エチュードで終わらない


最初に出逢ったのはいつだったか…思い出すことは容易いことだった。あれは気慣れない学ランの袖に腕を通し、服に着せられている自分の姿を「カッコ悪い」と思っていた時季だった。きっかけはたいして事ではない。隣の席になって「よろしくね」と言って笑うあいつを見て、俺も同じように返したら思い切り吹き出し笑い飛ばしたのは後にも先にもあいつだけだった。

それが最初だったと思う。突き詰めれば一目惚れだ。一目見たその時からもうあいつが視界から、脳裏から消える事はなかった。

自分なりには努力した方だと思う。基本的に他人とコミュニケーションを図るなんて俺には不向きだ。だが、声をかけた。それでも、何も話がなくともきっかけを探して、小さなことでもあいつに声をかけ続けた。そしたらあいつは答えてくれる。どんな些細な事でも返してくれた。一年の大半を共に過ごした。席替えの度にあいつの隣になるよう工作もしたがあいつは「偶然だね」と何度も口にした。鈍感もここまでくれば天然だ。だけど気持ちにはまだ気づいて欲しくはなかったから丁度よかった。

玉砕覚悟?

俺はそんなところに落ち着こうとは思っていない。目指すなら、叶うなら、望むなら、あいつの笑った顔を隣で見続けられる場所にいたい。そんな位置にいたい。そういう人間になりたい。近くで、傍で、ずっと、永遠に……そんな夢みたいことを想う時点で俺のあいつに対する想いは大きすぎた。それでも望んちまう。お前とそうなりたいと。確かくだらないと思っていた恋愛小説でこんな一文があった。

“きみの一番になりたい。いつも、どこでも、きみの中で僕はたったひとりの人でありたい”

クサすぎる台詞だと思ったが、本当にそうだとも思えた。





「巻島くんって実はドMなの?」
「はっ?!いきなし何言ってんショ」


ペットボトルに差し込んだストローが水圧に負けて押し戻されていく。おかげで補給が出来ずに終わった。俺に問いかけた女は名前の友人である谷川。甘ったるそうないちごみるくを飲みながら窓辺に腕を垂れ流す。
暮れていく教室内で前後に座る俺たちは窓から入り込む風とカーテンの揺らめきを間に挟む。


「だって巻島くんって名前の事好きでしょ」
「……だからそれが何で性癖に繋がるショ」
「否定しないんだ。男前だね意外に」
「あんた相手に否定したところで意味ないっショ。それに嘘でも否定なんざしたくねえ」
「本当に男前だね」


軽快に笑う谷川に対し熱が籠る頬を緋色へ差し出す。誤魔化し程度にはなるだろ。情けない顔を晒す趣味はない。


「だったら猶更。何で告白しなかったの?いい感じなのにあんた達ふたりも」
「クハッ、そりゃ慣れない事をしてるんだ。そうでなくちゃ困る……だけど、あいつは違うショ」


ストローの先を歯で噛みながら喉を潤す。見ていればわかる。あの視線は俺に向けられたことのない熱視線。そしてそこに含まれる意味を俺は経験済みだ。なにせ俺自身があいつに対してその熱視線を向けているんだからな。わからないなんて嘘にしては間抜けすぎる。


「何か奢ろうか?」
「別にいいショ。それに俺は最初から持久戦狙いだ。達成できないなら出来るまでタイミングを計るまでショ」


口笛をふく谷川。その顔はからかいの表情へと変わる。


「これはちょっと心配だな。巻島くんねちっこそうだから」
「別に重たいだけっショ」
「それが心配なんだってば。あの子はそういうの気にしなさそうだけど。ってか気づかなさそう。いいんだが悪いんだが……まあ、頑張れや巻島くん。あたしは君の方がマシかな」


背筋を伸ばして谷川は下で恋人と話している名前を見下ろした。惹かれるように下へ向けると名前は頬を緩ませながら相手の話を聴き、笑っている。あの笑顔は俺に向けられたことのない類のもの。

嫉妬?

普通にしてるショ。当たり前だろ。そんなの。好きな女が自分以外の男に愛想を向けているんだ。これで怒らない男はいない。独占したいに決まっている。その笑顔さえも欲したいと叫ぶ。だけど、まだその時じゃない。なら俺はずっとその時が来るまで待つだけ。ずっと待つだけだ。


「待つのは嫌いじゃないショ。進むためのものならそんなもの幾らでも待ってやるよ」


ふと、名前が上を見上げた。谷川が手を振ると名前は俺も視界にとらえあのひまわりの笑顔で手を振った。


「巻ちゃーん、みなこちゃーん」


友達なんて安易な場所にいつまでもいるつもりはない。
例えお前が望んだとしても俺は、生涯ただひとりのお前の人間でありたい。