カナリアよ翼を差し出せ


「マイロード。大丈夫かい。まだ走れるかな?」


息が整わないうちに首を縦に振り、死へと迫るその音に必死になって耳を塞ぎたくなりながら駆け抜けた。地を踏む足が震えて動かなくなる前に、目に浮かぶ涙など風に乾いてしまうように、何も考えないように必死になってマーリンの手を握って駆け抜けた。







「今回も派手にやったね。藤丸くんを庇ってこんな怪我を負うなんて」


ロマニは治療を施し終えた姿で後ろのベッドに横たわるなまえから視線を外した。藤丸姉と共に小さな特異点を調査中に、敵と交戦。藤丸姉に敵の攻撃が当たりそうになり、それを咄嗟に庇うために彼女の前に出て被弾した。幸い腹部を貫通していたし、応急処置も正確で素早かったため命に別状はなかった。だが、日頃からくる労働の上に体力をより消費するレイシフト。なまえの精神は既に限界を来していた。


「ここ最近は食事もあまり手がついていなかったみたいだね。食べても嘔吐していたみたいだよ。彼女の同僚が口を割ってくれてね」


ダ・ヴィンチが眉を伏せながらから回る明るい声を出して、そう告げた。その言葉にロマニは頭を抱えた。彼女の立場を配慮していたつもりだったが、それでも疎かにしていた部分はあった。何故なら彼女は藤丸姉弟とは違って魔術師でもあるし、何より子供ではない。それだけの理由で蔑ろにしていいなんてことはない。頭では理解していたも行動に移していない以上、それは放置と何ら変わらない意味を持つ。


「僕の責任だ」
「責めるのは楽でいいからやめなよ」
「彼女がそんな事言えるような子じゃないことを知っていたのに」
「誰もが皆少しずつ責任を押し付けてきたツケが回ってきただけだよ。少しずつ返還していくしかないね。私は立香ちゃんのフォローに行ってくるよ。ロマニも指示を出さないと皆動けないよ」
「わかってるさ……」


後ろ髪を引かれる思いでロマニもまたダ・ヴィンチと共に集中治療室から出て行った。
彼らが去る姿を見送ってから室内に訪れる者の足音が響き、椅子を引き寄せ腰かける。顔にかかる髪を寄せながら輪郭をなぞる。身をよじるように僅かに動く身体にクスリ、と笑い声を漏らし囁いた。


「早く起きないと接吻しちゃうよ」


顔を寄せ鼻息が肌を湿らせる感覚に、なまえは手で相手の口元を覆った。眉を少し寄せて怒っているような顔つきのなまえは少しだけ恥ずかしさを浮かべている。そんな色を目を細めて見下ろしながら自身の口を覆う手に手を重ね頬へと移動させた。


「何をそんなに自分を責めてんの?誰も怒ってなんかいないのに」
『自分の情けなさに隠れたい気分だっただけです』
「情けなくなんかないでしょ。怪我まで負ったのに」
『こんなものは何の証明にもならない。こんなものは、受けて当然なんだ』


瞼を伏せて、命を捨てることを当たり前だと口にするなまえの姿は痛ましくもあり、同時に腸が煮えくり返るくらい目の前の男。斎藤一の反感を買った。そんなことも気がつかない様子でなまえは自身の腕から伸びる管を辿り、点滴が注がれる様子を眺めていた。


「命あっての物種。粗末に捨てるなら死ねばいい」
『……全くその通りだね。ごめんなさい。浅はかな発言だった。でも、私に価値はないのは事実だから。せめて、少しでも役に立ちたいと思うのは、許して欲しい、かな』


力なく笑みを浮かべるなまえの姿に、喉の奥がきゅっと締め付けられる思いをした斎藤は強く彼女の手を握り掌にくちづけをする。


「ねえ、逃げちゃおうか」


斎藤の発言に空気が固まる。なまえは呼吸さえ忘れてしまったかのように、上手く吐き出せずにいた。


「何処か遠くへさ。逃避行ってやつ。あんたが頼んでくれるなら何処へだって、何処にだって逃げ果せてあげる。俺は本気だよ。なまえが俺にお願いしてくれるなら」


冗談の混じりけさえない、本心の言葉ばかりを並べられ。ゴクリ、と唾を喉へとなんとか流す彼女は、逃げ道さえ断たれた。彼の眸に浮かぶ色彩に追い込まれるように、壁際へ追い詰められたかのように、自由な四肢だって動かせずに、酸素がまるで薄くなってしまったかのように呼吸が小さくなっていく彼女が、今にも堕ちかけそうになった所へ鼻孔をくすぐる花の薫りに包まれた。なまえは瞬きをすると後ろから何かに包まれた。温度は感じないが花が優しく呼吸を誘導する。なまえは漸く息をすることが出来たかのように心臓を撫でおろした。


「やあ藤丸くんが呼んでいたよ、斎藤くん」
「おや、偉大な魔術師さんじゃないですか。態々伝言なんて有難いことだね」


手を解放され力なくなまえの手はベッドの上に落ちる。もう片方の手で胸の前に伸びるマーリンの手に重ねる。そんな様子を後ろから見つめていたマーリンは頭皮に唇を落とす。


「マイロード。横になった方がいい。今、きみに必要なものは休息さ。私もロマンくんに呼ばれているから席を外すけど、気にせず休みなさい」


ベッドから降りたマーリンはなまえの身体をゆっくりと寝かせた。肩までかけるとなまえは視線を落とし言うか迷う口元で、でも音に溢した。


『マーリン。斎藤さん……ありがとう、ございますぅ』


語尾が小さくなったのに、ふたりは聞き取れたようで。互いに相手にだけ捧げるような穏やかな表情を向けた。
だけど、互いに横目で似たような表情をしていることに笑顔の裏で面白くないと考えていた。室内から退出し扉が閉まると互いに、示し合わせたかのように向き合った。互いに飄々とした態度で掴めぬ表情で、だけど、互いの胸の内はどこまでも濁り、蠢いていた。


「随分と出しゃばりだねきみ。そんなに私のマスターは可愛いのかな」
「ああ、そうだね。可愛いってもんじゃない。手元に置きたくなるくらい愛らしいね」
「そうかい。きみとは気が合うね。でも大人しくあげるつもりはないよ」
「こっちも貰う気はねえよ。人様のもんだと言うなら奪うまでだ」
「ははは、温厚な島国だと聞いているのに彼女とは雲泥の差だ。躾けのなっていない犬だね。一から調教してあげようか?」
「ん〜どっちかっていうとする方なんだよね。主導権は握りたい性質だから……裏切り、斬り捨て、そんなもの自分のためなら何でもござれ。お手のものさ。温厚の毛皮被ったイカレ野郎ほどじゃないけど。そうそう、そんなに大事なら首輪でもつけとけば?」


明け透けた挑発にマーリンの表情に罅が入る。斜に構えるような態度ではない、穏やかな口調はそのままに眸の中の仄暗い揺らめきを映した。


「そうだね。もっと頑丈な鳥籠でも用意しておくとしようか」


そう言って互いに一歩踏み出した。殺気だっている互いの空気を散らせるかのようにすれ違い反対方向へ歩みを止めずに進みだした。




不穏な会話がすきなんだ。病んでるのは魅力的だろ!一ちゃんは割と好きなんですが、神絵師との遭遇に妄想にエンジン取りつけられた気分だった。