マリンシーグラス

恵くん宅に到着すると出迎えたくれたのは、恵くんより一つ年上の津美紀ちゃん。挨拶をするなり手を引かれてお風呂場へ案内された。何とも人を疑わない子だな、とファスナーを降ろしていると恵くんが扉越しから服とかバスタオルとか持ってきてくれたので『一緒に入る?』と尋ねたら投げつけられた。薬研に「揶揄うなよ」とおちょくられたが、これまた前世の名残りで軽口をたたいてしまった。

他人の家でお風呂を借りるとか、初めてすぎてよくわからない感覚だな。浴槽に足を抱えて漬かりながら瞼を閉じた。天上から粒が降り注ぎ、水面に波紋する。耳に届くのは室内を子供の足音が通る音と楽しそうな声に、口角を上げて笑みを浮かべた。うん、いいな。こういうの。凄く、いいな……。

お風呂から上がり、大人物の下着が用意されていた。下はまあ、どうにか、紐だったし。出来たけど上はな……胸の発育がないからな……まあキャミ着ればいいか。いや、ほんとっ胸の成長は止まって背丈は伸びるの何でだろう。そこそこには育って欲しいんだよ。別に多くは望んでないんだよ。そこそこだよ。そこそこ。パーカーワンピースに袖を通し、タオルを首にかけて脱衣所から出ると薬研が壁に寄りかかっていた。
津美紀ちゃんは薬研の事がみえない。ということは津美紀ちゃんは非術師ということになる。気をつかってこんなところに居るなんて、薬研は薬研のままなんだね。私の薬研じゃないけど。

「飯の用意をしていたから食ってけよ」
『ありがとう。薬研は入らないの?』
「俺が居ると恵が気になるだろ」

薬研の手を掴み引きながら、扉を開けた。後ろで抗議の声が聞こえるけど、聞こえないフリをして囁いた。

『いくよ、薬研』

食卓の上に三人分のご飯が用意されていた。着替えを済ませた恵くんは既に座っていて、津美紀ちゃんは私を見るなり近寄る。

「服は大丈夫ですか?」
『うん。ありがとう貸してくれて』
「いいえ。こちらこそ恵を家まで送り届けて貰いましたので。あ、良ければご飯食べて行ってください」
『じゃあお言葉に甘えて頂こうかな。お腹空いてて』
「どうぞ」

座布団の上に座ると津美紀ちゃんは恵くんの隣に座る。私の隣に薬研が腰かけると恵くんは驚いた顔をして薬研を見ていた。薬研は居心地悪そうに、胡坐をかいて顔を背けるがこの場から出て行こうとはしなかった。私は手を合わせて『いただきます』と口にした。

『ん〜美味しい!津美紀ちゃんは料理上手なんだね』
「お口に合ってよかったです」
『謙遜しなくていいよ。私は家事出来ないから全然』
「そんな風に見えませんけど」
『そうだな…お湯なら沸かせられるかな』
「家電以下じゃないですか、ソレ」
「恵もお湯しか沸かせないでしょ」
『恵くんはこれからだよ。料理出来ると好きな子が振り向くよ。胃袋から掌握すれば逃げられないから』
「じゃあ胃袋掴まれたんですか?アイツに」
『それはない。食べた事ないし、食べたとしても攻略させる気もないよ』
「アイツって?」
「才さん、婚約者いるから」
「そうなの?!どんな人なんですか?」
『クズかな』

薬研が隣で噴き出していた。恵くんは「ああ」と納得している様子で、津美紀ちゃんだけは困惑した顔をしながら戸惑っていた。

「でも、いい所があったから婚約をしたんじゃ……」
『ああ、いい所あったかも』
「どんなところですか?」
『権力者なところ』
「……お金は大事ですね」
『そうだね』

益々困惑している津美紀ちゃんの反応に思わず笑ってしまった。純粋な子だな。かわいいな。と思ってつい。まあ、多分年頃だったらこんな反応するかも。枯れてしまった幼心を見ているみたいで穏やかな気持ちになる。私もこういう時があったんだろうな。全然思い出せないけど。

『津美紀ちゃんは大切な人の傍にいられるといいね』
「えっ……はい。そうですね」
『ということで、ごちそうさま』

食器を重ねて立ち上がり流し台へ置いた。水を出しながら言葉のスットクのなさに若干落ち込む。あれじゃ笑えないよね。ただの可哀想な子にしか見えないよね。あそこは笑って流すところなんだけど、そんなの純粋な子供にはまだ備わっていない回避話術だよ。

「あんたが縛られて生きている人間にはみえてないから大丈夫だ。津美紀もわかってる」

薬研が隣に並び私の背を柔らかく叩く。慰め方も似ているね。

『ありがと』









恵くんがお風呂に入っている間、津美紀ちゃんと流し台に立ち皿洗いをしていた。
洗ったお皿を津美紀ちゃんに手渡し拭きながら片付けている。

「あの、恵が何かしたんでしょうか」
『ん?』
「恵を送ってくれたってことは本当は、恵が何か悪いことをして迷惑をかけたんじゃ」

津美紀ちゃんはずっと何か言いたげな顔をしていたが、これのことだったのか。全てを説明できる訳もないんだが。水を止め、手に着いた水を払いながら言葉を選んだ。

『それはないよ。恵くんは優しいから。逆に私が恵くんに迷惑をかけてしまったから謝罪の為にここへ連れて来てもらったの。ごめんなさい。津美紀ちゃんの大切な人を巻き込んでしまって』

床に膝をつき、津美紀ちゃんの目線に合わせてしゃがみ込み、頭を下げると津美紀ちゃんは息を吐き出しながら笑みを浮かべていた。

「よかった、恵が何かした訳じゃないんだ。よかった……。恵は本当に優しいんです。だから誤解されるのは嫌で。才さんも何か事情があったんですよね?」
『まあ、事情はあったけど。小学生を巻き込むようなことをした私を簡単に許していいの?』
「だって才さんは悪い人には見えませんから」

津美紀ちゃんの言葉に鼻を摘まむ。驚いた顔をしている津美紀ちゃんにやや意地悪いことをした。

『そんな簡単に許しちゃ駄目だよ。搾取され続けたらいつか大切な人にその因果が巡ってくるから。きみは良くても大切な人は耐えられるかな?』
「っ……」

摘まんだ手を離し、笑みを浮かべた。

『自分を殺すことと他人を許す事はイコールにしちゃ駄目だよ。絶対に』

立ち上がり拭かれた食器を持って、食器棚へと戻す。津美紀ちゃんは茫然としながらも一歩ずつ近づいてきて、後ろから抱き着かれた。服が水分を吸って、強く握られる。片手で頭を撫でながら、私はこの家のことを少し考えてしまう。
大人物の私物があるのに、一緒に住んでいる形跡も、その大人が帰ってきた痕跡もない。子供だけのものが消費している生活が色濃く残るこの室内で、残された子達は何を思っただろう。そういうのとは縁遠い私は、想像することしか出来ないが、口にするのは憚れた。同情は時として人の心を蔑むからね。悪い事ではないけど言葉にしてはいけないこともある。
結局、神様になったといっても全知全能ではない。不幸を幸福に変える力は神にはない。いつだってそれは人間次第。選ぶも捨てるも、ね。
食器棚を閉めてトントンっと叩いて少しだけ離れて貰うが、服は掴んだままでその手を握ると握り返される。しゃがみ込んで涙が溜まる目尻を拭いた。

『いつでも連絡していいから。困ったことがあっても、なくても』

端末機の連絡先を液晶に表示させると津美紀ちゃんは堰を切ったように首に腕を回して抱き着く。それを抱きしめ返しながら彼女の背中を撫でた。暫くそのままでいると耳元に寝息が届き、彼女を起こさないように抱え直し立ち上がった。紙を探していると薬研が用意してくれて、ペンで番号を書く。

「重くないか?」
『大丈夫だよ。太刀振り回してるから』
「そいつは心配いらないな」
『恵くん。入って来ていいよ』

扉の隙間から覗いていた目が瞬きをして、ゆっくりと姿を現す。手にはタオルケットが握られていて小さく笑う。傍へ来るように呼び、しゃがんでから恵くんを空いている右側へ抱き寄せた。驚いた声を上げながら固まる恵くんの背中をトントンっと叩いてから身体を放すと顔が真っ赤になって口を動かすが音になっていなかった。

『明石』

立ち上がってから彼の名を喚ぶと明石はジャージ姿で前髪をウサギのピンで留め、片手に浴槽を磨くスポンジが握られた状態で顕現した。

「急に喚ばないでくれません?こっちにだって生活があるんですから」
『ごめん。掃除中だったんだね』
「そうです。誰かさんのおかげで毎日この時間ですわ。今からお風呂洗って夕飯の準備が控えてますけど、何の用です?」
『やだな…お給金に似合うお仕事の分量だと思っていたんだけど違うのかな?じゃあ削ったほうがいいかな、対価』
「なんて素敵な上司やろ。主はんの頼みなら是非ともやらせて頂きますわ」
『いいんだよ。無理しなくて、有給切ろうか?』
「それ永眠の方とちゃいますよね」

何も答えずに笑顔を浮かべたら、明石が凍り付く顔をして何も言わずに結界を構築していた。恵くんからタオルケットを受け取り、一旦座布団の上に津美紀ちゃんを寝かせタオルケットをかける。それから明石の刀を恵くんに持たせた。

『この刀を家の中に置いておけばいいから。明石の結界でこの家の中は護られる。恵くんと津美紀ちゃん以外の人間はこの家の中に許可なくは入れない。許可とみなすのは扉を開ける事。だから開ける前はよく確認してから開けてね。薬研はちょっと呪いが強いから外で見張っていてくれる?』
「ああ。わかった」
「入れないっていうのはただ入れないってことですか?」
「そない言うなら調度ええのが来ましたで」

明石がお茶を飲みながら玄関を指す。この気配は鶴丸か。と気づくが恵くんからすれば呪力量で呪霊だと判断したのだろう。警戒しながら玄関を見つめていると鶴丸は霊体化して中へ入ろうとして手が扉から出てくると、雷鳴が轟き落雷が起きた。鶴丸の驚いた声が聞こえてから数分後、蚊の鳴くような声で囁かれる。

「あ……あ、るじ……おれ、だ」

恵くんに玄関を開けて貰うよう頼むと、薬研と共に恵くんが玄関を開けた。そこには真っ黒に焦げた状態の鶴丸が倒れ込んでいた。軽く身体に電気が巡っているようだ。

「コレ、なんですか」
『私の使役呪霊、かな』

明石が横で身体を震わせながら笑っていた。



自分の解釈なので、苦情はお控えください。重々承知しております。と最初に謝罪します。んー多分善性過ぎる人は好きじゃないのかもしれない。多少なりとも人間は善性と悪性の両面を持っているものだから。だからきっとそれを伝えたかったのだと思います。解ってくれとはいいませんが、一つの解釈だと思ってくれればいいです。ちなみに恵くんを抱き寄せた際、夢主はノーブラでした(笑)あははははは

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