盤石な駒

地盤を固める為には先ず、私が味方であることを示す。大きな功績を得るために、良い餌はある。けれど今のこの身体じゃ分が悪い。先ずは基礎体力作り、それから証明すればいい。そうすればきっと嫌でも私の扱い方を変えるだろう。

「本当に切るのか?」
『直ぐに伸びるよ』
「……」

鶴丸はやや乗り気ではないがそれでも髪に鋏を入れていった。長く乱雑に伸びきった髪が綺麗に揃っていく。

「三日月に似てくるな」
『そんな私には興味がないの?』
「いや?きみならなんだって口説くさ。だが、あの爺のものかと勘違いが脳を妬ききりそうだ」
『三日月宗近の娘なんだから、あながち間違いじゃないね』
「うっ……きみはいつも躱すな。それはなんだ?態とか?」
『ん?』
「なワケないか……目を瞑ってくれ。前髪も整える」
『はーい』

鋏が髪を切る音を聞きながら白くて細い指が、触れる。髪が肌に張り付き、それを取る為に頬に触れ鼻先を払う。ふと、額に何か柔らかいものがあたり目を開けると鶴丸はケープを外してくれていた。

「さて、姫さん。具合はどうだい?」

近くに置いてあった手鏡を持ち写すと、薬研みたいな髪形になっていた。サイドが少し長めだ。襟足は短いけど。

『三日月みたいな髪形になるかと思ったけど』
「俺がそんな髪形を許すとでも?」

薬研はいいという基準はなんだろうか。髪がまだ顔に残っているので水で洗いに向かった。
部屋を出て脱衣所へ行き、洗面台の蛇口を捻る。流れ出る水を見つめながら手で掬い顔を濡らした。淵に手をついて目の前にある鏡を見つめる。首一周に刀で斬った痕が残っていた。それに指先を這わせて、自虐的に笑った。

『何者だよ』

首を斬っても死なないとはね。益々己が怪物であると自覚をさせられる。……余計な思考は棄てしまおう。今は盤石を整えるのが先決。
蛇口を閉じてから濡れた顔をタオルでふいた。

『さて、行動開始といきますか』







身体の状態を確かめるために身体検査が開始された。測定に関しては問題ないが、内科検診はこの眼を遣うしかないな。

「では服を少しだけ上げてください」

白衣を着た女の人が聴診器を着けて肌に触れようと伸ばしてくる。

『せんせい』
「どうしたの?」

視線をこちらへ向けさせると眸の中の月詠が彼女の眸の中に投影される。さざ波が緩やかに引いていくように、私が服を直すと白衣の女性はカルテと向き合っていた。

「じゃあ計測するよ」
『先生。もう終わりましたよ』
「え…あ、そうだったわね。これで検査は終わり。少し待っていてね」

ロリポップキャンディーをくれたので、向き合いながら舐める。幾つに視えるのかな?
カルテに{異常なし}と記入がみえた。白衣の女性は部屋を退席し誰かを呼びに行ったようだ。舌で甘い蜜を舐めて溶かしていると、鶴丸が室内に入ってくる。

「恙なく済んだようだな」
『私が人外だってまだ判ってない段階で明かすのは得策じゃないからね』
「何を舐めているんだ?」
『いちご味の飴』
「包丁のようだな」
『小児科医の先生だったのかもね』

扉が開き、先程の白衣を着た女性が鶴丸を見て喉から悲鳴をもらす。この人は非術師。ただの人間だ。その人間から見た鶴丸はきっと畏怖の象徴なのかな。恐怖の色が検査を始めてから代わる代わる人が代わってもその表情だけは変わらなかった。という事は誰もが共通認識で鶴丸の存在を肯定している。定着しているのはいい事だが、問題は私に対する彼らの態度かな。畏怖の象徴を前にしてもこの女性は私の姿を見つけると迷わず私の下へ来て、庇うのだ。

「夜蛾先生がお部屋で待っているの。一緒に行きましょう。さあ早く」

抱き上げて私の意思も聴かずに歩き出そうとするその女性を引き留めたのは間違いなく、鶴丸。

「主は俺が連れていくから、離してもらおうか」
「ッッ!!……ぁ……」

涙を溜めて震える身体で、その眸で私を映す。そっと彼女の頬に触れて笑みを浮かべた。

『大丈夫です。せんせい。下ろしてください』

彼女の震えは収まり私を床に下ろす。お礼を言うと彼女は心底安堵した顔をした。
脇下に手を入れ鶴丸に抱えられる。片腕に乗せられ歩みだす。彼女の方へ手を振って室内を後にした。

「……何処へ行ってもきみは讃えられるな」
『讃えられてなんかいないよ』

キャンディーを舐めながら揺れる。昔の残滓が惑わす。あの喝采を、歓喜に震える声たち。その中央で歩く者たちの格好をよくも見ずに。甘いいちごを噛み砕いた。







ソファーのある部屋に通された。真ん中に下ろされると目の前にオレンジジュースとショートケーキが置かれていた。甘い罠だろうか?じっとケーキを見ていると机の下からうさぎのぬいぐるみが現れた。でもちょっと可愛くない。足に触れられ抱き上げると頬に擦り寄られた。ぬいぐるみなのに動いている。傀儡操術かな。膝の上に乗せると次から次へとぬいぐるみが現れてすっかり周囲を囲まれた。

『ファンタジー』
「いや、メルヘンだな」

ぬいぐるみたちが私の傍によっては動かない。ケーキの皿を持ち上げて、もう一匹がフォークにさしたスポンジを私の口へ運んでくる。口を開けて招き入れたら、意外に美味しかった。
ストローをさして、オレンジジュースを勧めてくる。一口飲む。

『……アイスティーが飲みたい』
「そういえばいつもそれだったな」

そしたら部屋を出ていくぬいぐるみ二匹。何処へ行ったんだろう……まさかね。と眉を上げると、本当にアイスティーを持ってきてくれた。思わず手で顔を覆う。

『なんなの…一体私に何を求めているの?意図が読めなくてつらいぃぃ』
「そうやってぬいぐるみ囲まれていると、幼子らしくて愛らしさが増すな。可愛いぞ主」

頭を撫でられる。子ども扱いですか。そうですか。退行したいよ、本当に。精神的攻撃なら効果抜群ですよ。ぬいぐるみは好きだけど囲まれる趣味はないんだわ。

「こいつは驚いた。呪骸たちが絆されるとはな。無機物だというのに面妖だ」

いかつめのおじさんが現れた。わたしはこの人を知っている。確か兄に傀儡操術を教える為に連れて行った人だ。

『夜蛾正道……さん。お久しぶりです』
「あの時のオマエは幼かったのに憶えているとは驚いた」

正面のソファーに腰を下ろすと呪骸たちが私の周りで座り始める。これ以降動くことはしなかった。
夜蛾さんが鶴丸を見据える。あれは敵認識した目。でも何処か探りを入れている。呪術師が鶴丸を見るとやはり同じ反応だ。そして私を見ると、どう反応するのかな?

『鶴丸。席を外してほしいんだって』
「また追い出されるのか。なあ、この建物内を観て回っても構わないか?退屈は嫌いなんだ」
「……構わないが、暴れるなよ」
「暴れる理由がない限りはしないが、お前こそ。主に危害を加えたら判っているだろうな」

呪いをひとつだけ残して鶴丸は私に手を振って部屋を出て行った。
鶴丸が出て行った扉を見つめている夜蛾さんに対して私はアイスティーを飲む。

『いまの鶴丸は自由に何処へでも行けますが、私が居る所へ必ず帰ってきます。ご心配はいりません。暴れる時は彼を怒らせた時と、私が許可をした時だけなので』
「それは首輪はついているがリードはしていない、ということか?随分と飼いならしていやがる。悟や傑が言っていたことは本当だったな。あれは既に過呪怨霊ではない。特級過呪霊だ。それにまで昇華させたのはオマエか、觀綴才。いや、彊界才と呼ぶのが正しいか」
『戸籍はそうなっていましたか』
「知らないような口ぶりだな」
『ええ。私は何も知りません。自分が置かれた状況もあなたに敵視を向けられる意味も』

アイスティーを置き、膝の上に乗るうさぎのぬいぐるみを撫でた。あくまで子供らしい笑みを浮かべて、無邪気さを前面に出したが……子どもってどういう振る舞いをすればそうなるのかよくわかんない。という結論に至っていた。ま、まあ?9歳ですし?大丈夫だよね。ちょっと大人びた生意気な子供で、通るでしょ、うん!ソダネ!合理的に割愛した。

「すまない。オマエに敵視を向けているつもりはないんだ。オマエの状況はよく、解っているつもりだ……紮が、送ってくれた資料で」

目頭を抑えて夜蛾さんはそう口にした。兄が、資料?彊界家にある研究課程に記録したデータでも持ち出された?いや、それはない。あれは見つけられない絶対に。なら一体なにを……。
思惑を推察する私に対して顔を上げた夜蛾さんの表情は、完全たる哀れみだった。

「彊界当主。彊界槐の手記に書かれていた。オマエがどんな目に遭っていたか。五年弱、虐待を受けてきたのは本当か?」

辛そうな顔をして少女に問いかける大人。彊界槐。あの優男のことだ。きっと詳細に生々しく書かれていたことだろう悪趣味が。大抵の人ならきっと嘔吐して、自己精神破壊でもするんじゃないかな。流石呪術師。乱れない。だからこの程度の出力だと聞こえないのか。だからと言って長時間、視界に入れたくはないため目を逸らし、俯いた。あの日々を思い出すことはやはり胸糞悪い。それでも瞼を閉じればあの日は鮮明に浮かんでしまう。

『はい。書かれていることは全部事実です』

眸を淵に涙が自然と溜まっていた。慰めてくれるのか、うさぎのぬいぐるみはその綿の手を頬に触れ水分を染み込ませる。ぬいぐるみをきゅっと抱きしめた。

「そうか……すまない。辛いことを思い出させてしまったな。今、彊界家の屋敷を調査させている。この事実を隠蔽する訳にはいかない。全てを白日の下に暴く。だから安心して欲しい。オマエに危害は加われない」
『あの。何故死刑だったのを撤回されるまでに至ったのか。そして何故五条さんと婚姻するなどと脈絡もない経緯になったのか教えて頂いてもいいですか?』
「……あいつら教えていないのか?」
『はい。婚約するみたいなことしか言ってないです』
「なんで結果しか言ってないんだ……あの馬鹿が。帰ってきたら制裁を加える」

目の前で大きな手が拳を作っていた。普通に見積もっても痛いだろうな。

「オマエは発見当初、死体で発見された。しかしあの鶴丸がオマエを生き返らせた。これは禁忌だ。何者も脅かしてはいけない領域に踏み込んだ存在として、鶴丸も才も得体が知れないからとして死刑執行が有効だった。だが、オマエが彊界家に養子として迎え入れられた事実を知り、養子に迎えたいと発言をした人間がいた。無理もないがな。彊界家は名の知れた御三家とはいかないにしても、多くの呪術師を輩出している。それに血縁主義で外部の人間を極端に嫌がる。それを捻じ曲げてオマエを養子にしたとなれば、オマエには何かあると勘ぐる奴は現れるだろう。あの鶴丸を従えているのが何よりの物的証拠。まだ幼いから躾ければどうとでもなると思ったんだろう」

やはり代名詞の所為で養子などと。だが、私が一度死に、生き返ったことを知りながらもそれでもその発想に辿り着くとは強欲め。得体の知れない者を幼いからという理由で制御できると思っている時点で甘く見積もられたものだな。だが、話を聴くに保守的な人間が多いのに何故そんな発言を……もしかして。

『最初に養子に迎えたいと発言した人は誰だったのですか?』
「それは加茂家だ」

合点がいった。ああ、それは……欲しがるね。絶対に。その家は鶴丸の本当の正体を知っているから、私が蘇った話を聴けば、私が何なのか、答えが出る。

「加茂家をかわきりに禪院家と続いて、さと、五条家もまた進言した。身元争奪戦に勃発したが、紮がこうなることを予想していたのか、悟の下へ書類を一式送っていたそうだ。戸籍が替わったと言っても彊界家が全員亡くなれば、オマエの身内はたった一人だ。紮は一筆したためていた。五条悟に一任すると。それが効力を発揮して悟はオマエの保護を勝ち取った。だが、加茂家がそれでは納得できないと。食らいついてな。埒が明かないと悟が勝手に婚約関係を進言して押し通した」

力技だったのか。まさにゴリ押し。言い方正解過ぎだよ夏油さん。苦笑いをしながら左手の薬指にはめたままの指を見つめた。

「手が早いなアイツ」
『いえ。これサイズ間違えているので取れないだけなんです』
「……あとでそれも追加で制裁加えておく」
『ありがとうございます』

改めて詳細を聴いたが、大体私の想定通りだったな。補足で必要だった情報も得られたし今後の指針は決まった。やはり、力をつけるべき。

「悟はまだ未成年。オマエもまだ幼い。直ぐに婚姻が結ばれる事はないが、オマエを狙う輩は多いだろう。自らを護る術を学んだ方がいいということで、身元は高専で預かることにした。検査結果次第だが今のところ異常はないと報告は受けている。だから、今後はオマエに護る術を教える」
『わかりました。ご配慮感謝いたします。これからよろしくお願いします』

頭を下げると立ち上がって夜蛾さんは、私の頭を撫でた。膝を床につき、私の顔を覗く。目が合うと優しい色合いがそこにはあった。

「そんなに早く大人にならなくていい」

大人の所為で酷い目にあって、身内が誰もいなくって、早く大人にならなければと思って大人のフリをしていると思われているのかな。こんな境遇だったらそうなのかもしれない。既に大人に成熟してしまった魂の私は、こういう時どうすればいいかわからない。子供の頃の自分はもっときっとうまく甘えていたと思う。けれど、今は、手放しに誰かを信じる事さえ出来ない。ああこういう時実感する。自分は大人になってしまったのだと。

『ありがとう、ございます……』

優しい人なんだきっと。この人は。兄を連れて行ったと思っているけど、それは兄に呪いとの向き合い方を教えるために、生きる術を身に着けてほしくて、声をかけたのかもしれない。でも、あの娘にとってはそれが悲劇のはじまりだった。だから私は一生この人を許してはならない。うさぎさんが代わりに私を抱きしめてくれた。


連載はね、好きな部分だけを書いて進める程甘くないんだよ。ちょっと説明的な回。ごめん、つまらないよね。私も思う。だから鶴丸で癒されてね。夜蛾さんの口調が迷走しているのは、どんなふうに喋るかわかんないからだよ!

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