食事の条件


昼下がりの午後。姉(兄)が経営するバルではドルチェを求めた客層が集い始めていた。数人の給仕しかいない店内では、姉の美しい容姿を一目見たいと謳う声を皮切りに、店内の味が評判を呼び毎日大盛況である。日本食を中心にリーズナブルな価格で提供している為もあるだろう。私も一応別口に仕事としての居を構えているが、ここでも一応手伝いとして給仕をしていた。まあ、愛想が悪いからとあまり私を表舞台に出させない姉だが。知り合いや友人相手ならいいという事で、駆り出されていた。
そんな私の数少ない女友達が、テンション高めに私に熱弁を重ねた。そろそろあなたが頼んだドルチェをテーブルに置きたいんだが、と思っている私の嫌そうな顔など目に入っていないかの如く、彼女の眸にはうんざりするような熱に浮かされていた。


「ねえなまえも参加してよ。会社うちのパーティーなんだけど部外者でも参加していいそうなの。一人だと心細いしあなたが参加してくれるなら心強いわ。素敵な男性を紹介してくれるらしいから、ね?」
『男女の異文化交流に興味がないし、そもそも私が異性に興味がないこと知ってるでしょ?時間を無駄に過ごさせるだけで大罪なんだけど。その罪の対価は払ってくれるの?無理でしょ。時間を時間でなんて返せない。ほら、とっととドルチェでも食べて帰れ』


漸くテーブルに注文の品を置けたので、ふっと息を吐き出してから背を向けて去ろうとする私の肩を掴む。諦めが悪いな今日は。背中越しで何度も懇願され続けているが、頑なに頷こうともしない私と彼女の肩に腕が回ってきて、私は眉をピクっと動かした。ああ、面倒くさいのが来ちゃったよ。と腕時計で確認したら、もうそんな時刻だった。


「なあに揉めてんの?可愛い花たちがよ」
「ミスタ!いいところに!お願い。なまえを説得して!」
「そいつは無理だな。こいつを説得なんざ俺が性転換するくらい無茶な話だ」
『ミスタが女の子なら友達になってあげてもいい』
「なんでお前は上から目線でしか俺と会話出来ないの?病気か」
『え?どちら様ですか?声かけないで貰えますか?触らないでください変態』
「流れるような暴言を吐き散らすことが出来るお前の舌はどうなってんだ」
「ミスタさん?Buon giorno」
「!ぁ、ああ…Buon giorno……ルキ、さん」


姉に微笑まれて顔を真っ赤にしながらも引きつった声を出すミスタの様子を友人と共に陰で笑った。姉のことを本当に女性だと思って好意を寄せ、告白までした彼の事を想えば……流石私の兄。昔から容姿はその辺の女優よりも美人だな、と称賛の声しか上がらない。化粧を載せる程度にしか施していないのにきめ細やかな肌に、整った目尻、薄めの唇と色気が漂う首筋。どんな絶世の美女が現れてもうちの兄に勝てる筈がないと身内贔屓目なんでもござれだ。
ミスタが姉に捕まると同時に、友人が私の耳に小声で言葉を放つ。その言葉は私がスタンド能力で見た内容と遜色がないものだった。やはり、私が一度行ってみたいと願った有名店の名だった。

眸を輝かせて「行くでしょ?」と問いかけられる。彼女は何も知らない。その男たちを集めたのはあなたの職場の同僚だけど、その同僚があなたに嫉妬して、ろくでもないクズ男たちを集めたことを。そこへ行けばお酒に薬を混ぜ、泥酔させてから廃屋へ連れて行き、女にとっての史上最低な死に様を植えつけられることを。私もその場に連れて行かれたが、まあ、一般人に負ける程弱くないから返り討ちにして、彼女を助けはするけど、時が遅いから……私だって万人なヒーローになりたかったよ。でも、そんなの不可能だ。この世には助けられる人数というものが決まっているんだから。数少ない私の友達。気難しい私の友達を何年もやってくれているセンスと才能の持ち主を、金の卵をこんなところで散らせるわけにはいかない。長めの溜息をついてから頷いた。嬉しそうに彼女は私に腕を回して抱き着いてくる。


『まあ、その店は一度行ってみたかったし。無料で飲食出来るなら行かない手はないかな』
「そう来なくっちゃ。一緒に男をゲットしましょう」
『それはいい』
「ええ?どうして?恋は勝手にしちゃうものなんだから。それに私はダブルデートがしたいの。それが今の夢なのよ」
『……叶わない夢ほど儚いものはないからね。流石デザイナーさん』
「ああ〜もうヒドいことを言うわね」


上機嫌に彼女が同僚に電話をかけている間に、ミスタの首根っこをひっつかんだ。


「なんだよ」
『可憐な蝶のエスコート、買って出てくれるよね?ミスタ』
「その可憐ってのはお前の事も含まれているのか?」


馬鹿にしたような口ぶりをしたミスタの背後に、姉の鋭い視線が突き刺さった。ああ見えて地獄耳なんだよ。知らなかった?ああ見えて、シスコンなんだよ?知らなかった?
ニマっと笑いながらミスタの青ざめた表情を見つめていると後頭部をガシガシとかきながら「わぁったよ」と了承してくれた。


「何時に迎えに行けばいいんだ?」
『20時55分』
「55分?やけにこまけぇな」
『遅れないで来てね。じゃないと蝶が蜘蛛に食べられてしまうから』


僅かに瞼を伏せた私の頭部に手がのせられぐるぐるとかき混ぜるように撫でられた。髪がボサボサになり、不機嫌な表情だというのにミスタは笑い声を漏らしていた。


「辛気クセぇ顔すんなよ。顔だけは可愛いんだからよ」
「私のなまえは可愛すぎて天使だと見間違えるほどですけどミスタさん?」
「ひゃぁい!その通りです!!」


音もなく忍び寄って背後からそっと声をかけた姉は、一瞬だけ男を出していた。乱れた頭髪を姉が優しい手つきで直してくれる。


「今日は帰りが遅いの?」
『うん。ミラと食事してくる。でもミスタが迎えに来るから、帰りは一人じゃないよ』
「そうですか。では楽しんで来てください」


兄の顔をしてふわりとせっけんの香りが移り、私は小さく頷いた。ああ、姉の背後に今日の金づるたちが一斉に注文の声を上げていた。姉妹の美しい姿を見せつつ自身の美貌のみならず心根の慈悲深さを映えさせたこの舞台での主役はあくまで姉であり、妹は引き立て役となっていた。なるほど、商売上手なことで。拍手喝采とはこのことよ。
注文の相次ぎにより姉が戻っていく中、隣に戻ってきたミスタに耳打ちされる。


「美人はおっかねえな」
『解ってんなら目を醒ませよ』







ミラの所為でかなりめかし込まれた。普段着ないようなハイネックワンピースに袖を通しショールで来る羽目になった。ドレスコードが必要なんですか?という一歩手前状態な衣服に今日に対する挑みようがハンパない。その分裏切られるような結果がもたらされる事を知っている私としては目頭を抑えてしまうのは致し方ないと思う。
何とか派手なメイクは避けられたが、今もまだそれに対して不満げな顔をしている。彼女の化粧も派手ではなく控えめで綺麗目な路線にした。うん、多分これなら多少の回避にはなるだろう。彼女の同僚たちは、惜しげもなく己の膨らみ具合を強調した服だな。身体に自信があることは結構ですが、年頃の娘さんや。その衣服はどうかと思うよ。シャンパンを片手に遠い目をして天上にぶら下がっているシャンデリアの数を数えていた。

テーブルの上に並べられる料理に手を伸ばし、賑やかに会話に華を彩る彼らを他所に食事にうっとりしていた。ああ、敷居が少しばかり高い上にカップルだらけで「くっそ爆散しないかな」と思って入れなかった店に入れた上に、気になる料理を片っ端から頼んでも全て相手持ちだなんて最高すぎんか?
ひたすら食事だけに集中していると、空になったグラスを見つけ次は何を飲もうか悩んでいると目の前に座っている人の良さそうな男が私に微笑みかけてきた。


「ロゼとかどうかな?君のような可愛らしい人に似合うと思う」
『……ありがとうございます。じゃあロゼにします』


ナプキンで口元を拭きながら当たり障りない余所行きの笑みを浮かべて、引きつる頬肉と痙攣する目元のために一旦休憩として席を立ちあがった。そんな私の行動に相手は気を悪くするどころか心臓に毛でも生えているのか、にこやかな笑みを浮かべて。


「頼んでおくよ」


軽く会釈をしてお手洗いへ一直線に向かい、洗面台の前で深々と割と大きなため息を溢した。疲れる。料理は美味しいからいいんだけど、それに見合っていないと思うんだよ。苦痛以外の何者でもない。そんなに下手に出て何を代償に得ようとしているのだろうか。金を払うんだからしろってこと?恩着せがましいな。腕を伸ばしてから個室に入ると次の来訪者は二人組の女だった。洗面台へ化粧を直しているのだろうか。大きな声がここまで届いた。


「ああ〜来ない方がよかったのに友達まで連れて来ちゃって」
「空気読めないっていうか運がないっていうか。呆れちゃうわね」
「対して美人ってわけでもないのに図に乗るからそうなんのよ」
「その友人だって同じレベルってかあれはヤバイでしょ。子供じゃん完全に。まああの子は可哀想だけど」
「今頃グラスに薬が溶け出す頃だからいいころ合いかもね」
「この後さ、いい店予約してんだよね。飲み直さない?」
「いいね」


腕を組みながら、女たちが去るのを待ってから「ヴェルザンディ」と呼び出すと表情が読めないような美しい容姿の娘が出現した。


《 薬が投入されたのはロゼ。さっき注文して届いたものを態と間違えた場所へ置かせて薬を入れたみたいですね。ミラの中には彼女がお喋りに夢中の際に混入したようです。少し飲まれていますね 》
『つくづくスクルドの夢は怖いね。ここまで整合性が合うなんて』
《 それは少々白々しいのでは? 》
『称賛の声をあげているだけだよ』


左腕につけている時計の文字盤を確認する。長針は8と9の間を差し、単身は11へと差しかかっていた。頃合いを見計らって個室を出て、手を洗い、少し剥がれたアプリコットグロスを指し直してから廊下へと出た。カツン、と大理石の床を靴底で踏み鳴らしながらミスタの背中を見つけ、ミラを回収しようとしている姿を目視し少しだけ肩に入った力を抜けさせると「Signorina」と呼ばれ壁際に手をつかれ抑え込まれた。


「遅かったね。君を待っていたんだよ」
『そうですか。ですが私も迎えが来たようなので失礼させて頂きます』
「そう冷たいことを言わないで。君を一目見た時からあまりの愛らしさに惹かれて止まないんだ。この止まらない高鳴りをどうかあなたの手で静めてはくれないだろうか」


あまりの臭すぎる台詞に鳥肌が止まないんだが、こちらは。乙女ゲームもドン引きだよ。吐きそうな顔をしている私の表情さえ顧みないのか、男は腰に手を添えてきて、不快感は最高潮まで昂った。震える拳を片手にこの目の前の男からどうやって逃げるか算段を考え巡っていたら賑やかな声が響き渡る中、一際落ち着いた声が耳に届いた。


「なまえ」


聞き覚えのある青年の声に、首を向けると眸に映ったのは白のスーツに特徴的な斑点模様を施したデザインの衣服を着こなし、黒髪の整えられた長さと、透き通るような青い眸が特徴的な全体的に品位のある清廉とした顔立ちの男。彼の姿に驚きのあまり目を丸くする。だってスクルドの夢には彼は登場しなかったから。でも何故ここへいるのか?疑問は絶えることはない。思わず茫然と彼が傍まで近づき男の腕を爽やかな笑みで掴み、捻り上げている姿を眺めていた。


「こんな所に居たのか。君の姿が見えなくて心配した。さあ帰ろうか」
『……、なんでブチャラティがここに?』
「なんで?なんて解りきったことを訊くんだな。二羽の蝶をミスタだけに任せられると?一羽ずつエスコートするべきだと、そう思うだろ?何せ、君がまともな男も訪れるようなパーティーに参加するなんざ聞いちまったら来ないワケがないよな」
『え、いや、まともな職業だとは思うけど。別に婚活パーティーってわけじゃっ』


言いかけた言葉は喉の奥へと引っ込んだ。何故なら、ブチャラティが笑みを浮かべながら掴んでいる男の腕をへし折ったからだ。うわぁ……耳につんざく悲鳴が届いてくるな。再び青ざめていく顔色。何を言っても無駄なパターンだ。ミスタが口を滑らせたな、と脳内を落ち着かせて冷静に分析する方向へと回した。


「君はそんなに男が欲しいのか?知らなかったな。俺だけでは足りなかったか?」
『うわぁ流れるような誤解と語弊。私は今も菜食主義者だから心配しないで。友達の頼みを聴いただけだから』
「君は優しすぎる。そんなもの断ればいいというのに。こいつらが君のグラスに何を入れたのか知っていて来たんだろ?幾ら友人の為だとはいえ、君が自らを危険に晒してまで行うべき行動じゃない。そういう時は俺を頼ればいい」
『あんたに頼んだら今頃店内は血の海じゃないか……コホン。一回は食べに来たかった店だったし、無料で食べられるならいいかなと』
「ん?そうなのか?なら俺が今度連れて行こう。好きなものを頼んでいいぞ」
『ブチャラティの誘いだけは断る』
「なんでだ?」
『だって、好意が含まれているから……』


恥ずかしいセリフだ、と誤魔化すために首裏に掌を置き視線を下げる。ふと穴という穴から色々な液体をぶちまけている男と目が合う。あ、忘れてた。手を離すように言おうとしたら手を取られる。自然と床に男が倒れ込み沈む。身をかがませ柔らかく細められる青い眸と交差する。


「やはりなまえは優しすぎる。というか甘い過ぎるのか、俺には過ぎたる糖度だな」


手の甲に唇が落とされ、眉を寄せ口を閉じた。日本育ち、日本生まれ、純粋な日本人である私からすればなんちゅう文明だよと思う挨拶である。歯の浮くような台詞に、女性をお姫様扱いなんて、乙女ゲームかよ!挨拶でもこういう事されると慣れていない女性は勘違いするだろう。私はしないけど。
いつの間にか腰に手を添えられて店内へと戻るように誘導される。うわぁ流れるようなエスコートだよ。


「彼女のことは安心していい。ミスタが家まで送っていく。だから少し飲み直さないか?」
『さっき言ったこと忘れたの?』
「ルキさんの店ならどうだ?」
『……手、放して』


店内を出た先で、彼の手を指摘し、離れてから背を向けて歩き出した。無言を了承と心得ているブチャラティは気を落とすことなく隣に並ぶ。彼と同じ歩幅で夜の街道を下っていく。頬を撫でる柔らかな風がスカートの襞を揺らしながら、距離の近い彼の位置に対して苦言を呈することはしないでいた。


『あ、そう言えばまだドルチェ食べてない。ドルチェが評判の店なのに』
「ん?明日一緒に行けばいいだろ。午後には迎えに行くさ」
『何であなたと一緒に行く前提で話を進めてくるの?』
「今日みたいに着飾ってくれると嬉しいがな」
『え、聞こえてないの?ねえ?もしもし?お願いだから妄想と対話しないで。現実の言葉に耳を傾けてくれ頼むから!』



めっちゃハマってしまったマジか。サイトを巡っていてこういう女の子があまり出てこなかったのでこういう女子でもいいじゃないか!と思って書いてたら結果的に愛が重い系男子製造してしまった。