その背中に恋をした


「あっつぅ……梅雨開け宣言遅かったとは言え突然の猛暑とか世界が遂にあたし達を殺しにかかってる気しかしないわ」
「増えすぎた人間を減らすために気温操ったらもう謀反だよね」
「あんたが言うとそのまま選ばれし勇者となって世界を救う旅に出そうで怖いんだけど」
「なにがだよ」


携帯ゲームをピコピコ進めながら渡り廊下を友人と歩いていた。装備を揃えるためにダンジョン攻略は必須。だがアビリティも習得したいところ。でも遺跡のマップ読みづらい。何処だよ宝箱。眉を寄せ悩んでいると視界の端に女子制服が流れた。嘲笑が微かに聞こえ立ち止まる。友人が気がついて振り返る。ああ、この感じは久しぶりだな。セーブポイントでセーブをしてから電源を切り、友人にゲーム機を手渡した。


「ちょっとこれ持ってて」
「え?いいけど」


彼女より前に出て早歩きで進むと砂利を踏む音がし、そちらへ向く瞬間何かが真横から飛んで来て腕で咄嗟に庇う。骨にあたり盛大な音をたてて地面に転がるバケツ。そしてその中に水が入っていたのか中身が肩から下に目掛けて濡れてしまった。
中った個所を手で押さえると特有的な「クスクス」と笑う声が聞こえた。友人が青ざめた顔をして駆け寄ってくれる。


「だっ、大丈夫?!なんでバケツが飛んできたのよ」
「ああ、うん。大丈夫。それよりそっちは平気?」
「あたしは大丈夫だけど」
「そうじゃなくてゲーム機。水掛かってないよね?壊れたら修理代が高いんだよね」
「お前ほんとっブレねえな」


友人の拳がぐりぐりと頬を押される。しかし、庇った腕が痺れていてとてもじゃないが持てそうになかった。左手でゲーム機を受け取る。


「しかし盛大に濡れたね。着替えある?」
「今日は体育なかったから持ってきてないんだよね。まあ寮に戻ればあるから着替えにいくかな」
「でも授業には間に合いね」
「別に自然乾燥でもいいけど」
「あんたって子は……」


頭を抱える友人に首を傾げた。





「ということがあってね」
「ふざけてんナ……なにそれ。苗字チャンにバケツ投げて水被らせたヤツがいるってことだヨネ。一遍締めてやんヨ」
「意外に意見が合うな。荒北。青痣を作らせるなどどんな理由があれ納得いかんな」
「保護者たちがめっちゃ怒ってる」
「まだ右手痺れてる。ペンは握れそうにないな…あこちゃん。今日の午後授業のノートコピらせて」
「別にいいけど。あんたは通常運転だね」
「いやいやそこまで図太くないよ。普通に濡れた服が張り付いて気持ち悪い」
「ああそっち!?そっちね!!そうね!着替えの服だね、先!」


ベッドのカーテンを仕切りに養護教諭に下着を借りた。濡れた服を脱ぎタオルで水気をふき取りながら下着に袖を通す。


「着替えになる服は」
「持ってきたんで大丈夫デス」
「間に合っているのでお気になさらず」
「え…ああ、そう。じゃあ着替えたら洗濯機使っていいからね。君たちも授業に出るのよ」


養護教諭はそう言って保健室を後にする。友人が引き気味の顔をしていた。カーテンの隙間から受け取った服は無地の黒Tシャツとジャージのズボンだった。友人が無言でそれらを見下ろしながらカーテン越しにまだいる彼らに声をかける。


「で。どっちがどれだ?それぞれ違うよなコレ」
「なっ、何言っちゃってんの。し、新品だし」
「そ、そうだぞ深山女子!べべべ、別に私物を渡した訳ではないぞ」
「答え言ってんだよ。馬鹿なの?まあいいけど。ほら名前。Tシャツが荒北でジャージが東堂だから」

「「 なんでわかったんだ 」」

「ふたりともありがとう」


服を受け取りTシャツを着て、ジャージを履いた。ジャージは裾が長すぎたのでまくる。ウエスト細いな東堂。ゴムだから入ったけど。荒北くんのは大きい…やっぱ体格差って男女で浮き彫りになるな。と感心しているとあこちゃんが髪をまとめてくれた。


「少し毛先が濡れちゃったからお団子にしてあげる」
「ありがとう」


首筋に風が通り始める。ああ、夏だな。と感じつつ支度が整いカーテンを開閉した。


「洗濯機ってどこだっけ?」
「こっちだよ。外部活用に洗濯機が備え付けられてるから。流石に下着は洗えないからタオルで包んでなさいよ」
「はぁーい……なに。ふたりして」
「べっ、別にナンもないヨ」
「あ、ああ。全くだな。その通りだな」


互いに斜め上へ目線を上げていた。なんなんだこのふたり。挙動不審な行動に怪しげな視線を送っていると「やめてあげなさい」と肩を掴まれた。あこちゃんに。


「DTは想像力が偉大だから。あまり刺激してあげると泣いちゃうわよ」
「え?なんて?」
「ッセ!!」
「深山女子ィィイイ!!」


騒がしいな。とぼんやり思いながら窓の外へと視線を向けた。何か久しぶりだったな。あの感じ。なんで再熱みたいに膨れ上がったのか。わからないが火種が飛んできただけのこと。今までの旅路の記録が失わないのであればどうでもいいや。私には興味も関心も何もなかった。


「あたしが洗濯機にかけに行ってあげるからあんたらは仲良く教室にいってなさい」
「私も行くよ」
「いいから。心配で駆け付けてくれたあいつらに少しは役割を与えてあげなさいよ」


耳元であこちゃんにそう言われ、彼女は制服を持って行ってしまった。その背中を見送りながら「いくヨ」と荒北くんに声をかけられ少し立ち止まってから二人を追いかけた。


「水かけるとか女子も大変だネ。やることが陰湿すぎて」
「女性は感情的な生き物だからな。突き動かされてしまえばそんな行動さえどうでもいいのだろう。それが誰かを傷つけることになろうとも。己が傷ついているという事実が圧倒的に思考を支配しているものだからな」
「だからって傷つけられたから傷つけるっていう理屈は通らないンじゃナい?」
「そうだな。しかし水の入ったバケツを投げつけるなど余程傷つけられたと見受けられる。俺であればそんな思いはさせないのだがな」
「言ってろバァカ。苗字チャン痛むの?」
「先程からだんまりだな……って何をしている」
「え?旅の続き?ダンジョンの地図入手したから一気に宝箱開けに行こうかなって」
「ゲームしてる場合かヨ!!苗字チャン本当にすきだネ!!」
「ゲーム機庇うくらいなら己を守れ!!」
「え?何を言ってるの。世界を救う途中の私にそれを放棄することなど出来る訳がない。私しかこの世界を救えないのならたとえ己が傷つこうともそれを代償として私は世界救う選択をするが、なにか!!」
「勇者の心構えがハンパないんだけど?!」
「現実世界に帰ってきなさい!!」
「人の感情なんて誰にも推し量れるものではないんだからどうでもいいんじゃない?自分が傷つけられたから傷つける、なんて。人間らしいじゃん。自然の摂理でしょ。理性を踏み越えても冷めなかったってことならそれでいいんじゃないかな。その後の顛末も尻ぬぐいするつもりで行動したんなら」


まあ、どうでもいいっていうのが本音なんだけど。他人の感情なんて知りたくもないね。そんなつまらないモノ。ただ思うことはそこまでして堕ちたくないな、ってだけかな。


「それに、世界を救わんとする私からすればそんな小さないざこざなんて些末なことだよ」
「心広すぎジャない」
「あ。服は洗って返すね」
「いや洗わなくていいよ」
「手を煩わせる訳にはいかんからな」
「いや、何言ってんの?私は帰宅部。君たち自転車部。私の方が圧倒的に自由時間多いんですけど?手間とかいいから。洗って返します。それくらい出来ますぅ」
「(くそかわ)別にいいって。あーほら、苗字チャンバイトしてるんでしょ?大変じゃん。いいから気にすんな。お礼とかの意味があるなら別のモンで代替えして」
「(愛くるしい)そうだぞ。忙しいのはお互い同じ条件だ。それに洗い方にまでこだわりの製法というものがあるんだ。だから気にしないでくれていい」
「東堂って洗い方にまでこだわってるんだ。そこまで気を配って女の子にモテたいなんてすごい執念だね。一周回って関心した」
「素直にキモいって言っていいヨ」
「キモくはないな!」





「ったくさ。苗字チャンは天然通り越して、危なっかしくて目が離せないよね。よくここまで無事に生きてこれたナ。自然に淘汰されても違和感ないンですけど」
「普通は狙われることに対して恐怖心を抱くところを彼女はあっさり受け入れてしまうのが危うい。何故あそこまで自分に興味がないのか」
「そういうことがあったんですね。因みにどこの人がそんな事を俺の名前先輩にしたんですか?生まれてきたことを後悔させてきますよ」
「笑顔で真波はとんでもない爆弾を投下するんじゃない。収集においつけんだろ。あとお前のものではないからな。だが俺たちも現場に居合わせた訳ではないのでな。見当がつかんのだよ」
「ええ〜東堂さんは本当につかえませんね」
「お前は少々はっきり言いすぎではないか」
「東堂が使えない奴なのは知ってっけど。こういう事って中学でもあったの?福チャン」


福富は隣に座り会話を傍観している新開へ視線を移すが、直ぐに向き直り荒北たちへと答えた。


「そうだな。あいつは昔からどこ吹く風だった。他人に振り回されることが一番くだらないと思うような奴だ。深く追求すらしない。ご飯を食べる事と同じことだと言っていた」
「あァ……自然の摂理ってヤツね」


誰もが押し黙った。何故なら福富の言葉の真理を理解したからだ。つまり中学の頃が一番酷くその経験を得て今に至る彼女の反応。慣れた対応。何処か諦めている部分に誰もが口を閉ざした。助けを求めない姿勢。仕方のないことだと片付けてしまう。だが彼女の心は確実に磨り減ったことだろう。それが現状の結果なのならそれはとても悲しい事のように思えた。
だが、福富の更に隠された真実を見抜いたのは唯一ひとりだけ。


「またそんな事をしてきたらその時は守ってあげればいいだけの話じゃないのか」
「新開。助けると言っても苗字に矛先が向かぬようにするのは至難の技だぞ」
「だが見て見ぬフリはしないつもりだけどヨ」
「そうですね。じゃあこの手の事に大変詳しい新開さんに教えてもらいましょうよ。今までどうやって払いのけてきたんですか?」


真波が立ち上がり新開の顔を覗くようにかがむ。邪気のない笑みを浮かべたまま真波はそう尋ねた。まるでお前の所為で、と名指しされたようなこの雰囲気の中で新開は口元を歪ませた。そう笑ったのだ。彼は、笑ったのだ。その反応に荒北が立ち上がり新開の傍までいくと胸倉をつかんだ。今にも殴りかかりそうな所を踏み止まっている。東堂は腕を組みながら眼光を鋭くさせた。


「フク。どういうことだ」
「ああ、待った待った。尽八。寿一は関係ないから。話すよ。だから寿一は戻ってくれ。指示待ちをしているだろう後輩たちが」
「ほどほどにな」


福富が部室から出て行く。扉が閉まると同時に荒北が荒げた声を上げた。


「新開、テメェエ!」
「荒北。落ち着け。怒る気持ちは十分理解できるし本来。俺ですら止めたくもないが一応聴こうではないか」


荒北の肩を掴み東堂が促す。頭に血が上った荒北だったが襟首を突き放し背を向けた。


「視界に入ると次は殴りそうだから」
「すまねえな尽八」
「謝るな。虫唾が走る。お前の為に止めたのではない」
「そうだな。まあ別に俺もその気はない。ただ純粋な独占欲ってやつだよ。あるだろ?そういう気持ち。膨れ上がると止められないだろ。わかっていても」





「好きです。新開くんが好きなんです。わたしと付き合ってください」


女の子の呼び出しだとわかっていた。すっぽかすことは相手に悪いと思って指定された場所に行き、話を聴く。答えは決まっているのにそれでも悪人を演じなければならないのは果たして好意を抱かれた人間の特権なのだろうか。いや、そんなことないだろ。断る方だってエネルギーを消費するんだ。良心ってものは備わっているからな。相手の子に釣り合うような断り方をして、女の子が去っていく。時間をあけていかないと鉢合わせちまう。時間を見計らって移動を始めた。渡り廊下の近くまでやってくると、開けた視界になる。


「聞いて福富くん!」
「どうした苗字」
「あのねあのね!漸く実装されるの!待ちに待ったんだ。ずっと早くうちの子にしたくてうずうずしてるんだよ。だってね。七章でめちゃくちゃかわいかったの。凄く助けられたの。めちゃりんこ会いたいの。うぅ〜〜待ち遠しいよ」
「そうか。よかったな」


なんで隠れる必要があるのか。と尋ねられると返答に困るが、敢えて言うなら“癖”だ。
中学時代からこうして寿一と苗字が話している姿を陰から見ていた習慣の賜物だろう。高校に入ってからはこの場面をあまり見なかったが、久しぶりに映像として脳裏にこびりついた。前髪をかきあげる。ああ、こいつは参った。


「新開くん」


見覚えのない女の子だな。同級生?頬を染めて上目遣い。何かに期待して揺れる瞳。傷つきたくない。誰だって思う。そうこの想いを否定なんてされたくないと叫ぶ。


「なに?」
「新開くんってどんなに可愛い子でも美人な子でもフるよね。それってあの噂と関係があるの?」
「ん?あのうわさ?」
「し、新開くんが下の名前で呼ぶ女の子が好きな子ってうわさっ」
「へぇ…そいつは驚いた。そんな噂になるような情報でもないだろうに」
「新開くんって優しいけど女の子を下の名前で呼ばないから……わかりやすいよね」
「そう?区別をつけたいって思っただけだよ」


下の名前で呼ぶのはコール音と一緒。繋がりたいのに相手は受話器をとってはくれないだけだ。色素の薄い髪が靡くから捕まえる。顔を近づけてかわいい人形に声をかける。


「ねえ、きみってかわいいね。あの子はあまり女の子らしくないから、凄く残念だよ」


女の子はすっと首を動かす。彼女の視線の先には寿一に熱弁している名前が映っていることだろう。
ああ、早く出てくれよ。鳴りやまない早鐘が脳内に反響した。






「くっそ胸糞わりぃ」
「同感だ」
「新開さん酷い言われ様ですね」
「そういう真波は割と似たような印象なんだがな」
「まあ、そうですね。解らなくはないですよ。俺も少なからずそっち側ですから…でもね新開さん。俺は行動も含めて自分で実行したい方だから理解は出来ないかな」


笑っていない真波の薄っすらと感じる怒気に「ヒュウ」と口笛を軽くふいた新開。髪を掻き乱しながら荒北は「ああ!」と声を荒げた。


「ったくどいつもこいつも碌な野郎がいねえナ。そんな奴らに好かれて可哀想な苗字チャンだぜ」
「それって自虐ネタですか?自分の事も含めて言うなんて荒北さんって意外に初心ですよね」
「ッセ!性根が腐りすぎてゲロ吐きそうだ!走ってくる」


荒北が乱暴に部室のドアを開け放ち出て行く。


「隼人。俺は笑っている方が好きなのだよ。どんなに意識がなくとも俺はただ彼女が笑っていてくれるだけで胸が痛くなる。だがその痛みは抱えて生きていけるほどには優しい棘にすぎんよ」


東堂も続いて部室から去る一方で真波が自分の番を待っていた。新開は「おめさんも言いな」と掌を向けると新開の後ろの壁に向かって拳をあてて殴り飛ばした。


「あ、態とですよ。態と中てないようにしたんです。だって望んでいる人に与えるなんて優しいことは俺の役割じゃないんで。でも殴ったのはどうしても一発くらいは殴らないと気が収まらなかった、ってだけです。だって先輩を傷つけていいのは俺だけだから。みみっちいことしないでくださいよ、直線鬼さん」


「あーいったい」と言って真波は赤く腫れあがった左手を左右に振りながら出て行った。残ったのは新開ただひとり。


「優しいなまったく」


後頭部をかきながらパワーバーを開けた。彼は望んだのだ。誰か一人は殴ってくれるんじゃないかって。でも誰もそうはしなかった。きっと彼の望みを少なからず察したのだろう。だから敢えて誰もしなかった。新開は遅れながら部室を出ていく。


「あれ?新開くん。まだいたの?もうみんな走りに行ったけど」
「っ…名前。歩きながらゲームすると危ないぞ」
「ああ、大丈夫。気配を察知するアビリティは習得済みだから」
「そっか」


新開は利き手に巻かれた包帯に視線を落とした。


「腕、大丈夫かい?」
「これね。別に。痺れてあんまり感覚ないけど」
「ごめんね」
「何で新開くんが謝るの?」
「謝っておかないとつり合いが取れない気がしてね。なんなら俺の利き手鉄パイプで殴る?いいよそれでも」
「お馬鹿な事言ってないで練習してきなよ」
「はいよ。でも本当にごめん」
「新開くん。かがんで」
「え?」
「いいからかがめ」
「あ、はい」


目線までかがんだ新開の額を平手打ちした名前。パシィっといい音が辺りに響き渡る。
目を丸くさせた新開が驚いた顔をして名前を見つめると、彼女は仕方がないっと笑ってみせた。


「はい。これで両成敗ね。そんでちゃっちゃと練習にいってこい。私は世界を救うのに忙しいから帰る。じゃあね」
「あ、ああ……また」


手を振って颯爽と去った名前の背中を見つめながら新開はつぶやいた。何処か清々しい表情をしながら。


「好きだよ」