「忍足君って炭酸みたいだよね」

球技大会で同じクラスの忍足謙也がバスケの試合で得点を先取した時、友人が突然口にした一言だった。
決めたシュートに視線を向けながら、その言葉に耳を傾けていた。

「えぇーなと思って色々知りたくなって、自然と好きになるけど…みなを知った時落胆するの。それがさ、まるで炭酸みたいじゃない?」

周囲の女子生徒の歓声が体育館内に共鳴して、耳障りに思う。

「ほら。最初はシュワシュワと炭酸が喉を駆け抜けて。えぇー刺激になって夢中になるけど。日を追うごとに甘くなって最初のあの刺激はいつの間にかなくなっていて。残るのは、甘いシロップだけ」

あ、また得点を先取したうちのクラス。やっぱりテニス部って何でも出来る人多いな。

「質問は?」
『一体忍足と何があったの?』

試合に視線は向けつつも、彼女の話に耳を傾けることになった。だって。突然抱きついてくるんだもの。

「あいつ人に思わせぶりな態度とっておいて、いざ告白したら「俺好きな奴がおるから」そやかて!信じられへん!ってかわかんなかったのかな!空気も読めへんの?あの低速運遅野郎ー!!!」

声援の中に混ざる友人の忍足への暴言は呑みこまれる。彼女の周囲に居た人達は何事かと振り返りその意味を探ろうとするけれど、今の彼女にそんな野次馬は眼中にもなかった。

『うん、わかった。ほら、沙織(お茶名)あげるから』
「こうなったら自棄飲みやー」

そう言ってわたしが勧めた沙織というお茶のペットボトルを掴むと、お風呂上がりの牛乳スタイルで飲み始める。しかも一気飲み。
皆さんの注目を集める友人に、距離を置く様に立ち上がる。

『自販機行って買ってくるから大人しくしてなさい』
「ファンタのグレープ味」
『はいはい』

結局炭酸好きなんじゃないか。そんな一言を呑みこみ彼女と試合に背を向けて体育館を出て行く。



※ ※ ※




えっと。グレープグレープっと。先に友人の飲み物を買い受け取り口から取る。
わたしは何にしようかな。さっき炭酸の話されたからわたしも炭酸飲みたぁ………紅茶にしよう。
お金を入れて指が宙を描いていたけど、ジンジャエールで止まっていたのをわざと動かしてさくらんぼ味の紅茶を購入した。
しゃがみ込み受け取り口の目の前で止まる。今、ここには誰もいない。だからこんな所でしゃがみ込んでいたって誰にも迷惑はかからないし、大丈夫なんだけど……。

『炭酸、か……』

最初はシュワシュワして、慣れないけど。それが日を置くとただのシロップになってしまう。
炭酸飲料の定義のようだな。友人が言った事は、わたしの胸をグルグルさせた。

『……好き、なわけない』

友人が忍足謙也を好きになったのは、偶然だった。本当にタイミングのいい偶然だった。
いつもの日常の一コマの中で、それは炭酸飲料を振って蓋を開けた時の感覚に似ていた。
授業中。通路を挟んで隣同士だったわたし達は、さして仲が良いわけでもない。挨拶はするけどそれ以上でも以下でもなかった。ただのクラスメイト。そう、そのただのクラスメイトがノートの端を千切ったような折りたたまれた紙をわたしの机に置いた。
ふと、不思議に思い目で尋ねてみると。どうやらわたし宛てのようで少し慌てる様に、それでいて少しワクワクした様子で落ち着かない動きをしていた。そんな彼の様子を観察しながら、折りたたまれた紙を躊躇いもなく開く。

「 掃除の時。皆ややこしいくさがって運ぼうとしなかった机を率先して運ぶお前の姿に惚れたんや。好きやねん、付き合っておうてください 」
『………はあ?』

いきなりの告白。しかも授業中。しかも手紙。しかもノートの切れ端。しかもしかも……速球。
何、この今考えました。今好きになりました。彼女が欲しいです。みたいな感じの文章、字、そして速球。
速い速いとは思っていたけど、告白処か好きになるのも速いわけ?
呆れた。
返答はすぐに返せた。もちろんわたしも仕返しのようにノートを千切りシャーペンで走り書き。そのまま彼の机の上に置いて授業に集中する。何だか楽しそうに渡した返事を開く彼の姿が横目の視界に入るが、気にしない。
その後、彼が固まっていた事は容易に知ることが出来た。

『 知りもしない相手と付き合う程の冒険心はありません 』

でも、授業が終わると即座に立ち上がりわたしの腕を掴み「ちょっと来て」と人の有無も聞かずに走る。
引っ張られる中。彼の背中がやけに大きな事を知った。
ある程度人気のない廊下に辿り着くと振り返り、一気にまくしたてるようにマシンガンを連発する。

「お前あの時俺の机率先して運んでたやないかぁ!」
『はい?!率先してって…あんたの机何て知らないよ!ってかいつの話よそれ』
「前の月の話や!!」

勘違いも甚だしい。そう思った。ええ、思いましたよ。何この人。思いこみ?妄想?全くもって付き合ってられない。

『偶然が重なっただけだよそれ。それにいつからわたしの事を好きになったか知らないけど、わたしの気持ちは変わらないから』

それだけ言って、その場を早歩きで退散した。だけど。これだけでは終わらなかった。

『…一体何のようですか?』
「俺の事知らないから付きおうたくないって言うなら。俺の事知ってもおうと思ってな。せやから、まずは移動教室一緒に行こうか」
『空気読め!!!』

何故解らない。そして何故めげない。いかにもな適当差ただようあの文章であんたが本気じゃないくらい解るってのに。何故喰らいつく。
それから、彼は何かと近くに居た。気がつけばわたしの周囲に必ず存在していた。
最初は鬱陶しいと思っていたけど、今はその状態に慣れてしまい何も感じなくなった。

『わたしはあなたを好きにならない』

言わないで置いた一言だった。これ以上変に誤解して、期待させて、叶わなかったら…そう考えたら最初から期待させない方が良いって思った。無駄な想いに振りまわされてないで、もっと振り向いてくれそうな子に靡けばいいと。

「なんで?」
『だって、答えは決まっているのに期待だけさせるなんていちばん酷いことでしょう?』

一瞬の間が空いた。この言葉を聞いて彼は何を想ったのだろう。好きな人からの二度目の断りの言葉を聞いて、今。どんな心境なのだろう。
放課後。彼の背後にはテニスコートが見える、人気の居ない裏側で。彼の姿を片時も離さずに見つめていた。
顔を上げた彼の表情を見て、わたしは息を呑んでしまった。

「ええよ。そんなもん。俺が変えてやる」

今までに見た事がないくらい真剣な眼差しに、その場に固まってしまった。

「俺この後部活あるんやけど、もし待っててくれんのなら送るけど、どないする?」
『――』
「…?みょうじ?」

彼が屈んでわたしの顔を覗く。それでやっと動けたわたしは急に居た堪れなくなって鞄の紐を強く握り。

『帰る!!』

その場を脱兎の如く走り去った。息が上がる中それだけで上気した訳ではない頬が、とても熱かった。
意味、わかんない。

「あたし、忍足君の事好きかも」
『え』

数日後。突然友人が言いだしたこの一言にわたしは何だか脱力した。理由はわからない。けど何だか……力が抜けた。



※ ※ ※




さっきの友人の話でわたしは思い出してしまう。忍足謙也に対する自分の気持ち。それが一体どんな形をしているのか。
今は曖昧でもやもやするけど、きっと。多分。絶対……?

『好き、なのかもしれない』

それは本当に小さな囁きに過ぎなかった。なのに後ろから君の声が聴こえたんだ。

「それって誰のことや?」

自動販売機の前でしゃがみ込んでいるわたしの背後に居る。忍足謙也が。

「なあ、誰のこと?」

二度目の問いに振り返る。渡り廊下の錆びれた手すりに背を預けてわたしを真っ直ぐ見つめる。試合はいつの間に終わったのだろう?そう言えば彼への声援が聴こえない。

「ついさっき終わったんや。試合は勝ったで」
『そうなんだ。お疲れ様』
「なあ、そないな事はいいから。俺の質問に答えてや…誰なん?」

あの真剣な顔でわたしを見つめる彼の瞳が、わたしの動悸を早くさせる。頬が熱いな。口が開かない。
沈黙を保っているといつの間にかわたしの視線の先に、彼の靴が見えた。そしてしゃがみ込むのが気配でわかる。
近いな。こんなに至近距離になったのは二度目だ。あの時はこんなに身体は熱くなかった。動悸も激しくなかったし。
冷たい渡り廊下にはみ出したわたしの指に彼の指が軽く触れる。その温もりに気がつくと引っ込めてしまいたくなる。けど、彼は追い詰めるように指を交差してくる。今度は逃がしてやらない。そう訴えるように。
自然と顔を上げる。わたしの顔に影がかかる。彼の髪がわたしの頬にかかる。……迫ってくる彼を避けようとは、思わなかった。
風が吹き抜ける。わたしの束ねた髪が揺れる。二人の距離はもうマイナス5センチ。
そっと離れて行く彼の甘くない唇。そしてわたしより驚いている彼の顔を見つけた。

「なんで……避けんかったんや」
『……なんでだろう?わかんない』
「わかんないって……それッ!」

一方的に交差させた指に力を込める。思考よりも先に心が動いた。

『わかんないけど……避けたくなかった』

そうだったのかな? 自分自身の気持ちにもついて行けない。のに、わたしの指はあなたを離さなかった。

「なっ……!アカン!アカンって!!」
『え』

彼の顔を見ると顔中が真っ赤だった。まるでりんごみたいに。慌ててる?恥ずかしがってる?動揺してるのかな。
自然と微笑んでしまう。彼もわたしの指だけは離さない。

「えっと……もう一回」
『?』
「もう一回……してええか」
『……うん』

そう返事をする。噛みしめるように。今の自分の理解出来ない気持ちをずっと保ち続けるために。そして、彼の赤い頬を見たいがために。
二度目の唇はやけどをしそうな程熱くて、ほんのり甘ったるいシロップの味がした。