謂われ因縁

「壊れねぇ。強度が硬いってのもあるけど単純にそれだけじゃない。やっぱ呪いだけで構築されてないのか」

五条がサングラスを外して視えない壁に向かってノックをして調べている。先ほどから彼は結界を破壊するために手当たり次第の壁に向かって呪力を投げている。だが、罅さえ入らない。五条の破壊力をもってしてもこの結界は破れないことを早々に悟った夏油は、一人本を読んでいた。手記といえる文体で呪いをこめて綴られていた。椅子に腰かけ古くなった紙を指に引っかけながら、ページを捲る。

「悟。もういい。これを読め」

夏油の口調の機微に五条の眉が動く。感情をここまで露呈させる夏油に、サングラスをかけなおし夏油が差し出す本を手にした。気乗りしないままに指を動かし、古びた臭いを発するページを捲った。流れるようにページを捲っていたが、次第にその速度は遅くなり、本を閉じると無言で本棚へ向かい、自身で本を手にし寄りかかりながら読み始めた。
夏油もまたその一部始終を見てから、隣に並べた本を一冊手にする。ページを開く度に人間の業が垣間見えた。







神を創ると決めたのは千年以上前の、彊界家の四男。
何も持たずに生まれた忌み子と罵られた彼は、絶対的な存在を求めるように、神を創ることに生涯をささげた。祖先の何がそこまで突き動かしたのか、ある種の天与呪縛だと思える。その呪いの進行が、加茂実倫との出逢いを引き当てたのかもしれない。彼の知的好奇心の手伝いをし、一つの可能性に辿り着く。

人間と呪霊との間に出来るのなら、神に近い存在と人間を掛け合わせれば、それは即ち神の子ども。神子が創られるのでは。その導きに従い、神の御使いを従わせることが出来る御前家を加茂実倫から紹介され、先ずは神の御使いとやらと契約をしようと目論む。
御前家は特殊な呪術を使用して、古より伝わっている錆びた刀を取り出し、これに御霊を降ろした。物に命を吹き込み神の御使いとして顕現したものを、彊界家では【彼我の境】と名付けた。
説得力のある神々しさと正の気。だがしかし、負の呪いも同時に感じた。しかし神ではないが、その眷属であるならば最早なんでもよかった。

「俺が神だと?面白いことを口ずさむんものだ。もし俺が神であるならばこんな枝には止まらないな。ん?神の子を作ってほしい?相手がいなければ作れないものを作れとは些か難儀すぎるのでは?はあ……俺に子が出来るとはわからなんだ。それでも望むなら覚悟はしておけ」

彼我の境、初代は流暢な言葉を使い、実体を掴ませない節のある者であったが、協力的ではあった。目的があったのかもしれないが、悲願ばかりに囚われた。
女をあくる日もあくる日も宛がい、子を成すことに成功するが、それは人の容を保てずにすぐ呪霊へと降格した。

「言っただろう?俺を切り捨てるのは結構だが、契約を破棄する前に喚んだほうがいい。なあに。顕現してくれた礼だ。繋がりやすくなっているだろうから、次は容易く喚べるだろう」

初代の言葉通り、二代目は苦労せずに顕現出来た。
だが、二代目は規律に重んじる性質のようで、最後まで協力的な行動はしなかった。故に縛りを設けることにした。相手は神ではない、呪いもまた身の内に宿す存在であるのなら縛りもまた有効であった。しかし、神子を成すことは出来なかった。二代目の消滅が近くなり、三代目を喚び寄せ、その者もまた非協力的であり、縛りを施す。縛りの硬度が増すばかりでやはり失敗に終わる。四代目を喚ぶ際には、降ろした者が心肺停止で死んだ。
だが、この四代目こそが、神子を成した神の眷属であった。
四代目と他との違いは圧倒的な正の力が強すぎる。呪力も備わっているがそれを勝る程の反転の力。そして何より、女側も選別すべきだと考えに至り、御前家から要請した。
誰もが口を割らなかったがたったひとりだけ。女がこう口にした。

「御前の名を捨て外で生きている女がいる。そいつを好きにつかえ」

恐らく女は、憎しみの籠った眼差しで語った。その女の名前は御前ひより。既に結婚し、子供も設けていた。御前家の家紋を捨て、外界で生きているだけでも逞しい女であったが生命力に溢れ、そして女の嫉妬がよくわかる。御前ひよりは彼我の境を喚んだどの呪術師よりも反転の力を多く所有していた。だから、御前ひよりの旦那を殺害し、御前ひよりを拉致した。調度子供はいなかった。そして四代目の彼我の境をみた時から感じていたものが、確信へと変わる。

彼我の境と御前ひよりはそれから8年の歳月を得て、子供を成した。

産まれて来たその日。初めて産声が屋敷内に響き渡った。一般的な赤子であれば普通の行為だが、ここでは別の希望に胸を躍らせる。相当な難産だった御前ひよりは気を失い。その傍らで彼我の境は女の赤子を抱き上げていた。それを寄越せと言えばその優美な双眸が冬の月を連想させた。

「不浄で、卑しいお前にこの子が触れられるとでも?よもや忘れたのか?この子は紛れもない神子だぞ」

人の容を保ち、呪力と共に反転の力も兼ね揃え、何より神聖さえ感じたあの赤子は紛れもなく長年待ち望んだ神子。後に人神となる娘。自然と膝をつき、頭を垂れた。まるで忠実な下僕のように。神からすれば人間の位置などそれである。それがあるべき姿であると、心からの忠誠だった。
だが、一月後。御前ひよりは赤子を連れて逃げ出した。その手助けをしたのは紛れもない彼我の境であった。互いが戦闘不能になるまで戦い続け、彼我の境は消える直前まで呪いをひとつ授与した。

「あの子は、お前のものではない。一生、お前は手にすることは出来ない。なにせお前は既に人間ではないからだ」

四代目が消える前にと、あの時告げた女に捕まえ神降ろしをさせた。五代目の彼我の境はとても不安定な悪鬼羅刹のような姿で、女をその手にかけた。血に飢え、血を見ることに狂喜し、屋敷中にその匂いを充満させた。それでも人間は神に従順であるもの。
早く、あの娘を探し出せねば。あの子は、私のモノだ。そう呟いた当主だった者を、その日。虫けらの様に当主も五代目・彼我の境に殺害された。
天与呪縛による連鎖は留まることを知らない。神子を見つけ出し、手中に納めれば次は更なる神を創り出せる。神子は、人神は、彊界家のものだ。







「……確か彊界家の現当主は、私達と同い年だったか。ならこれを書いたのは誰だ。初期から書体が全く同じだ」

夏油は額を抑えて深く、深く息を吸い込んだ。情が今にも溢れかえりそうで、何処にも逃がせないものをただ身の内に留めようとしていた。だが、五条はそうじゃない。近くに立っていた本棚を蹴り飛ばし、本棚が倒れ、本が頭上から降り注ぐ。だがそれらは五条には届かない。夏油は五条の姿をみて口元を寛げた。

「あ〜胸糞悪い。泥水飲まされた気分」
「いいことを言うね。私の場合は呪霊を食べた時に似ているよ」

手元に持っていた手記をぽいっと夏油へ投げよこす五条。指をパキパキと鳴らしながら準備運動を始めた。

「傑はそれ読んでろ。その間にちょっと本気出してここ出るぞ。んで、あの女を見つけて連れて帰る」
「それは頼もしいことで」

夏油は離れた場所に腰を下ろし、五条から渡された本を開いた。そこには才について書かれていた。まるで恋文のように。







才、我愛しき神子よ。
彼女は父親のこと知らずに生きて来た。幼き時から見ず知らずの人間たちから親切にされ、下心もなしに優しさを与えられ、そんな気味の悪い穏やかな世界で生きて来たような娘だった。
怪我をしても直ぐに治り、視えないモノも彼女の目をもってすれば視えていたし、その者が何のかも知り得ていた。だからより一層彼女の心は震えたことだろう。

それを常々助けていたのは彼女の義理の兄。片方しか繋がっていない觀綴紮。彼もまた可笑しな人間だ。いきなり両親を奪われ、母親が8年振りに帰ってきたと思ったら、その腕には見知らぬ赤子。幾ら「この子はあなたの妹よ」と言われてもはいそうですか、などと言える訳もないというのに。この兄は平然と受け入れた。
だから、彼女が困ると兄はその者たちを祓っていた。それが不幸の道の第一歩。
だが、その者たちは彼女に一切の危害を加えたことはない。ただ傍にいるだけ。彼女もそれを解るようになってからは、兄に見つかる前に隠すようになる。

兄が祓っていたのはただの呪霊だ。気を病む必要はないというのに、彼女は慈悲深い。
だが、そんな兄の能力を見過ごさなかった人間がいた。それが不幸の道二歩目だ。
觀綴紮は呪術師となるために、スカウトされた。確か男の名前は夜蛾だったか。母子家庭であり金銭面にはかなり苦労していたことを知る兄は12歳という若さで己を売った。

觀綴紮は、4歳の妹とこの日を境に会えなくなる。

彼が家を出たその翌日、彼女は見知らぬ男たちに連れて行かれた。
見知らぬ部屋に通され、丁重なもてなしを受けながら、彼女はうさぎのぬいぐるみを抱いて目の前に鎮座する男を見上げた。目が合った瞬間、男は刀を抜き、庇ったぬいぐるみ事斬り捨てた。ことり、と床に倒れ、椿の様に身体中から花を散らせた彼女と綿が飛び散るぬいぐるみ。周囲は「なんてことをしてくれたんだ」と喧噪するが、次の瞬間静まり返る。
彼女は血の海から起き上がったのだ。痛いのか泣いている。だがやがて痛みが消えたのか涙を拭き始める。また刀が動き、彼女は逃げようと背を向け、背中から心臓を目掛けて串刺され呻きながら再び床に倒れた。でも、彼女はまた泣きながら起き上がる。それを繰り返し行われた。そんな惨劇を見ていた彊界家の面々は恐怖染まり、精神の弱い者から倒れていった。ただ一人彊界槐を除いて。
何度目かの死を得て彊界槐は辞めさせた。

「もう十分です。お下がりください」

その言葉に従うように、白い装束を纏う鶴が動きを止め奥の間へと引っ込む。投げ出された腕を拾い上げ、斬られた断面図を見ていると腕が生える。手にしていた腕を呼び寄せた使用人に「これを実験に遣え」と託した。そして倒れている彼女の元へ行き、膝をついて手を伸ばしかけたが、宙へ引き返す。

「おかえりなさい、神子様」

その言葉を聞いて彼女は双眸から涙を溢した。
その日からは恐らくは地獄だっただろう。気に入らない。という理由だけで鶴には何度も殺され続け、痛みも味覚も、感情さえも手放したくなるほどの苦痛を味合わされ、それでも死なない身体に絶望しながら、二年もこの生活を続けさせられた。
何度か助けを求めていたが、使用人たちは怯えながらその手を叩き落とした。

「触らないで化物!!」

赤く腫れた手を見つめながら、彼女はきっとその時に人間性を棄てたのかもしれない。
そして何度も殺されていくうちに、彼女は鶴の複雑な術式を理解し始めていた。
紙に書きとっている物を見つけた彊界槐は、翌日。自身の家の呪術師を呼び彼女を殺させた。そして彼女は自身の身体に刻まれた術式を理解する。憐れな事に彼女は自身の身体に死を与えた相手の術式を理解し、扱える術式を持つ人間だった。
様々な呪術師との人脈があるせいで、彼女は7歳にして並みの呪術師とは比べる間でもない存在となる。
だがこの年に、御前ひよりが娘を助けにやってきた。それが更に彼女をこの土地に縛り付けた。そうとも知らない身勝手さは人間たらしめる行いかもしれない。
眼前に投げ出された母親を前にして、彼女は感情が揺れる。棄ててしまったものが器を形成し始めた。
だが、彊界槐はそれを見逃さなかった。あれは人間を辞めているからな。天与呪縛とは殊更恐ろしいものだ。
母親を殺せ、と言った。

「最期に言い残す言葉はあるか?」

虚ろな目をする娘。震える指先に気がついた母親はこう遺した。

「大好きよ。これからも、この先も。あたしが望むことはあなたが笑顔で幸せになることよ」

その言葉を受け、彼女の目に光が戻ってくる。彼女の喉が震えながらも母へと手を伸ばした。

『おかあさんッ』

だがその叫びは、無慈悲な刀の錆となり再びこの部屋を血で彩った。ただの肉塊になった母親の亡骸を刺し続ける鶴に、初めて彼女は再起不能までにやつを半壊させた。
彊界槐はこうなることが判っていた。だから母からの呪いを与えた。だがその効力が効きすぎたのだ。それは後に体験するだろう。
母親の亡骸を丁重に觀綴家の墓へ入れるよう彊界槐に頼み、その代わりに「神を創る」と取引を持ち掛けた。それは彊界槐が彼女に強要していたものだ。

『その代わり兄に手を出せばお前ら全員殺す。魂さえ欠片も残さずに殺しやる』

突き抜けるような情は、粉々に砕け塵、あとは砂に戻るだけだとはこのこと。以降の彼女は何の起伏もない、静かに自身の工房へ籠り人を寄せ付けなかった。
ただ、兄との手紙のやり取りをする時だけ、人を呼び。手紙を預けた。

彼女の研究の成果はそれから、2年後となる。
時々、彊界槐は彼女について語っていた。

「神子は時々別人になる。戦闘になると途端に鬼神へと変貌するかのように」

ああ、それはそうだろう。彼女もまた天与呪縛を受けた定めの子だ。
俺が書けるのはここまでだ。これを読んでいる人の子よ。早々に諦めてくれ。あの子は人間ではない。人間があの子を理解できる訳がない。あの子を理解できるのは、きっとこの世で俺だけだ。それは昔も今も変わらない。







夏油は本を閉じその本を一度床に叩きつけてから、拾い上げ記録のためにと持ってきていた袋に本たちを詰めた。頭上から壁の残骸が落ちてくる。呪霊をつかって自身を保護させるが、ほぼ室内は半壊状態。屋敷事態にも影響が出ているだろう。

「悟。やりすぎじゃないか?」
「そうか?てか、耐久性がやわいだけだろ」
「まあ、私もこの屋敷はぶっ壊そうとしてたから別にいいけど」
「見通し良くなったし、ストレス発散しますか」

五条がそういうと壁に矢印が浮き彫りになる。どうやらこの結界を張った持ち主が白旗を上げたようだ。その案内に従って五条と夏油もまた更に地下へと潜っていった。


ネクストコナンズヒント「どちらの手記も同じ人物の記録」でした。生々しい表現しないように簡潔に書いたのだけど、一番想い入れがあるのは五条さんの気持ちかな。


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