天秤の揺らめき

七海の報告を受け夜蛾が手配に入る。申請書類の記入を済ませて七海が退出し、高専の廊下を歩き職員室へノックしてから入室すると椅子に座って才の端末機を指でいじりながら何処か覇気のない五条を見つけて、七海は溜息を溢した。

「五条さん。彼女のスマホを返して貰えますか?」
「ああ、はい」

七海が来たことさえ気がついているのに、気がついていない素振りをしながら五条は七海の手の中に端末機を落とした。
意外にも手こずると思っていた七海は拍子抜けをする。端末機を上着にしまうと五条が言葉を詰まらせ、言う言葉を考えながら辿々しく尋ねた。

「あのさ、才は、どうだった?」
「どうだったとは?」
「いや、だから…まだ怒ってた?」
「怒ってはいなかったですよ」

それどころか、と七海は出掛ける前に見た才の姿を思い出す。ジャージに、眼鏡をかけて前髪を上げるスタイルをし、液晶画面の前で二次元の男に黄色い悲鳴を上げていた。
寧ろ、あなたのことなど記憶にすら残っていないレベルでした、とは流石の七海も口を噤んだ。本当に才は五条に対して何の感情も抱いていない事が物語っている。多少の同情はしているようだが。それだけなのだと、そんな相手にすら全くされない人類最強の現状の対象的な姿に、頭痛で死にそうだと七海ですら湧いた感情であった。

「そう」

五条は七海の返答に対して口を結びややしかめっ面のような表情をした。それは怒っていてくれていた方がよかったと言いたげなものであった。そんな五条のやや弱気な態度に七海は全容を知っている為、同情の余地なし。と慰める言葉すら喉から出ることもなかったが。

「彼女の気持ちを今まで蔑ろにしてきたツケでは?」
「やっぱそうなる?でも僕は破棄したい訳じゃないんだよね。相手の気持ちばかり考慮するのも違うじゃない」
「時期的にも当初の目的は為したと考えれば正当な理由だと思いますけど。好き勝手に行動しておいてお咎め無しで何の負荷もなく破棄だけ望むなんて、寧ろ穏やかな解決では?」
「七海は勧めてくるね破棄の方向に」
「幾ら気持ちがないからと言って蔑ろにされて気分の良い人間はいません。あなたが支払える対価もまた破棄しかないのでは?と思っただけです。何より相手がそれを望んでいますしね」

目元を覆っていた包帯を無理矢理引き下げ素顔が露になる。困ったように笑いながら五条はいつになく饒舌に回した。

「好かれていると思っていた訳じゃないよ」
「嫌われているとも思っていないですよね」
「まあね。僕だし。でもまさかあんな風に言われるとは思わなかっただけさ。流石の僕でもちょっとセンチメンタル」
「……何故、大切にしてあげないんですか」
「大切にしてるつもりだけど」
「大切にしていることが女性を囲っていることを聞かせないのであれば、あなたには最初から伴侶なんて望むべきではないです。夢をみている彼女の相手からは辞退するべきですね。でも彼女の隣に立てる男というのも正直、胸糞悪いですが今のところあなた以外いないことも確かです。失いたくないのなら藻掻くしかないですよ五条さん」

言うつもりのなかった言葉たちを溢して、七海は室内から出て行った。そんな彼の言葉を受けて五条は椅子の背もたれに首をのせ天井を見上げた。

「どいつもこいつも俺が手放したくないみたいな言い方しやがって」

五年前、硝子に言われた言葉を思い出し五条は回転する椅子に振られながら、瞼を閉じた。
思い浮かぶのは初めて逢った時、指輪を見て浮かべた今にも泣きだしてしまいそうな、でも嬉しい色を放ちながら笑む才の顔が放れず、軽く笑い声が漏れる。

「俺もアイツ等と同類じゃん……」

言葉はそこで途切れてしまった。









月曜日。週のはじまりの日である今日。気合を入れて校門を通り、下駄箱で上履きに履き替える際に声を掛けられた。それは他愛のない日常的な、なんら不思議ではない言動である。

「おはよう、彊界さん」
『……お、はよう』

陽の光を浴びて美しい漆黒の髪がゆらりと動く度に揺れる。清廉とされた横顔と凛とした歩く姿、両手には黒の総レースの手袋を着用している。この学園にこんな美人が居たとは知らなかったな……でも、誰だろうか。この美人は?一週間前に転校してきて、クラスメイトから避けられている私にとって、彼女の名前を知っている訳がなかった。困っている私をみてクスリ、と涼やかに笑みを浮かべるこの深窓の令嬢みたいなお嬢さんの所作は学ぶべきものではないだろうかと思った。

「私は生徒会長を務めている、綾切鎮華です」
『すみません、生徒会長さんの名前と顔を知らなくて』
「いいのよ。転校してきたばかりだから何かと大変だったでしょ」

含みのある言い方に眉をピクリと動かす。綾切鎮華と名乗った少女は美しい笑みを浮かべていた。月詠に映る靄は身体を覆うように漂っている。呪力はあるがそれを意識しているようには視えない。だが、気になると言えば右手。彼女のレースに隠れているその右手から濃度の高い呪力を感じる。彼女自身それに対して気がついているのか、対策として手袋を着用しているのかもしれない。術師なのか、それともただの勘のいい一般人なのか判別がつかない。だが、彼女が生徒会長であることを考慮すると限りなく怪しいとしか導き出せない。このタイミングで声をかけてくるところも含めてね。ここで、私が彼女に何か行動を移すのはあまり得策ではないな。曖昧な現状では判断ミスは命取りになる。何より潜入している身の上ならば、もう少し慎重に行動に移すべき。なら探る程度にとどめておくか。

『ここでは転校生への歓迎が手厚いみたいですね』
「カトリック系だから、余所者には少し過剰反応をしてしまうのかもしれないわ。馴染めば気にならなくなると思うから。気分を害してしまってごめんなさい」
『いえ。生徒会長自ら声をかけてるなんて優しいんですね』
「人として当然じゃないかしら」

教室に着くと彼女は「何かあればいつでも生徒会室の戸を叩いてね」と声をかけた。去り行く彼女の背中を眺める。生徒に心を砕く慈悲深い生徒会長。おまけに容姿端麗だなんて、どこぞの乙女ゲームに登場する皇女かと思ったよ。あれが本心なのか、それとも何かの罠なのか、判別つかない現段階では様子見といったところか……なんか虚しくなってきたな。私の方がまるで悪役だ。
教室の扉を引き中へ入るなり、複数の足音に囲まれて、二度目の驚きを与えられた。

「彊界さん!前の学校は都心だったんだよね?都心ってどんな感じ?」
「彊界さんって何処かの令嬢とか?所作とか綺麗だよね」
「彼氏とかいるの?彊界さんみたいな美人ならいない方がおかしいよね」
「彊界さんみたいな美人が転校してくるなんて感激!生徒会長も綺麗だし、王子も美しいし。うちの学園も顔面偏差値上がったよね」

クラス中にいる女子たちに囲まれた。凄く歓迎の雰囲気を醸し出されるが、その空気は転校初日にあるべきものではないだろうか。15歳未満の素直さが廃れた大人心に一矢報いられる。もう私にはない感情だな。と遠い目をしながら人あたりのよい笑みを浮かべて、事なきを得ようと対応をした。なんで無視したのか聞きたいところだけど、この空気を壊すのは得策じゃないな。

『ありがとう。声をかけてくれて』
「そんなっ!こっちこそごめんね!酷い態度とって」
「でももうそんなことしないから!」
「これからは仲良くしようね」

切り替え早いな、女という生き物はどうしてこうも打算的なのか。今も昔も、変わらないものだ。ああ、それは人間というそう括りでものを言うのか。
しかし、もうそんなことはしない、ってことは今まで無視されてきたのは、何か理由や事情があるのかな。
タイミングよく予鈴がなり、担任が入室する。席につくよう、促され解散する中。私も自席に座り鞄を引っかけ引き出しの中へ手を入れたとき、指先に教科書やノートとは明らかに材質の違う紙が触れそれを掴み引き出すと封筒だった。裏も表も見たが差出人の名前はなかった。蛍光灯に透かしてみるが厚紙の封筒なのか中身の確認が出来ない。封を切り中に入っているものを取り出すとメッセージカードが入っていた。内容は、

{ おめでとう。一週間の禊ぎを終えた君を歓迎する }

一週間と禊ぎ、という言葉に呪霊に襲われ続けたこの七日間のことがまず思い浮かんだ。そして封筒にはもう一枚紙が入っていた。ひらり、と机の上に舞い落ちたのは和紙に墨で書かれた謎の文字。読めないが呪力を感じる。それにこれは札だ。傑さんと出掛けた際に襲われた呪霊が込められた札の文字とは形が違う。呪力も呪霊の所持する量としは少ないし、何だか曖昧のように感じる。だけど確実に呪力が込められていることは確かだ。

何に使う札なんだ?
何故これを贈られた?
送り主がこの学園内にいるということ?
学年も座席も把握できる者の仕業ということになる。もしかしてこのクラスの中にいるの?

周囲を見渡しているとひとりの女子生徒と目が合う。睨んでいる訳でも、好奇心を持っている目でもない。あれは、何かを必死に懇願する者の目だ。切実さがあり、縋るような感情の中に僅かだが恐怖の色が伺えた。名前はなんだったか、と記憶を巡る前に担任が出欠を知る為に名を呼んだ。

「鷺沼」
「はっ、はい!」

慌てたように反応を示し、目立つことを嫌うような態度の鷺沼かな恵の姿を注視していると担任に名を呼ばれた。

「彊界。授業で使用するパソコンのIDが発行されたから、次の授業からは使用するように。初期パスワードの変更は済ませておきなさい」
『ありがとうございます』

教師がホームルームを終わらせ、一限の準備を始めだした。



五条さんの彼女に対する本音みたいなものが書けて楽しかったかな。五条さんのことだからまだ全く持ってその感情に名前はつきませんが、それでも少しでも不器用ながらも想っているように感じて頂けるとこれ幸いかなって思います。周囲が煽っていくスタイル。一番のハイライトは二次元に悲鳴をあげる夢主かな。……まあ、そのなんだ。私はミステリーは読む専な奴なので書くとヘタクソな三流ミステリーが続きます

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