夜に散らばる

本屋の前を通りかかると新刊台に{夜霧黎}の名が陳列されていた。それを買う女性客の背を眺めながら集めている漫画を数冊購入。向かい側は楽器が並び白いピアノの前に男性が立ち曲を奏でる。人気のカフェの前に並ぶ女子高生たちが話に色を付け、腕を組み寄り添う恋人たちはジュエリーショップの前でショーケースを眺める。
喧噪する人々を観察しながら、本屋から出てくると目の前に差し出されたものに驚く。それは大きなテディベアだった。真っ白な毛色をしていて目の色が青よりも深みのある色をしていて、茫然とする私に傑さんが手に持たせてくる。

「はい。当日には渡せないだろうから先に」
『え?なにかありましたっけ?』
「誕生日だよ。もうすぐだったろ」
『あ……、ああ。そうでしたね』

才の誕生日は6月だったね。忘れてた。テディベアを両手で抱えるように持つとリボンを紙袋から取り出し、その色は青よりも緑に近い色をしていた。テディベアの首周りに結び付けられる。

「本当は才ちゃんと同じ日がいいけど、同じ月であれば忘れることはないだろう。店員に教えてもらったんだ。リボンをつけた日が誕生日になるって…少し可愛すぎたかな」

首を左右に軽く振って顔を埋めた。

『ありがとう』

嬉しいはずなのに時々ないはずの心臓が針に刺されたような痛みを伴う。空洞に感じるものはないから気のせいだろうけど、何故だろう。寒さも感じるんだ。もう夏が近いというのに変だな。









まばゆい緋色が空を染め上げる。その情景を見つめながら傑さんとは別れた。結局あの人は最後まで札遣いのことを明かすことはなかった。守秘義務とやらで口を割ることは出来ないだとか。正当な理由をつけていたけど、ようはそれ以上言えば契約違反になるから言えないってだけだろう。恐らく傑さんの持っている情報の開示はここまで。相手がどんな呪術を使用するのか解ればまあ一歩前進だと思う。
荷物に囲まれているので一先ず、鶴丸に迎えに来てもらおう。端末機を操作し電話をかける。数回のコール音の後で繋がる音がして、鶴丸の声が機械越しに聞こえた。

「 やっと終わったのか 」
『開口一番がそれ?』
「 遅かったじゃないか。早々に切り上がるのかと思ったぜ 」
『夕方は早いと思うよ』
「 で?今どこにいるんだ? 」
『えっとここは……ッ』

周囲を見渡して名所を言おうとしたら端末機を後ろからやってきた人物に取り上げられた。
確認しようと振り返り見上げると、周囲にいた女性たちから甘く囁かれる人物で頭が痛くなった。シンプルな服装なのになんで目立つんだこの人。勘弁してよ。てかいっちゃん会いたくないんだけど。冷戦中だよ。おい。

「僕がいるから留守番してていいよ、鳥類」
「 ああ? 」

鶴丸のドスの効いた声が私にも届く。でもその言葉が続くこともなく強制的に会話を切断し、通話画面から待ち受けへと切り替わる。手を差しだし『返せ』と要求するが、異性をいのままに操れそうな微笑みを浮かべて勝手に他人の端末機を操作し始めた。プライバシーの侵害。訴えたい。
数分後、操作する手が止まり液晶画面がブラックアウトしたのでやっとか、と思ったがあろうことか端末機を上着にしまった。流石に素で反応する。

『ちょっと』
「じゃあ帰ろうか」

地面に置いていた荷物を全て持たれてしまい、手を差しだされる。両腕で抱えているテディベアを抱きしめ五条さんの顔を見上げた。視線が初めて交差すると、五条さんは手を降ろし普段見るような冷ややかな眼差しに切り替わる。

「今日は傑と会ってたでしょ」
『うん。昨日連絡来たから』

それを確認したんでしょ。さっき。なら隠す必要ないと思って正直に口にしたのに、五条さんから漂う空気は心が視えなくても苛立ちであることはわかった。ただ何がそんなに勘に障ったのかはわからない。

「はあ?僕からの連絡は無視で傑からはノコノコ出てくる訳だ。堂々と浮気ですか。羨ましいね。で、昨日のアレなに」
『浮気って日本語おかしくないですか?お付き合いしているワケでもないのに。ただの肩書が婚約者ってだけで。浮気なんて侮辱されるのはあまり許容できる内容ではないですね。あと昨日のアレは率直な心象です』
「婚約者ならそれらしい行動をとるべきなんじゃない?」

おまえ、それブーメランちゃう?
という私の心の声は今にも口から駄々洩れになりそうであったので、思わず口元を手で覆った。だいたい浮気をしているのはどっちだよ。今は何股してるん?把握できていないけど恐らくは五人だとは思うけど。元老院たちからその手の話題で私が他の婚約者を探した方がいいのでは?なんて言われて見合い写真を贈られ続けていること知ってるでしょ。知らないとは言わせないぞ。それでも周囲に露見されていないとかどっからその自信が湧き出ているのか正直ちょっと知りたい気もする。

「才は僕の玩具でしょ」

ぼんやりしていたら頬に手を添えられ顔を上へ向けさせられる。眼前に広がる美しい顔立ちに普通の女子なら頬を紅潮させたり、狼狽えたりするんだろうな。と思うんだけど、正直。五条さんにだけは何も感じない。ただちょっと不快感はあるけど。触んなよ、程度の嫌な感じ。例えるなら娘の入った風呂に秒で入浴する父親に対する気持ち。みたいな感じかな。

これが傑さんだと、多分狼狽える。あの人の事は少なからず好感を持っているんだと思う。だから恋愛としての気持ちがなくともこういう乙女心を刺激してくる行動は、心が揺れてしまうんだ。

頬に触れる手を退けさせ何か告げる前に、女の甲高い声と猛烈な体当たりにより横へ身体が飛ばされる。予期せぬ攻撃に受け身が間に合わず、コンクリートに腕を擦りつけ摩擦と衝撃で眉を顰めた。テディベアを咄嗟に庇ったけど、汚れてないし、傷もない。よかった。しかし、肩口から二の腕まで皮膚が剥き、血が服を染め上げた。まあカーディガンの防御力なんてないに等しい。この程度の傷で済んでよかったと思おう。なんかこういう展開悪役令嬢系の漫画で見たことあるぞ。地べたに座りながらその女性を見上げた。
美少女のような顔立ちだけど、私を睨む目は吊り上がっているのでキツイ印象だ。可愛らしい格好をしている至って普通の女の子だな。年齢は20歳くらいだろうか。

「こんなところで会うなんて奇遇だね。連絡したら忙しいって言っていたのに用事はもう済んだのなら、これからあたしと食事でもどう?」

おお…身体を押しつけて顔に似合わない豊満な胸で誘惑している。凄いな。世の女性は。
周囲は騒然となり、道行く人は私たちの泥沼関係を閲覧している。まあ、面白いよね。この構図は。
傍観者を決め込んでいたら、五条さんがこちらへ近づき腕を掴まれ立ち上がらせられた。服についた土や埃などを手で払ってくれる。その行動に茫然としてしまった。何やってるんだろうこの人。

「大丈夫?腕。血が出てるんじゃない?薬局あったかな」

端末機を取り出し調べているようだ。その間私は彼の後ろを覗いてみると額に青筋を浮かべていた。デスヨネ。

「なにやってるの、悟……ッ!誰よその女!」
「僕の婚約者」
「……っ」
「それより君さ。僕の婚約者に向かって何やってんの?君の所為で才が怪我したんだけど。てかもうお前いらないや。面倒くさい。お前以外にも替えはいくらでもいるから」
「え……な、なに言って…あたしたち付き合ってたよね?あたしは、悟の恋人だよね?」
「なにそれ。僕。一度でもお前の恋人だった記憶ないけど」
「……っごめんなさい。勘違いして。でも、別れたくない。何でもいいから。あなたの愛なんていらないから、望まないから!」
「だからさ、言ったじゃん。僕のモノを傷つけるような奴はいらない」

大粒の涙を流す女と冷たく言い放ち薬局までの最短ルートを見つけ出し、私を連れて行こうとする男。何なのこの温度差は。何この濃厚なドラマ展開は。ディープすぎません?私はそっちの方は中学生レベルよ。やだ、怖いわ。生きてる人間って怖いわ。五条さんを前にして私は初めて顔を青ざめさせていた。私の手を取ろうとしたその手を思わず避けてしまう程に。そして泣き崩れる女の下へ向かい声をかけた途端。頬を思い切り引っぱたかれた。

「あんたみたいな顔だけの女が!どうせ政略結婚とかで何の努力もしないでその椅子に座り続けてるんでしょ?譲りなさいよ!あたしは悟の事を愛しているのよ!あんたなんて愛していない癖に!!」
『じゃああなたは何処が好きなんですか?あの人の。あなたの事を公衆の面前で捨てるような男の』
「それは……」
『あの男はあなたの他にも女がいますよ。多分あなたを含めて5人はいます。固定を数えないともっと居ると思いますけど』
「あ、あんた知ってるの?知ってて……」
『情熱的に愛することが出来るならこんな外面しか取り柄のない男なんかよりも、あなただけを愛してくれる人を見つけ出すことは出来ると思います。あなたの事を尊重し、傷つけるようなことをしないそんな人物と巡り逢えますよ』

女は私が差し出した手を迷いながらも掴み、互いに立ち上がる。赤く腫れている私の頬に視線を投げ、申し訳なさそうに口をまごつかせている様子を眺めながら、笑顔を浮かべる。

『口を閉じててくださいね』
「えッ??!」

力加減をしつつも彼女と同じレベルの強さで頬を叩いた。呆然としながら叩かれた頬に手を置き、こちらを見つめてくる女からは「なぜ?」みたいな疑問が浮かんでいるが。私の笑顔は絶えないままだ。

『あんたが先に叩いたんだから、お返しね。腕の傷はつけないでおいてあげる。そもそも叩く相手違うから。あっちだろ。あと、私はどっちかっていうと被害者。あいつは加害者。そしてあんたも加害者だから被害者面すんなよ。勝手に仲良くよろしくしてんのは一向に構わないけど、私を巻き込まないでくれる?こっちは不本意なんだよ。こういう面倒くさいことに巻き込まれるの』

叩かれた頬に対しての苛立つ感情は相殺されたが、まだ心の中に浮上した感情は蟠りを残したまま。頬に掛かった髪を耳にかけ息を吐き出した。この話の中心部にいる元凶は静かに佇むばかり。何か言う事はないのだろうか。テディベアを抱えながら言葉を待っていると五条さんが口をついたのは。

「知ってたの?」

この言葉に私の額に亀裂が生じた。謝罪ならわかるがなんだその「バレるとは思っていなかった」みたいな反応は。解り切っていた性格というか、反応というか、期待を裏切らないね五条さん。とことん好みの男ではないわ。寧ろ嫌悪が加速する。顔だけがいいのであれば鶴丸の方が好き。彊界紮さん。この男に預けるのは本当に正しい選択だったのでしょうか。きっと最善だったんだろうね。あの時は。深々と溜息をついてからテディベアを小脇に抱え直し、笑顔を取り去った。

『隠すつもりのない行動をとっていて露見されるとは思っていないと思う神経に敬服します。私宛に見合い写真が届いていることはご存知ですよね?学園に届いているのは表向きなんですよ。実家に本命が届いて毎日雛菊がリストにまとめて返送してくれています。つまり、私と五条さんの仲が良くないことは周知の事実で、嫁に嫁いでほしいではなく。婿養子を取りませんか?という誘いを受けているのが現状です。ここまで言えばわかりますよね?』

つまり、お前が浮気していることは誰もが知っていることで。不仲説が真実であることを確信した他の家が現在頭角を現している彊界家の当主である私に媚びを売っているんだよ。五条家に叶わないけど彊界家はまだまだ新参者扱い。神としての敬意を称しているんですよ。知らないんですか?全部あなたが招き入れた事態ですよ。と私は親切に説いていた。本当に知らなかったのか眸を大きく見開きズレるサングラスからあの澄み切った青い瞳が覗く。

「なるほどね。じゃあ君が俺と破棄したいのは、俺より扱いやすい駒がよりどりみどりだからなんだ」
『違いますけど。誠実な私が自分を餌にして何の得があるんです?』
「あるじゃない。君のその美貌。安売りしなくても食いつく奴らは多いはずだよ」
『婚約を破棄したいのは、その婚約に対する効果は十分に発揮されたから。長引かせるものではないと思っているだけです。他にも幾つかありますけど』
「なに?」
『浮気するところ。女にだらしないところ。好意のない行動程吐き気がする。心にもない囁きなんて耳障り以外の何物でもない、とかですかね』
「君だけを想っていればいいってこと?それがお望みならやろうか?」
『出来もしない事はやらなくて結構です。別にあなたに何かを望んではいません。だからこれまであなたに女が何人いようが知っていても口を挟むことはしなかった。だって好意も何もあなたに対して抱く感情は持ち合わせてないですから。そんな風に考える私がプライベートまで口を出す権利はないです。でも私は私を大切に想ってくれる一途な人が好きです。五条さんが私にしてくれた事は必ずお返しします。だから婚約なんて馬鹿げた茶番劇は幕を引きましょう。協力関係を崩したい訳ではありません。ただ今のこの形だけは崩させて頂きます』

自分の本音が言えた気がして、スッキリはしたが何だか疲れた。五条さんの下へ歩き出し、彼の手に握られている荷物を抜き取りひとり歩き出した。五条さんの背中が見えなくなるまで振り返る事もせずに。彼は反論も、行動にも移さずにただ黙って私の背を見送った。きっとそういう展開になるだろうと予想はしていた。だからこれは既に筋書き通りのシナリオで、特に驚くことでもない。手に食い込むと足が段々と重たくなっていき、進むことが憚れてくる。植え込みに荷物を置き溜息を深くつくと駆け寄る足音が止まり、見上げるとラフな格好をしたナナちゃんがいた。

『どうしてここに?』
「あなたの付き人に頼まれまして」
『鶴丸が?』
「今日は私が奢りますよ。何が食べたいですか?」
『……ラーメン。にんにく効いたやつ』
「行きましょうか」

荷物を持ち、ナナちゃんが近くに停車した車へと歩き出す。その背を追いかけた。









垂れた髪を耳にかけ、汗を軽くかきながら麺を啜り、スープを飲む。湯気が立ちこみ鼻水が出そうになりながら、水を飲んで一息ついた。

『言われるより言う方がキツイときあるよね』
「それはあなたが余計なことまで考えてしまうからですよ」

熱さを逃がすために息を吹きかけ、麺を啜るナナちゃん。メンマを口に含みながら言葉を待つ。

「普段から怒りを感じた時に発散すれば、多少の軽減は出来ますよ」
『だって正面からぶつかるの面倒なんだよね、あの人相手だと』
「わかりますが。あなたはもっと怒っていいんですよ。寧ろ率先して怒ってください。怒るべき人が怒らないと、怒りたい人が怒れません。あのどうしようもない人に」
『なんか、ごめんね。次はちゃんと怒るから』
「そうしてください」
『婚約破棄をしたい理由を伝えられたから、よかったな』
「あまり聞けなかったんですが、あの人に対する感情はないんですか?」

器を両手で持ちスープを飲み、喉を鳴らしてから苦笑した。

『期待に応えてあげられないのは非常に残念だけど、ない。そういう方面の気持ちはこれっぽっちも。婚約とか結婚とかしても、別側面しか私達には発動しないだろうから。そんなの私が耐えられない。だって私はそれに夢をみているから。って自分の事ばっか考えてるからあんま変わらないね』

テーブルに器を置き、箸を揃える。水で喉を潤すとナナちゃんは表情を崩して口元を和らげていた。

「やはりあなたは余計な事まで考えてますね」
『そりゃどうしようもないよ』

ごちそうさま、と手を合わせてミント系の飴を口に含み助手席に乗り込みシートベルトをしてから『あ』と大事なことを思い出した。

『スマホ返してもらってない』
「……明日、回収してきます」

車が緩やかに走行をはじめ、窓枠に肘をかけた。窓に映るネオンの閃光が流れていく様を眺めながら、眠らぬ東京を後にする。

「収穫はあったんですか?」
『傑さんの教え子だって』
「はあ……そうですか」

予測していた通りの結果に盛大な溜息をついたナナちゃんに、笑い声を溢した。

『今回の件は、呪霊操術遣いが札に呪霊をストックし、それを駆使して学園内で生徒が失踪している。影響力や動機はわからないけど、傑さんの生徒ということは首謀者は』
「学生ですね。教員たちの身元は窓たちが調べ上げ判明しています。呪力を所有している者もいません」
『学生ならまだ警察も窓も詳しくは調べていない。もっとも関連性が低いと断定していたから。警察も聴取しかしていないようだし』
「学園側が徹底的に保守性を重んじましたからね。敷地内にすら警察は入れて貰えなかったようです」

ナナちゃんの言葉に頷きながら、一つだけ判明している事実を告げなかった。任務前に受け取った写真と、帳。あの写真を私だけに送ったのはその学園内で起こる事件は“私を招待するため”であることを立証し、帳を使用し、時間遡行軍で迎え撃ってきたのはその裏付けだろう。宣戦布告をされたのだ、受けて立つ準備はしておかなくてはいけない………ふっ。あの頃もそうだったが、犠牲が出ても私の心は荒れないものだな。

「着くまでに時間がかかります。少し眠っては」
『うん、そうする。ありがとう、ナナちゃん』

ヒロインのような慈愛など私には過ぎたるものなのかもしれない。だから、婚約者なんて重荷でしかないんだ。早く破棄して欲しい。他人を受け入れる方が私には遙かに難しいことなんだから………人並の平凡が一番似合わない女なんだからさ。
ゆっくりと瞼を閉じさせていった。夜が短くなる季節に差し掛かる。


めっちゃリテイクを重ねまくった問題回。凄く考えました。主人公の気持ちを考えて、五条さんの台詞回しを何度か書き直したら最低っすね。本当にごめんなさい。弐部の見所と言えばそうですね。ここからうちの五条が目覚めます、とだけ言っておくがぶっちゃけこの先の展開はまだネームである。もうストックがないので、頑張って文字を起こします。この連載に需要があってよかったと思いました。完全に私の趣味まっしぐら。とっととこまっしぐら。私の中でナナミンは頼れるお兄さんポジなんです。

×