吐息の季節


朝から七瀬くんが不機嫌だった。それを私は、放課後になるまで気がつかなかった。そう、橘くんに言われるまでは………。


「七瀬くんの機嫌が悪い……?」


ピンとこないその表現に首を傾げる私を覗いては、弓夏ちゃんも橘くんの指摘に対して同意していた。


「何かイライラしてんね」
「そうなんだよ。何があったか聞こうとしても。何でも無いとか言われちゃうし」


心配だな、と橘くんは幼馴染のよしみで七瀬くんの容態を深刻に受け止めていた。それは対照的に弓夏ちゃんは「 食辺りじゃない? 」とどこか適当だった。そんな二人の会話を終始黙って聞きながら、七瀬くんへと視線をこっそりと投げる。別に普段通りに見えるその七瀬くんの立ち振る舞いに、大げさだなっと想っていた。ぼんやりと窓の外へと視線を投げる彼の姿は本当に普段通りだった。


「名前、部活行ってくるね」
「いってらっしゃい」


手を振って弓夏ちゃんを送りだす。教室掃除が終わっていない私は忙しなく動いていた。


「苗字」
「あ、七瀬くん。ありがとう」


ちりとりを持ってしゃがんでくれる七瀬くんにお礼を言いながら掃除を続ける。今日の掃除当番は七瀬くんの班と一緒だった。


「誰かゴミ捨て行ってくんね?」


クラスメイトがそう言うと皆「 ええー 」と渋る。確かに、私も言葉を濁す。うちの焼却炉は薄気味悪い場所にあるためあまり、誰も自ら進んで行きたがる人はいない。それに、ゴミを捨てに行くと言うニアンスもネックなのだ。
そして、やはり、こういう時の決めごとと言うのも御馴染みの、アレで決まる。


「………ごめん、七瀬くん」
「別にいい」


今日は運がとことんないような気がする。じゃんけんに負けてしまった。しかも七瀬くんに気を遣ってもらって一緒にゴミ捨てに焼却炉までお付き合いしていただいている。正直、申し訳ない。ゴミ箱を互いに持ち手を左右に持って、歩く。身長差もさることながら、誰からも注目の的だった。


「ごめん」
「いい」


二重の意味で謝り続けた。少し斜めっているゴミ箱。凸凹した後姿に、クスクス声は鳴りやまない。うわーん、やめてくれ。泣き言はやっぱり心の中だけで木霊した。
鬱蒼とした木々に囲まれた焼却炉にやっと着いたころには、私の精神的ダメージは瀕死状態だった。普段から身長の事でからかいなれていたけれど、七瀬くんも一緒だと更に重圧な罪悪感が襲って来て、それが負担よいうより重かった。
中身を焼却炉の中へと入れて、ゴミ捨てが完了すると見えない汗を拭った。


「ここまでありがとう」
「別に。お前がじゃんけん弱かっただけだから気にするな」
「それはとっても気にするよ?」


棘々しい七瀬くんの言葉に、心臓は痛かった。刺さった棘を抜きながらふと見上げた七瀬くんの横顔を見つめてしまう。やっぱり普通に見える。橘くんも弓夏ちゃんも考え過ぎなんじゃないかな?小首を傾げながら戻ろうと声をかけると七瀬くんは急に歩きだした私の手首を掴んだ。思わず後ろへ引っ張られて体勢が狂うが、何とか踏ん張った。


「どうしたの?」


振り返り七瀬くんを見上げると、そこには、いつも澄んだ蒼い瞳が今日は揺れていた。心情を現すかのように波紋するその蒼に私は言葉を閉ざした。


「――昨日。凛と居なかったか?」
「居たけど……」
「何で居た」
「何でって…たまたま雨宿りしていたら松岡くんに会って少し喋ってただけだけど…」
「楽しそうにか?」


その言葉に私は何と答えたらいいかわからなくなった。普通友人に会ったら話をするだろう。それを傍から見て仲良く見えたり、楽しそうだったらそれは普通で当たり前の事で、特別に抜粋する言葉ではない気がする。なのに、七瀬くんの中ではそうではなかった。掴まれる手首の圧迫が強さを増しては、白へと染め上げていく。


「―――ッ、凛の方がいいのか?」
「えっ」


絞り出されたその声に私は思わず弾かれたように顔を上げた。瞳に映る七瀬くんはとても淋しそうな顔をしていて、どう声をかけたらいいのか苦悩する。


「ななせッ……!!」


名前を呼ぼうと動く口を塞いだのは、七瀬くんの唇だった。腰を曲げて彼が私の背丈に合わせて屈まれるキスに驚いて瞳を見開く。触れ合っている場所が熱を起したかのように熱くなる。


「はぁ」


触れ合いから離れると七瀬くんの吐息が当たる。気が動転して何の対応も出来ずにぼんやりと立ちつくしていると七瀬くんが少し視線を逸らして、眉を寄せて、妙な顔をしてこう云った。


「俺の前でも笑え」


拗ねた顔、とでも言うのだろうか。あまりにも突然すぎる行動と、その後のギャップに私は顔中に熱を集めては首を縦に振った。