見えざる守衛

その日はあいにくの曇り。今にも泣きだしそうな厚みを含んだその雲を見上げながら久しぶりの外界の空気を取り込んだ。人々が行き交う小さな村には、仮初の平和に興じている人間たちが生活している。
人の波を避けながら山道入り口まで歩く私の両サイドを鶴丸と夏油さんに。背後からのんびりとついてくる五条さんの布陣で、見るからにしての監視体制。護られているなどと頭を空っぽにしたって思える筈がない。まるで珍獣扱いだな。私はまだ何もしていないのに、今から犯罪者気分で、少なくともこれからの罪の意識は軽減できそうであった。

「埼玉の北部。外界との遮断に適している立地を備えているこんな場所に居を構えていたなんてね」
『実験をするなら好都合ですから。この村の人たちも被検体です。誰もその事には微塵も気が付いていないでしょうけど』
「非呪術師が何かに利用できるのかよ」
『まあ、栄養分にはなるかと』
「美味しいの?」
『活力剤みたいなもんじゃないですか?』
「……残穢はあの山道の入り口まで続いているようだね。そこからは何の痕跡もないようだ。調査員たちの足取りを残っていた遺留品から解析したが、どれもルートはバラバラ。村民たちから聞き取りをしているが、誰もが知らないと答える始末」
「呪力が介入した形跡はなし。術式による土地変動ってわけでもなさそうだな。どれおチビ。お前の出番だぜ?」

山道入り口の前に到着すると頭上に腕を乗せ、五条さんが揶揄ってくる。普段ならこのクソガキ。と怒りを浮かばせるのだが、偽りの笑みさえ浮かべられずに表情筋さえ動かなかった。

『あの時、どうやって入りました?』
「あ?あの日って」
「あの日は紮の残穢を追って来たから真っすぐだったかな」

五条さんの代わりに夏油さんが答えた。その回答に私は確信を得る。

『彊界家は外部の人間との交流を極端に嫌いました。自分たちの研究結果が漏洩されることを恐れた為。外部の人間に悟られないようにするにはどうしますか?』
「外界との遮断かな?」
『じゃあ外界との遮断をする方法としては何が浮かびますか?』
「そりゃ結界じゃねえの?」
『では、結界を張ったとして外部の人間がどうやって侵入できますか?』
「そりゃ結界を張っている術者を叩くか」
「結界事態を破壊するか」

五条さんと夏油さんは互いに顔を見合わせて「何か授業みてぇ」という表情を浮かべている。
相手に解りやすく伝える為の言い方だったんだけど、確かに授業かな。これは。

『あの日。兄が何故結界内へ入れたか、それは兄が傀儡操術遣いであったからです。兄は撚糸を使用し、呪霊を操ることが出来ます……ここまで言えば私が何を言いたいかわかりますかね?』
「つまり、彊界家の結界を張っている奴は呪霊ってことね」

五条さんの回答と共に、視界が歪み始めた。木々が立ち込める山々ならではの背景の混雑はまさに土地の理をいかしているともいえる。そしてこれは完全なる敵視。五条さん、夏油さんが共に臨戦態勢に入り、木の葉と共に突風が襲って来た。頬に鋭い痛みが走るがそれも一瞬の事。パックリと裂かれ血が流れる。後ろにあった枝が地面に向かって落下していく。明らかに狙いを定めている。だが、これも想定通りだ。山道入り口の内側へ入り、吹き荒れる風に腕を前にし視界を保つ。そして左から確実に殺意ある刃が襲来したとき、身体が後ろへ引っ張られた。背中に何かがぶつかると腕が前にやってきて、弾いた。

「呪霊を手懐けるってことは、彊界家のお家芸は“呪霊操術”か」
『そう、です……』

顔を上へ向け、自分を庇った人物を確認したが、まだ驚いている。私は彼の事が好きではない。嫌いというにはそこまで親しくないから好きではないと答える。だが恐らくきっと、苦手なのだ。彼のような人種は。自分があまり快く思っていない相手もまた、自分の事を嫌悪していると人生経験が語る。そういうのは連鎖するものだから。だから、まさか助けてくれるとは思ってもみなかった。そういうのを切り離して行動できるような人物には視えなかったから。

「で、祓っていいのか?」
『……それは勘弁してください』
「あっそ。じゃあこのままな」

五条さんには視えているのだろう。真っすぐにその眸で捉えていた。背中に伝わる熱に思考が鈍り始めるから頭振って、深呼吸をした。そして真っすぐに見据えるとそこには背景とは異なるぼんやりとした存在が漂っていた。実体のない呪霊。彊界家の使役呪霊。そして、調査員たちを惑わし、殺害した者へ手引きした狡猾な名も無き呪霊。

「そのお兄さん連れてくるんは反則とちゃいます?」
『隙を見て契約事私を殺そうとしてくるヤツにそんな事言われたくないかな』
「なんや、バレてたん?お嬢さんが今更出戻ってどないしたんです?まさかお情けで解放してくれるんです?」
『正解』
「……それが本当やったら、登場からやり直した方がええやないですか」
『そうだね。もう少し低姿勢で来てよ。彊界家の当主代理として私が有能な部下に褒美を献上するんだから』

視界の先には実体のない無色透明な存在がいる。それは正体を隠しているとかではなく。彼が不完全な存在であるが故だ。怨霊の枠内には存在しているが、認知度は圧倒的に低いから雑魚と言えばそう。でもある一転を除けば彼は特級呪霊と遜色はない。今は彊界家との契約関係にあり縛りの所為で、彼はこの土地から放れられない。護る者さえいなくなった空っぽの空間をただ護る為だけに存在している。
彼との契約内容は簡単だ。屋敷内の住人のみを中へ引きいれ後は何人たりとも入れさせないこと。許可のない人間が近づけば各個撃破。そして住人が外へ出る際も制限なく出すこと。許可のないものは決して出さない。
聴いていると門番みたいに思うかもしれないけど、それは違う。結界に似ているけどそれも違う。そう、この先彊界家の屋敷は彼の体内にある。体内に無事入るためには、出入口の確保が最優先。契約関係にあると言っても、私は正式には彊界家の血は引いていないし、勝手に外へ出たことにより、住人ではないという判断を下されたことだろう。これが穴。だから中で殺すことも出来るし、出た後に殺すことも出来る。安全確保のために、私はこの怨霊と取引をしなければならない。だが、彼の望むことは恐らく今の私であれば問題はない。

「お嬢さんは雇用主じゃないが。まあ、一応お嬢さんも2割程度の主人権限はあるし、俺も素直にこうやって姿を現したけど。そんなお嬢さんがどんな権限で俺に何をしてくれるんです?」
『8割の所有権を握っている彊界槐は死んだ。だが、きみは今も尚この土地に縛られている。一度交わした契約は破棄されない。それは何故か?2割も私に譲渡されているから』
「なるほど。道理で。けったいなことをしてくれましたな、コレだから人間はやんなるわ。んで、何をいただけます?お嬢さんの魂とかだったらそりゃそれでええですけど」
『そんなものをあげてもきみには何の得にもならないんじゃないかな。きみが望むものは自由では?』

その言葉に反応を示す。周囲の色彩に青が入る。やはりそうか。あとはこちらの盤上まで引きずり込めばいい。畳みかける。

『自由を得るためには、実態を手に入れる事。そして名前を授かる事。名があって初めてきみは存在を許される。自由とはかけ離れた行為だが、それでもこれは自由のための布石。どうだろう。これをきみに私は捧げたいと思っている』
「……何でもお見通しって感じやな。いやぁ、なあに。やや大きすぎる対価な気がしますが、何を企んでいます?」
『企むなんて、そんな大げさな言葉に括り付けるよりかは、柔らかいお願いだよ。ただ中へ入って、出る時は素直に通して欲しい。それだけ』

長い沈黙が続く。やっぱ勘ぐるよね。ん〜7割は本音だから効くと思うし、こんな破格な条件で労働からの解放は恐らく喜ぶ筈。この子はあの子と似ているから。でもやはり私の3割は見積すぎたかな。

「ええでしょう。これで働かなくて済むなら安いもんや。お嬢さんの条件、呑ませていただくわ。でも条件がひとつ。その献上物は先に貰てええですか?中で死なれて契約破棄されても困りますんで。だってお嬢さんやったら2割権限をそっちのお兄さんに譲渡しそうですし」
「俺?まあ、くれるなら貰うけど。いらないけどね。傑はいる?」
「ああ、欲しいかも。その異様な術式は遣えそうだし」
「次の職宛があってよかったな」
「言い訳ないですやん。あんなお兄さんらの手に渡るくらいならお嬢さんの手駒の方がええですわ。で、俺の希望は叶えてくれます?」
『勿論。そのつもりだよ』

思わず口元がニヤついてしまいそうになる。危ない。自分が立てた仮説通りすぎて予言者になれそうだな。でも当たっても嬉しくはないけどね。この先に待ち受けるものは避けられないことがこの時点で確定したのだから。まあ、死ぬなら私だけかな。それは上々。五条さんの腕を叩くとすんなり放してくれた。数歩前へ踏み出し、手袋を外してから両手を出す。

『付喪喚術』

両手を叩き、合わせ、瞼を閉じて思い描く。形、重さ、彼の名称諸共を頭の中に描き左の掌から柄が現れ、それを右手で掴み引き抜く。漆黒の鞘に収まる太刀。それが全て取り出されれば、刀を地面に置き、膝をつき祈る。

『汝の依代、その名は明石国行』

刀の中へ実体のないものが入り込む。刀の刃先まで浸透すれば刀は宙へ浮き、神々しい光と共に発光すると。地面に降り立ったのは人の脚だった。その姿は無事に受肉が完了した結果ともいえる。懐かしい仲間の姿にほころんだ。

「まさか刀が擬人化するとは誰も思ってませんでしたわ。お嬢さんはよう面白いことを考えますな」
『身体はどう?』
「まあ、これならなんとかって感じや。まだ慣れませんが、お嬢さんに最大級の感謝を」

軽く頭を垂れた明石の姿に、やや感傷に浸り気味になるが。鶴丸が肩に手を置く。

「きみも存外乗せられやすい性質だったんだな。こいつはぁ驚いた。案外すきなんじゃないか?労働」
「そんなことある訳ないやろ。自由に年中飛び回ってるあんさんに言われたくはないな」
「暫くは不安定だろうが、踏ん張れよ」
「なにその上から目線なんは」
『さて、じゃあ約束通り。通してくれるね?』
「ええ。俺は怨霊ですが、そういう約束事は守る性質なんで。でも中に関しては保証適用外やから堪忍な」
『どうも』

明石が指を鳴らすと、景色が一部だけ変わった。森ばかりが続いていた背景に建物が視える。その空いた空間へ四人とも歩き出し、中へ入った瞬間。私たちは振り返った。

『あ、一つ言い忘れてた。その身体の出力調整してないから多分。下手したら消滅しちゃうけど。出た時にそれについても交渉しようね』
「……はっ?!あ!ちょ!まちいや!!」

しまりゆく扉の前で四人で顔を見合わせて、悪戯が成功した笑みを浮かべたとき。明石は騙された人間の顔をして届かない手が伸ばされ、プツリと切れた。

「あんの小娘!!」


最強の無駄遣いをしています。ごめんなさい。京都弁が難しい。なんか甘くないなって思ったのでちょっと角砂糖でも投入してみた。

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