この世は美しい……とは、誰が決めたの?
何処までも果ての無い、腐ったりんごばかり散らばる、この残酷な世界を美しいという譬えは、分不相応だ。



「おまえなんて…生まれてこなければよかった……!!」



吐き捨てた言葉に、一体どんな感情が潜伏しているのか。感情の奥の奥など、知る由もないけれど。きっと……私はこの人にとって要らない存在なのだということは、理解できた。



ーーーじゃあ、何故生んだの?



疑問とは果てしない。ひとつ浮かべば、またひとつと浮かびあがり、それを探求したくて仕方がなくなる。渇望する知識欲、枯渇する愛欲……私は何のために産み落とされ、この世に何をもたらせんとするために、息をしているのか。自分の存在価値はその辺の石ころよりも、低いと感じる。

殴られたりとか、斬られたりとか、そういう肉体的虐待は受けたことはない。けれど精神的な虐待、というのは日ごろから慢性化するほど、慣れてしまった。



「どうして生きているの?」
「どうして生まれちゃったの?」
「生きてこなければこんなに辛い目に合わないのにね」
「誰の愛情も受けられなかったあなたに」
「一体誰が愛してくれるの?」



ああ……私の中のもうひとりのわたしが永遠と論弁を講じる。うるさい…うるさい、うるさいな。そんなの私が一番知りたいことなんだよ!答えられないなら黙ってろよ!
そういえば、わたしは消える。塵のように風化していく。けれどその瞳には何も映さない。



「わかってるくせに」



全部わかってる。何故なのか?そんな疑問ははじめから無意味な事項なんだ。
何故生まれてしまったのか?あの女が悪戯に妊娠して、あの男と結婚したいがために生んだだけだ。はじめから子供が欲しかったわけじゃない。あの男を手に入れるためだけの道具。それを成し遂げられた今、私の存在価値は生まれた時点でとうに使い果たしたのだ。
ああ、そうだよ……わかっていたよ。でも認めたくないじゃない。そんなこと。誰にだって平等に生があるように、私にだってきっと誰かが生まれてくることを望んでくれていたんだと思いたいじゃない。そうじゃなかったら私って……いったい、なんなんだろう……?

枯渇が枯渇を呼び、喉をかきむしっても渇きは癒えない。
助けを求める声さえ、枯れてしまうほどに。心から死んでいく。本当に叫びたいときには、もうきっと叫べない……。

こんな風に―――。



「なまえちゃん……やっぱり視認できる距離からだとかわいいね。天使みたい。……どうしたの?どうして黙ってるの?…ああ、俺のこと?ごめんね、こんな格好で……ちょっと待ってね」



男はフードを被っていた。黒い衣服に身を包み足元で粉々になった人間だった物体を足で踏み潰す。男の手には切り取られたみたいな女の腕があったけれど、それもサラサラと風にのって風化する。
血が一滴も出ないその現場は、スプラッター事件よりも異形で残忍で、恐怖を煽った。
男が一歩踏み出すたびに、動かない身体がぴくりと跳ねる。そんなことも気にしていないのか衣服についた砂を払い私に近づいてきた。
恐くて顔も上げられない。顔が見れない。

この人は不法侵入者で、殺人犯で、あの女とあの男を殺した……男で―――。



「待たせてごめんね」



人を殺した手が私の手を取る。床に膝をつき目線を合わせた男の顔は血色の悪そうな顔色で、不健康そうな肉付き。唇なんて乾燥していてとてもじゃないが、綺麗な人なんて言えないような男だった。なのに……なのに、どうしてだろう。私はその男の人に向って、忘れていた言葉を口にしたんだ。
ずっと、ずっと……望み続けて、枯れ果てた大地に埋めて隠して、踏み潰したあの言葉を―――。



『遅いよ。ずっと、待ってた、んだから……!』



口にしたら止まらない滴がぽろぽろと落ちていく。その涙が床を跳ねて真珠として転がっていく。けれど男の人は少しオロオロとしながらも、私の手を強く握ってくれた。泣き止むまで、気が済むまで、ずっと……。

その人殺しの手は温かかった。
あの人たちより、ずっと人間だった―――。




「俺の天使ちゃんはかわいいんじゃない。いつか俺を天国へ導いてくれるメシアなんだ」
『ごめん、日本語が半分も理解できない』
「この氷柱のような刺さり具合の言葉が最早天使そのもの。この地球上で最も可愛い、愛らしい存在。神サマってやつもたまに偉大な産物を残すもんだと尊敬した」
「……死柄木弔。あなたは日を増す毎に病状が悪化の一歩を辿っていますね。そろそろ真面目に仕事をしてください」
「俺の癒しタイムを邪魔するな黒霧」
「真面目な顔をして何を言ってやがるんですか、ロリコンストーカーサイコパス男が」
『何かの技名みたい』



背中に寄りかかられる。というか後ろから抱きしめられている。弔の膝の上に乗せられて読書をしている私に構わず、ぐりぐりと額を押し付けてくる。もうこのスキンシップも慣れてきた。
黒霧さんの言うとおり。この死柄木弔は子供が大嫌いのはずなのに、出かけ先で偶然視界に入った私(ランドセルを背負っていた)を見て、一目惚れしたらしく。そこからストーカーをし続け、私が虐待を受けていることを知り、両親を殺して、私を誘拐、拉致、監禁をして今に至る―――。

今ので結構罪状名が凄かった。もう死刑までいける気がする。
けれど、この生活は悪いところがない。寧ろ快適だ。だってここに居る人たちは私を罵倒しない。それどころかいつも甘やかしてくれる。なんだか教育上よくない気がするから程ほどに私が断るけれど。



「真っ白な髪、真っ赤な瞳、色白な肌、小さな手足……はあ、これを天使と現さずになんと表現するんだよ」
「賛同しますが」
『賛同しないで。私は天使じゃなくて人間。哺乳類だから』
「知的なところも好き」
『一般常識だよ弔』



彼は、いつも私の欲しい言葉をくれる。無意識なのか、わからないけど。
だから私は、被害者ではなく共犯者で構わない。



「ああ〜、平和の象徴を殺しに行かなきゃ」
『帰ってきてね』
「……ああ、帰ってくるよ。君がいるところが俺の居場所だから」