名前で呼ばれる事
今日も図書室から鑑賞日記をつけようと思います。
図書委員は、静かで地味で誰も率先してやりたがらない職種だけど、わたしは地味目の職が好きだから率先して図書委員になった。
良かった事は、放課後ゆっくりと読書タイムが取れる事。本のリクエストの融通がわりと聞いてくれる事。それから…君の姿が見れる事。
図書室は離れにあるからテニスコートが見れないと思っていたけど、実は穴場でよく見渡せた。とある窓辺の一か所だけだけど。
そこを知っているのはわたしだけ。たまたま本の返却作業をしていたら、不二周助くんの練習姿が見えたから。
そう、不二周助くんがわたしの鑑賞相手。
同じ学年だけど、クラスも違うけど、話した事もないけど、天才と呼ばれているのに練習を欠かさない姿に見惚れて以来。
ここから君の練習風景を眺めるのが日課になっていた。
今日も、例外なく作業をしながら彼の練習風景を覗く。いつも通りの笑顔がそこにあるのが確認出来ると胸をなでおろす。
元気そうだ。そして、楽しそうだ。
彼のそんな姿を見るとこちらまでも嬉しくなる。元気になれる。仕事も楽しくなる。
全てが倍返しのように増えるから、胸の高鳴りが心地よく思える。
今日はカウンターの仕事ではないため、本の整理整頓を主に作業をしていると、窓からコツンと何かがぶつかる音が聴こえた。
何だろうと、思い窓辺へ近づき開け放つとそこには、黄色いテニスボールが転がっていた。
窓にぶつかった音ではなくて壁に当たった音だったようだ。遠くからこのボールを飛ばした張本人であろう人物が現れた。その姿を瞳に映した瞬間、わたしの思考はまず停止した。
「ボールぶつからなかった?」
『……あ。だ、ダイジョウブ』
片事の日本語で恥ずかしくなり俯くわたしに、彼は優しげな声色で。
「そっか。よかった」
と、言ってくれる。その声に何だか胸の奥から温かなメロディが流れてくる気がして、くすぐったくてでも嬉しくて愛しくて自然と微笑んでしまうわたしがいる。
優しいな。
こんな、話した事も無いわたしに対しても、分け隔てなく接してくれるなんて。王子様みたい。
ふと、影が差したから顔を上げると目の前に屈んでわたしの顔を覗きこむ不二くんの姿が飛び込んでくる。
驚いて『わわ!』と声を上げて数歩後退してしまう。窓と壁に隔てたわたしと不二くんの距離。だけど、自然と後退してしまった。
どうしよう、引かれちゃったかな……?
不安がよぎる。わたしの存在を知らなくても嫌われたくない。悪印象を持たれたくない。不安で再び一歩前へ近づくと。不二くんは不意に腕を伸ばしてわたしの手を軽く握る。それはとても優しく触れるような感覚で振りほどく事も出来なくて、逃げられなくてその場に佇む。軽く引かれる腕と再び一歩前へ出る足。不二くんの顔には優しい微笑み。
「……よかったら一緒に帰らない?」
『え』
言われている意味が理解出来ずに、心拍がドキドキと鼓膜を覆う。けれど、彼の透き通った声はしっかりと届くようになっているようで。
「もっと、ちゃんと、君の事を知りたいんだ…苗字さん」
わたしの名前…知って……。
思わず自由な片手が口元を抑える。自然と溢れる涙が頬を濡らす。突然泣きだしてしまったわたしに不二くんは驚いて少し慌ててしまう。
「あ。ごめんね。何だか唐突すぎちゃったかな」
違う、違うの。
それを伝えたくて首を左右に降って、わたしは泣きながら頬を緩ました。
『かえりたい…わたしも。不二くんと……かえり、たい、ですっ』
涙声が邪魔をするけど、しっかりと届くといいな。嬉しさと温かさが入り混じった夕日の出来ごと。