赤糸に花束を



※表現的にはR15かなってことで自己責任よろです。


鳥は自由に空を飛び回る。鳥からしたらそれは本能なのだから自由ということではない、と主張されてしまいそう。人間の方が自由だと諭されてしまいそうだ。でもそんなことはないと思う。少なくとも私には自由など許されたことは生まれてこの方、たった一度もないのだから………


「役立たず」


頬に平手が入り打たれた右頬は痛々しい程赤く腫れあがった。勢い余って床に倒れ込むと私の世話をしてくれる花が私の肩を掴み労わってくれた。でも花にまでとばっちりが来てしまうと考え花を自分の背に隠し、血の繋がりだけは存在している姉と思わしき人物にその場で足をたたみ、床に額を擦りつけ許しを請うた。


『申し訳ございません。香耶様にご迷惑をお掛けいたしましたこと心からの謝罪を致します。次は香耶様の足を引っ張らぬよう務めさせて頂きます』


頭上から蔑む笑い声が沸き立つ。腕を組んでいた香耶は一人の女中に指示を出し、掃除で使用していた濁った水が入っているバケツを頭上でひっくり返され、私はその汚染水に着用していた白装束を染めた。


「これで今日の所は許してあげる。今度私の婚約者の前で恥をかかせたら容赦しないから。あんたは人間じゃなくてただの貯蔵庫なんだから。あたしに歯向かうなんて考えないことね。一生あんたはあたしたちに傅くことが決まっているのよ」


去っていく人の足音が聞こえなくなるまで突っ伏していたが、花が半泣き状態で私を呼ぶから顔を上げて力なく微笑んだ。


「お嬢様。直ぐにお風呂に入ってください。花が準備してきます。ちゃんと離れのにしましょう。また水風呂なんて、お嬢様は身体が弱いのですから、風邪を召されただけで花は気がきではありません」
『ありがとう花。あなたが心配してくれるだけ嬉しい。だからもう前に出ては駄目。あの人はそれだけで逆上し何をしでかすかわからないのだから。私は花が無事でいてくれるだけでいいの。他には何もいらない』
「お嬢様……!さあ早くこんな悪鬼羅刹のいるところから離れましょう!」


花に立たせて貰い、引きずるように宛がわれた古びた離れに戻った。私の家は代々虚弱体質の子供がひとり生まれる。その者は器には耐え切れない程の呪力を宿して生まれる為虚弱体質である。同じ母親から産み落とされ、姉と思わしき人物からこのような差別を受けるのは器に耐え切れない呪力を分配できる術式を所持しているから。もっと言えばその者以外の一族の呪術師は呪力が著しく弱く、とてもじゃないが呪術師にはなれない程だ。力があるのに弱い立場に立たされるのは、初めから人間として扱われないからである。道具と思われているんだ。ただの呪力の貯蔵庫。ひとりでは何もできないから、そういう立場に立たされても仕方ないのかもしれない。

結局呪術師は最期は一人で死ぬのだから。それに長く生きられないという点からいっても、確かに使い捨てという認識は拭えない。それでも私はちゃんと人間であり、一個体という存在であることをどうか忘れないでいて欲しかった。私の血の繋がった家族というものたちは、皆、私をそのような目で見てはいないことが少しだけ悲しいと思う。身体が弱いだけで、母親に抱かれたことも。父親に頭を撫でられたことも。姉に温かい言葉をかけられたこともない。本の中でさえも優しい世界が広がる家族像を何度も羨ましく思い、その度に枯れてしまったと思う眸から雫が降り注ぐ。


「湯加減はいかがですか?」
『ちょうどいいよ。ありがとう花』
「いいえ。ちゃんと温まってくださいね。花は今のうちにお嬢様のご飯の用意をしますね」
『うん』


湯船に浮かぶ柚を突きながら、溢れ出る爽やかな香りに瞼を閉じて、ちゃぽんと潜った。泡が鼻から抜けていきぷかぷかと浮かぶのを眺めながら温かな微睡の中に揺蕩った。お風呂場の引き戸が開き「お嬢様」と頭上から声がかかり、水面から顔を出すと花が腰に手をあてて怒っていた。


「また潜っていましたね」
『潜ってはいけなかった?』
「潜ってもいいですけど、ちゃんと息継ぎしてください」
『……してるよ』
「視線を外している時点でお嬢様が嘘をついていることは解っています」


ほら、と花がのぼせてしまうからと私を引っ張り上げバスタオルで身を包む。脱衣所まで歩きせっせと支度を手伝ってくれた。一人で着替えることが出来るのだが、花は仕事をとるなと前に言っていたので好きなようにさせている。紺色の浴衣に袖を通し帯を締められる。長い髪をタオルに挟み水気を飛ばしながら、ドライヤーで髪を乾かし。仕上げに香油を施される。暑いからと髪を束ねてくれた花は完成された私の姿に頷くばかり。


『花は私を着飾させるのが好きだね』
「お嬢様は綺麗ですから。ご飯の用意がまだですので縁側で涼んでいてください」


立ち上がり花が片づけをして、台所へと戻っていく後ろ姿を見送りながら縁側へと向かった。少しだけ汗ばむ陽気を漂わせるこの季節は、雨が降っても情景が美しい。庭先に咲いている紫陽花の様子を確かめるために、下駄を履き地面を踏む。土のふかふかとした感触、雨が降ったあとの空気と匂い。そして色とりどりの紫陽花の花たちにそっと指先を花びらへ這わせた。青や白に色を重ねるその花びらに顔を近づけ沸き立つ微かな香りに瞼を閉じると同時に声が降ってきた。


「今日は早いね。お風呂に入るの。何かあったの?」


高い竹の塀の奥から優しい声が届き、私はその声に嬉しさを隠さなかった。


『いえ、大したことではないです。いつも通りなだけで……今日も来てくださったんですね』
「僕が君に逢いに来ない日はないよ。それとも迷惑だったかな?頻繁に来るのは」
『いいえ!そんなことはないです!……ただあなたとお話が出来ることが嬉しくて、逢いに来てくださることが本当に嬉しいだけなんです』
「逢いに来るだけでそんな嬉しい声が聴けるなら幾らでも逢いに行くよ。毎日来ちゃう」
『あなたも私生活があるんですから、無理のない程度でいいんです。私は“私という存在に逢いに来てくださる”という行為自体が嬉しいだけなんですから。とても浅ましいですよね』
「そう?そんなことないよ。人間なんて皆、自分の利益しか考えてない生き物だよ?君の願いは浅ましいじゃなくて、無欲って言うんだよ。もっと強請ったっていいんだから」
『あなたはいつも私を甘やかしますね。我儘になってしまいそうです』
「いいね我儘。全然ウエルカムだよ」


喉を震わせて笑うと塀の奥からは今日もまた物語を聞かせてくれる。外の世界で今日一日彼が何をしていたのか、何と遭遇し、どういう出来事があって、どう感じたのか。その話は厭きることもなければ、嫌になる事もない。ただ純粋に外の世界に興味が惹かれるばかりだ。面白おかしく話してくれているのかもしれないけど、それが楽しければ楽しい程。面白ければ面白い程、私はあなたの存在の大きさに胸が温かくなるばかりで。あの湯船の中のように融けてしまいたくなる。そんな中で死ねたらいいのに、そう願わずにはいられなかった。

彼がこの塀の前に訪れたのは私がまだ十にも満たない頃。一人で泣いていたあの満月の夜。慰めてくれる優しい声に私は出逢った。顔も、名前も、姿だって見たこともない、知らない相手だけど。性別だけは男の人だと声でわかって。年齢も若い方だと声質から知り得た情報で、それ以外は本当に知らない人物である。だけどそんなことは些末なこと。私にとって彼は特別であり、譬えどんな人だったとしても私は彼を大切な人だと思っている。


『そうなんでっ……ぅゴホッ!ゴホッ!』


喉を詰まらせて咳き込み、そのまま地面に座り込むと逆流してきたものを口からは吐き出し掌から零れ落ちる。滴り落ちるのは鮮血で、土の上に赤黒く茶色と混ざっていく様を眺めながら眉を寄せて、咳を落ち着かせてから息を吐きだし掌に出来た水溜りに目を細めた。仕方がない。期限が迫ってきているのだから。


『ごめんなさい。楽しい時間に水を差してしまって』
「大丈夫?」
『はい。ちょっと喉に痰が絡んだだけですから』
「本当に?」
『……はい』


悟られないように答えたつもりだったけど、思わず本音を言ってしまいそうになった。人の優しさは毒のように回ってしまう。弱くあってもいいが寄りかかってはいけない。塀の奥から静かに息を吐きだす音が聞こえた。


「ねえ、君は僕に逢いたい?僕の姿を見たい?」
『え、あの。それはどういう意味でしょうか?』
「つまりさ、顔を合わせたい?って聞いてるんだけど。ちなみに僕は君に逢いたいよ。顔もみたい。君と対面で逢いたいと思う」
『……私が醜女でもですか?』
「そんなの関係ないかな。だって君は僕が今まで出逢ったどの女よりも綺麗だからさ」
『見たこともないのに随分とハッキリ言いますね』
「僕の目に狂いはないからね」
『先ほどの発言から察するにあなたは随分と見目が宜しいみたいですね』
「やっぱわかっちゃう?滲み出ちゃってるのかな」
『常に女性が周囲から絶えない方じゃないと“出逢ったどの女より”なんて引き合いの言葉は出ません。随分とお盛んですね』
「そういう男は嫌い?」
『あまり好ましくは思いませんが、私にとってあなたは大切な方ですから。それだけで判断したりしません』
「そっか……まあ、大丈夫。もうそんな事してないから」
『断っているんですか?』
「うん。嫌われたくないからね」
『素敵ですね。羨ましい……あなたに想われた方は幸せ者ですね』
「そうだね。幸せだよ、きっと」


遠くで花が私を呼ぶ声が届き、この時間が終わりを告げる。別れの挨拶を言うのはいつも名残惜しいけれど明日もまた、という言葉は割と好きで。明日もまた私はこの時間が来ることを指折り数えてしまうんだ。だけど今日はいつもと違っていた。


『それではまたあし「僕に逢いたいと思ってくれる?」


言葉を遮って彼が告げる。先ほどの答えを早く教えてくれと。何だか急かすようなその問いかけに、胸の前で手を組み祈るように唇を動かした。


『逢いたいと、思います』
「そっか。うん、じゃあ迎えに行くね」


どういう意味だったのか、いつもと違う言葉に疑問が生じ尋ねようとした私の問いかけは空虚に溶けてしまった。花が私の傍までやってきて吐血した姿を見て慌てた様子で私の背中に手を回し中へ入ると様促す。後ろ髪を引かれる思いで塀の奥を見つめていた。







「酷すぎます……こんなのあんまりですっ!」


花は憤慨しながらも、私の髪を優しく梳かしてくれていた。赤い艶やかな振袖は高品質であろうと解る程、これまで身に纏っていた生地よりも滑らかだった。薄く施された化粧、紅を塗る唇に、貧相な身体を誤魔化すように詰められた布たち。高値の装飾品をつけながら花は息を溢す。


「とても美しいです。この世の何処を探しても見つからぬ天上の花のようです」
『褒め過ぎじゃない?花が私を理解しているからだと思うよ』
「そんな!謙遜すぎます。お嬢様はとても聡明で、慈愛の満ちた聖母のようなお方です……だからこそこの婚姻が我慢なりません」


歯を食いしばり花は怒りに震える拳を握る。その手にそっと触れ包み込み、首を左右に振った。


『一族に産まれてしまった以上務めを果たすのは当然の義というもの。仕方がないことだから、花は気にしては駄目だよ』
「お嬢様……ですが、花は。お嬢様が幸せでなければ納得が出来ません。どうかその気持ちだけは否定しないでください」


涙を溢す花を抱きしめながら、私も瞼を閉じる。折角花が施してくれた化粧を崩す訳にはいかないから。私の代わりに涙を流し、心を痛めてくれるだけで救われる思いだった。

当主からの通達を受けたのは今朝のことだった。本日婚姻の儀を執り行うとただ一言、記載された手紙を受け取り、この離れに足を踏み入れる事さえ嫌う女中たちが召し物たちを抱えて入り、置いては退出した。

直前で知らせたのは私を逃さぬためと、拒否を防ぐため。この婚姻は必ず成功させなければならないという意思さえ伝わる。逃げ出すことも出来ぬ私にここまですることはないのだ。本来は。だがそうまでしたのは、焦りからくるものだろうか。私の命が残り少ないと悟っているからではないだろうか。確かに長くは生きられない。昨日、今日で死ぬようなものでもないが、それでもこの繁栄を持続させるために彼らはこのような手段を取ったに違いない。人間は確かに自分の利益しか望まぬ生き物なのかもしれない。


「名前様。お時間です。本邸へ向かいましょう」


遠慮なく襖を開け放つ迎えに、花はお冠だが彼女が何か述べる前に静かに頷いた。足の弱い私のために花が手をとり私を連れていく。本邸までの距離はやや長い、庭を通り抜ける中。空高く青い鳥が羽ばたくのを目撃する。羽がふわりと宙を舞い落ちてくるのを見つめながら、緩まってしまった口元が綻ぶ。


『自由こそ大罪なのかもしれない』


願った私は罪人だろうか。この家から一生出られぬ私はその鳥に呪詛を囁いてしまう程にこの束縛された人生を歩む。襖の前に立ち止まり案内人が中へ問いかける。


「お館様。お連れ致しました。入る許可を頂けますでしょうか」


主人の言葉を従順に待つが一向に返事は来ず、もう一度問いかけるが無音が続き。怪しく思った案内人が「失礼いたします」と無礼を承知で襖を開け放つと中に飛び込んできたのは視覚情報よりも先に嗅覚だった。私は鼻と口元を手で覆い、眉を顰めた。
大量の鉄の臭い。こんなに部屋中を満たすほどの臭いは一人だけではない。案内人がその場で腰を抜かし床に尻もちをつき、花は瞳孔が揺れ、その身体は恐怖に支配されていた。

弱小一族が狙われるとは到底思えない。人間でないのなら呪霊?
しかし結界がこの邸宅周辺を覆っている筈なのにそれすら物ともしない呪霊階級ということか?

花の前に一歩出て襖に手をつき中を見渡すと、当主が座る座には首のない身体が鎮座していた。女性の甲高い悲鳴に目を向ければ床にその首が転がっていた。実の父親だが殺されたこと以外の情報が入ってこない。周囲を見渡すがここに参列したものたちはほぼ息がないようだ。ぐちゃっと肉が潰れる音がして、そちらへ視線を戻すと生首を踏み潰す靴が見えてそれを辿っていくと人間だった。目元を覆っているが体格といいしっかりとしている男性。彼の衣服には血が一滴も付着していないが、それでもこの人物こそがここの人間たちを虐殺したのだと解る程には存在感があった。白くて綺麗な髪を携え、整った口元が動く。その声に聞き覚えがあり、私は息を呑んで呆然と立っていた。


「苗字家ってさ。女が当主なんでしょ?コレが偽物なのは知ってるよ。だから敢えて生かしてやってるんだからあんまり煽らないでよね。手元が狂って殺しちゃうじゃない」
「なにが、望みなの……。香耶との婚約が決まっているのだから我が一族が傘下に入る事以上に、何が目的でこんな馬鹿げたことをしでかしているのですか?五条家の当主様」


五条?その名に聞き覚えがあった。確か香耶の婚約者の名前がそうだった気がする。家同士の取り決めだったが香耶は婚約者のことを好いていた。昨日香耶の機嫌を損なってしまったのもその婚約者さまが関連していたが、あの塀の奥の声の人と今、声を発している人の声は同一だと思われる。それは、つまり、いったいどういう―――。


「どうでもいいことしか喋んねえな。あのさ、くだらないことを言って引き延ばすなら言わせたくなるようにしてあげようか?僕だって花嫁の身内にやさ〜〜しくしたいって人間心くらいあるんだよ?そんな善意を蹴るなんて、身の程知らずも甚だしいね」


母親だと思われる人物の片耳から血が噴き出す。もしかして耳を切り落とそうとしている?その恐怖に堪え兼ね値をあげるほうが早かった。


「ッ!…しょ、承諾いたします……っ。香耶との婚約を取り消します」
「ッお母さま!?何をおっしゃっているの!あたしはそんなことっ」
「黙りなさい!……ど、道具をあなたの物として献上することをっ」
「名前、呼べよ」


ゴトリ、と床に耳が削ぎ落され隣にいた香耶が悲鳴をあげる。噴き出すような鮮血が香耶の衣服を染めていく中、痛みに悶え苦しむかの人はそれでも言葉を続けた。今度は人が人に扱うような外面で。


「名前をあなたの婚約者としてお迎えしていただければっ」
「はい。よくできました」


手を叩いた瞬間、目の前にいた人間だったものは見るも無残な姿に切り裂かれ床に飛び散った肉片に花が私の着物の裾を掴んだ。私でさえも息を呑んでしまい、この恐怖しか存在しない空間で耐え切れないとばかりに足が震えた。


「さてと名前。そこに居るよね。迎えに行くって言ったのにごめんね。来させちゃって。歩くのしんどいよね。大丈夫?」


人を殺した後だというのに塀の奥で聞いていたあの時と変わらぬ優しい声色に、私は身を竦ませた。頭の中では混乱を来している。何を信じていたのか、何を信じればいいのかわからなくなった思考回路のまま私は近づいて来た男の伸ばされた腕に、身体を包まれていた。温かな体温を感じるからこそ、指の先さえ動かせずに固まってしまう。


「あれ?顔色悪いね、大丈夫?身体も冷たいし、早く帰ろうか。ここだと身体に障る」


頬を滑る指先、顔を包まれ覗かれる。優しい手つき、労りの言葉、どれをとってもそれは私にはとても甘く真綿に包まれるような感覚に陥るが、私の記憶にこびりついた先程までの目の前の男の態度、対応、行動に身体が拒否反応を示す。

やだやだやだやだ・・・・こわいこわいこわいこわいこわい・・・・

その言葉たちが頭の中を駆け巡る。放心状態の私の身体を抱きかかえこの場から立ち去ろうとする男の背を呼び止めた命知らずは、香耶しか存在していなかった。


「待って、ください……あたしは、あなたの婚約者じゃないんですか。あたしはあなたからの申し出があって選ばれたんじゃないですか!」


香耶の悲痛な叫びに振り返ることもせず、だから香耶の顔が私からは見れなかった。だけど心臓が騒がしくなる。胸の前で組んだ指を強く握りしめ、震える私はこの先の展開を、最悪な予想が当たらない事だけを祈った。お願いだから、お願いだから香耶。この人を怒らせないで、お願い。カタカタ、と震える私の肩を抱く手に力が灯る。


「そうだね。僕が指名したね。名前を手に入れるために必要だったから。じゃなきゃなんでお前なんかと婚約しなきゃなんないワケ?」
「なっ……!さい、しょからあたしは、そんな人間以下の奴のために、利用されたっていうの……?」
「まあでも長い間虫よけにもなったし、それなりに役立ったからご褒美をあげる」
『ッ!や、やめてください!わたしでいいなら何でも差し上げますから、どうか。お願いしますっ』


寒気と共に訪れた悪寒。私の想像を絶するよりも遙かな悪夢が起きてしまった事を悟り。私は彼の衣服を掴み懇願した。だけど彼は私の額に唇を落として囁いた。


「最初から名前には僕しかいなかったよね」


色彩が、失われていく感覚に襲われていった。彼の背後から人間だったものたちの断末魔を聴きながら私は、人であることも忘却の彼方へと捨ててしまいたかった。花さえも助けることが出来ず、助けられた筈なのに、しなかった己を一層の事殺してしまいたかった。

ああ、そうだね。そうだよね………“自由こそが大罪なんだ”







苗字一族が住まう屋敷は土地神の侵攻により壊滅した。一族は全て滅んだことは呪術界に衝撃を与えたが、それも喉元過ぎれば熱さを忘れるかの如く。ひと月も経てば過去へと流されていった。表舞台に立つこともなかった次女がどうなったかなんて、誰も知る由もないのだ。死んだという噂が濃厚であると言われているようだが、そもそも次女など居たのかも首を傾げる始末。人々の記憶から消えていった者たちなど最初からいなかったも同然なんだ。結局は。


「ああ、やっと手に入った。長かったなぁ〜一人で泣いているお前を見つけた時から僕はお前のモノだったんだよ?身体だけ手に入れることは簡単だけど心も欲しかったから頑張ったんだ。普段努力とは無縁に生きているから大変だったな。お前が理想とする人物を演じるの。でもお前に贈った言葉は全部嘘じゃないよ。全て本心さ。ただ僕は元来優しさの欠片もない男だから、理想ばかりを抱かれてもこの先ずっと僕と一緒にいるのに支障が来すでしょ?現実との相違は錯覚でさえ補えないからね。だから僕を知って貰おうと思ったし正式にお前と婚姻関係になるために必要だったから敢えて見せたんだよ。まあ、あとは思い出すだけでムカツクけどお前と結婚する身の程知らずの顔でも見たかったんだよね。我慢できずに真っ先に殺しちゃったけど。だってテンプレ男だったから。優しいを体現したようなヤツ。間違えてお前が惚れても困るんだよね。だってお前は僕のでしょ?僕の心をあげたんだからお前の心も僕にくれなきゃ………ねえ名前、いつもみたいに喋ってよ」


太腿を持ち上げ内股へ唇を寄せては舌を這わせ強く吸いつき、肌に軽い静電気が駆け抜ける。鬱血痕で埋まっていく太腿の付け根を見つめながら淵に溜まった雫が蟀谷へ流れていった。コポリ、と溢れ流れていくその白濁の伝う感触を知る度にポキっと何かが折れる音が遠くから聞こえる。それは何か、それが何だったのか考える事さえこの状況は歪みすぎていて平静を保てない。既に均衡は崩されてしまっている。私の抱いた気持ちは、起きた出来事は、あの時の会話は、すべてが黒く塗りつぶされてしまって、この眸からは色彩さえ喪失してしまっていた。胸を動かし心臓が鐘を鳴らす。肌を這う汗と沸き立つ独特な匂いに現実が私を襲う。乱れた髪を梳かすように彼の指が髪を整え、頬に添え唇に触れる。目尻に溜まる涙を払うその指は確かに優しかった。


「お前は僕に想われてシアワセ?」
『……地獄しあわせです』


彼の手を掴み掌にくちづけ、舌を這わせて目を細めた。重心が前屈みになりコツリ、と動く。吐く息が熱に浮かされ湿り気を帯びた下唇をはんでから、重なり合う。動く度に揺れる足首から金属音が絡まる音が鳴り響いた。

場所が違えど、周囲が違えど、立場が違えど、今も私は漂う赤い糸の先を待っていた。いつか花束を抱えて訪れるかもしれない自由おうじが訪れるその日まで――――



めっちゃ細かく書くと中編になるヤンデレルート解禁話。ヤンデレ五条さんが大変美味だったのでいっちょ書いたるか!という深夜テンションでやったりました。反省はしていますが後悔はしていません。タイトルの意味は「私を連れ出してくれる運命の人を待っています」という感じですね。幽閉されたお姫様が夢を見る感じのタイトルをつけたのにめっちゃ仄暗い鬱々とした話になっちまったなァー!