地盤沈下

彊界家の調査に駆り出された人数は四人。でも帰還してきたのはたった一人。
消毒液の匂いと染みついた鉄錆の肌を撫でる香りはこの身体も慣れていた。冷たいコンクリートに覆われた解剖室。ステンレス台の上に横たわった成人男性の裸体があった。
硝子さんも解剖に参加していたのか着用していたものを脱いでいて。既に済んでいるようだった。私達を見つけると硝子さんは近寄りマスクを外して捨てていた。

「もうほとんど調べたけど特に目立ったものはなかったな」
「死因は?」
「ん〜急性心臓死とか言ってた。でも残穢が残ってて学園の正門前に倒れてたからそこから足跡は続いているらしいよ」
「態とかな」
「しらねぇーな」
『なんで、わからないの』
「え?」
「どうしたの才ちゃん?」

遺体が横たわっている台まで歩き、隣に立ち止まる。手を翳して触れようとした瞬間、その遺体は突然動いた。手首を掴みそろりと上半身を起こしてから私の肩を掴み眼前に顔を近づけて、白目を向いた目が私を捉えた。

「ぁ…にぃ、げぇ、て」
「なんで死んでんのに動くんだ」
「あの遺体は人間だったよね。私の目にも呪霊が宿っている形跡はないぞ」

周囲は騒然となるが、私は少年の声を聴いた。

「おぃさぁん」
『……ッ!』

遺体は成人男性なのに、少年の声が聞こえる。この声は聞き覚えがあった。何故きみがそんな目に遭ってしまったのか、目のあたりで火花が散った。近くにあったメスを手にすれば逆手に持って胸にかけて縫合した縫い目目掛けて切り裂いた。メスを捨て中へ手をいれるとある臓器を取り除いた。それは片手に収まってしまう程の体積で、重さは150g程度の心臓。成人男性にしては小さな体積の心臓は少年のものだと確信する。遺体は力を失い台の上に倒れる。両手で持つと心臓からまた声が聞こえた。今度ははっきりとした声だった。

「にげて、おひいさん」
『……わかった』
「おひいさんにあえて、ぼく、うれしい」
『おやすみ、みさき……』

残滓がもたらす虚妄だと言われるものが、掌の上で重さだけを知らしめる。近くにあった保存袋の中に心臓をしまってから、役目を果たした遺体の上に手を翳し頭からつま先までゆっくりと下らせていった。

『これは人の目を晦ませる術式が使用されています。よく結界とかに容易られる類のものです。完成度が高いと呪術師の目さえ欺けます。精密な目であれば意味がありませんが。この遺体は最初から五人でした』

手を退けると遺体は腕と脚、頭部、臓器さえ全てツギハギだらけの身体になり果てていた。

「派遣された人数は全員で四人ってことは」
「この遺体で四人全員の帰還を意味する」

硝子さんと夏油さんは遺体を見ながら結論へ至る。再度の解剖の準備を始める中私は水道で手についた血液を洗い流していた。近くにいた窓へ声をかける。

『残穢がある場所は正門玄関で間違いないですか?』
「あ、はい。正門玄関から道なりに残っていると報告があります」
『そうですか』

洗い落とし終え、パックされた心臓を片手に室内を出て行き夜蛾先生の下へ向かった。
奥歯を噛み締め歯がギリギリと鳴る。自分の中の抑制できないものが溢れ出ていく。しまってあった箱の蓋が少し開いてしまい、そこからドロドロと流れ出ていく。脳みそがどうにかなりそうだ。

「おぉ、ある……鶏冠に来てるなありゃ」

すれ違った鶴丸は声をかけずに見送る。あの室内を出て追いかけてきた夏油さんを鶴丸が引き留めた。それを横目に私はノックをして室内へ入室した。

「どうした才」
『外出許可をください』
「……理由はなんだ」
『彊界家の調査、難航していますね。彼らの敷地内にすら入れないのでは?』
「何か知っている口ぶりだな」
『彊界家は外部の人間を警戒し情報が漏れることを恐れ、厳重な結界を張りました。それは一日何度も形を変え、侵入者を拒む式を施しているんです。それを全て把握しているのはこの世でもう私だけかと』
「……何故それを今更言った?」
『建前を言えばこれ以上の被害者を出さない為です。本音は、売られた喧嘩を買いに行かせてください』
「………前向きに検討する」
『……わかりました』
「わかった。学園長に相談し、今日中には返答しよう。だから黙って出て行くなよ」
『最良の返答であることを願います。でも……もう待てませんから』







「おいおい。野暮な事はやめな。一体なにがあったんだ?」
「手を放せ呪霊風情が」
「こいつぁは驚きだな。まさか人間如きが俺に勝てるとでも思っているのか?ハハハ、幾らお坊ちゃんでもお頭が弱いんじゃないか?呪霊操術を遣うんだったな。俺が取り込められるかい?」
「取り込んでやるよ」
「やめとけよ。そいつは食ってもマズイだけだろ」
「悟」

五条が任務から戻ってきたのか、外は雨が降っているというのに彼は濡れてもいなかった。

「あの残穢ってなに?途中までしかなかったけど」
「彊界家の調査派遣者が戻ってきた。遺体でね。彼らを置いていったものだよ」
「ああ、なんか硝子が言ってたかも。あれ傑にも視えたか?」
「いや、残念ながら。暴いてくれたのは才ちゃんだよ」
「へぇ〜あのガキね。似たような目を持ってるから視えないワケねえか」
「似たような?」
「だからお前じゃあの女の相手は無理なんだよ」

五条の言い方に夏油は眉を僅かに動かした。その様子を、腕を組みながら眺めている鶴丸は懐から煙管を取り出して喫煙をし始める。輪を空中に描き始めると才が部屋から出てきた。無表情ではあるが、彼女の目は業火が揺らめくものを彷彿させるものだった。

「主」

鶴丸に声をかけられると、瞬きをした後に。普段よく目にする柔らかな表情に切り替わった。
鶴丸の傍へ行き『おそよ』と声をかける。そんな彼女の様子を眺めながら鶴丸は煙管を吹かし、他所へ煙を吐いた。

「話は纏まったかい?」
『どうだろうね』

笑みを浮かべてはぐらかす言い方をする。ふと、彼女の眸に夏油と五条を映した。夏油は先ほど見たからわかるが、五条が居たことに驚き、咄嗟に表情に出たのは「バツが悪い」という情だった。それでもそれは一瞬の事。直ぐに彼女は子供らしからぬ切り替えの早さで、笑みを浮かべて。

『おかえりなさい、五条さん』

彼を快く出迎えた。その言葉を聞き、ニヤっと嫌味な笑顔を浮かべる五条。

「ただいま、かわいい婚約者サン。ちょーっと見ない間に鶏ガラから鶏には成長したな。つってもちんちくりんなのは変わらねえけど」
『おかげさまで』

青筋が立っている才は五条と会話をするとき、必要以上引き延ばさないように質問の類をしない。全て簡潔に終わらせる言葉ばかりを選んで使用する。そこには特に情を含ませないことに徹底していた。それを知ってか、知らずか。五条は五条で才に必要以上に構うことはしないが、会えば彼女の神経を逆撫でをする。
夏油は軽く頭を振る。大人である五条が大人げないことは、火を見るよりも明らかであった。
あの邂逅以降、五条は任務も多かったが、それでも高専には戻ってきていた。ただ才に会いに行っていないだけで。すれ違うことはあったようだが。

「(互いに想いがないからといってこれは駄目だろ)悟。報告してくれば」
「ああ。そうだった。どっかのおチビさんが横入りしたから。私怨に駆られて身を削るとかガキなんだから大人ぶんなよ」
『……そうですね。邪魔をしてすみません』

言葉を呑み込んで才は頭を下げてから廊下を歩きだす。鶴丸は煙管を片手にひそやかに笑った。

「どうした?俺とやりたいの?」
「いやなに。安心したのさ。こんなお子様が相手なら何も突っかかる事はないな。精々そのままで居てくれよ。俺だって無駄な殺生は好きじゃないんでね」
「呪霊の分際で情けなんて優しい事言うじゃん、祓ってやろうか」

好戦的に雅に笑みを浮かべる鶴丸は、衣を翻し才の後を追った。
鶴丸の挑発に乗せられて苛立ちを隠せない五条は扉を蹴り飛ばした。

「あんなガキの何処がいいんだ。意味わかんねぇ」
「私は悟の方が理解しがたいね」
「ああ?何処がだよ。澄ました顔して言いたいことも言わねえ気持ち悪い女に情が湧くか」
「私は彼女には好感が持てるけどね」
「趣味わるっ」
「綺麗な女の子だよ。外見も中身も、ね。悟が要らないなら私が口説いてもいいよね」
「好きにすれば」
「じゃあそうするよ」

夏油もまた才の消えた後を追うように、五条と別れる。一人残された五条は後頭部を掻きながら苛立ちは収まらないでいた。

「どいつもこいつも、好き放題言いやがって」
「悟。扉は蹴ってあけるな」

五条の頭上に夜蛾の制裁が入った。


私が好きな五条さんはこんな感じからスタートすることなんですよ!周囲からやいのやいの言われて気になり始めて〜〜そして〜〜っていう自然な流れが好きなのに、何で誰もそこをぶっ飛ばすかな!?馴れ初めもなしに結婚すんのかい!!って思う個人的な見解。天才様が自分なりに考えて、あっちいったり、こっちいったり、傷つけて、傷ついて、それでも!みたいな話が読みたくて生まれただけだよ

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