも知り合いに連絡を取ろうとしたら、背中を誰かに押されて帳の中へ入ってしまったと。

『恵くんは呪術師を目指しているの?』
「まあ。成り行きで。才さんは呪術師ですよね?」
『そうだよ。婚約破棄するために特級目指して奮闘中なんだ』
「複雑、ですね。いまは何級ですか?」
『一級だよ』
「報われるといいですね」
『ありがとう』
「実は帳の中に入る前から俺に呪術とか色々と教えてくれる人と通話が繋がったままなんですけど、コレとも知り合いだったりします?」
『知らないかな』

画面を見せられ表示された名前を見た瞬間、息を吸うように嘘を吐いた。ああ、少女漫画風に言えば「これも運命なのだよ」かな。全然嬉しくないけど。しかも少女漫画的な展開で言えば偶然が重なり合えば必然となり、結ばれる運命とか法螺吹き始めるんでしょ。解ってるよ。でも私は解りたくないかな。乙女ゲー主人公あるまじき行為をしてでも私はその運命を打ち破りたい所存です。てか乙女ゲーじゃねえし。

「なんか替われって言われるんですけど」

恵くんからスマホを受け取り仕方なく耳に当てた。

「 やっほ〜才。君の声が聞こえたから恵に替わって貰ったんだ。今任務中じゃないの?なんで恵と一緒にいるの?てか帳の中にいるってそれって捕まったの?てか七海は?今回は七海との合同潜入なんでしょ?中学校に潜入ってまでは聴きだしたけど、まさか埼玉だったなんてね。偶然だね。僕もいまから向かうところだったんだ。勿論、恵に会いにだけど。いやぁー偶然ってすごいよね。で、あの呪霊野郎は?これだけ喋っても邪魔が入らないってことは傍にいないんだ。あ、いまお土産買って新幹線に乗ったから1時間くらいで着くかな。実は僕も任務帰りでさ。ああ、そっちの場所はある程度特定出来てるし言わなくてもわかるよ。だからいい子で待っててね。僕の愛しい婚約者さま 」
『人違いです』

何か言っているけど聞こえないフリして、強制終了を押して返した。笑みを浮かべると恵くんは口を閉ざし何も聴かずにスマホをしまってくれた。とっても空気が読める子でお姉さんは大変救われる思いです。替わりに私のスマホが今度は通知を知らせてくるがガン無視決め込んだ。

ここへ来るつもりかどうやって?まさか。またGPSを仕込まれたのか?いやあれは切ったはず……取り敢えずスマホの電源切っておこう。電源を切り、ポケットにしまうと左手薬指が当たる。

あ………コレか。外せない呪いが掛かってるだけだと思ったけど、もしかして別の仕掛けも施されているんじゃないだろうな。あの人段々ストーカーみたいだな。会いに来るってそういう物理的な意味だったのか?なんか、私が知っている類の行動じゃない気がする。重たい溜息を吐き出すと恵くんが同情の眼差しでこちらを見ていた。小学生に気を遣わせてしまっている。

『さっきの通話相手から教わってるの?』
「いけ好かないけど」
『恵くんとはいいお友達になれそう』
「才さんはあいつにどんな恨みがあるんですか?まさか婚約の相手とか」

名探偵かな。と貼り付けた笑顔が取れずにいたら、都合よく相手が動き出したので話を逸らすことに成功した。いや、私は別に弾む会話をしに来た訳じゃない。世の為、お金の為、しいては婚約破棄という立派な目標の為に、身を粉にして働くためにここにいるのだ。

『恵くん。絶対に私より前に出ないでね。なるはやで片付けるから。この場から早く離れないと来ちゃうからさ。約束だよ?』

手を合わせ掌から柄が飛び出す。それを握り一気に引き抜けば太刀が姿を現し、構える。鬱憤を晴らすためになんて不純な動機だけど、祓うための理由なんてくだらないもので結構。私を嵌めるための罠だろうとも、この局面を真っ向勝負で迎え撃たなければならない。選択肢など用意されていないのだから。十中八九敵の手中。乗ってやろうじゃないか。

『憂さ晴らしにはちょうどいい』

闇がより濃くふき溢れる丸い球体から、汚染された泥と共に何かが這い出て来た。人の手に似ているけど上半身が浮き彫りになると、それは前世ではよく相対した相手に似ていた。
甲冑といい、籠手や装飾品、姿や形に至る細部までそれは時間遡行軍と瓜二つだった。でもこれで納得がいく。なるほど、今回の依頼は確かに私向けだったようだ。
規模が大きいのは些か気になるが、一先ずは目の前の危機を片付けるか。









曲がり角の死角、物陰から様子を伺う美しい男の隣で帳を張った女は額から大粒の汗を流していた。

「試作段階だけど姿形は良さそうだね。でも耐久性はないかも。少量の呪力量では仕方ないかな」
「それはこちらの力不足だと言いたいのかしら」
「そんな事はないよ。ただの人間じゃここまでが限界かなという話」
「……しかし。一体何者なの。歳の変わらない女の子としか思えないけど。少々お転婆が過ぎるけれどね」
「ん?君にはそう見えるのかい?刀を片手で振り回し、殲滅する姿を見ても、まだそんなことを?」
「先生から話を伺っているので、特殊という前置が付くだけで変わりはないわ」
「なるほどね。ひとつだけ忠告するけど、情は割かないほうがいいよ。君とは違うからね」

微笑みさえまるで絵画のような男の表情に、女は身震いをさせた。

「もう少し観戦してから戻ろうか」


恵くんの小学生姿にかわいいが止まらない。私ではあります。口調を悩んだ結果、敬語かな。大人びた子だし。この連載を始める前から恵くんの登場は弐部からと決めていました。小学生の恵くんがかわいい。ランドセルがかわいい。何をやってもかわいい。絡ませたい、という欲求を満たすために登場させたといっても過言ではありません。でもちゃんと物語として成立させるつもりです。少しずつ弐部を公開していきたいと思います。新たなる敵は刀剣男士なのはバラしても差し支えないのでバラします。

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