夏に敬礼


「あっつぅー」


額から珠の様な汗が流れ落ちる。気温35度を超えたこの夏日。最近は温暖化現象で異常気象が多発している。35度など昔では考えられない程の暑さ、今ではすっかり麻痺した感覚で普通と化して来た。人間の順応能力というのは、時として恐ろしい物がある。佐々森(弓夏)さんがうちわで扇ぐ中、机の上で死んだように眠る苗字さんが居た。机の上に上半身全て収まってしまう程のサイズな苗字さん、結構可愛い。


「おーい、名前―。死ぬなー」
「むり……ヤダ」
「ヤダじゃねぇーよ」
「ぐはっ」
「エア吐血すんな」


チョップを喰らわせながら佐々森さんは苗字さんにも扇いで上げていた。そんな彼女達を見つめながら、ふと、視線を窓辺へと下げる。そう言えば……。目線の先には、プールサイドがあった。青い塗装が透き通る水を彩る。夏の風物詩。掌に打ちこむと、ハルが面倒くさそうな顔をしていた。


「プールに来ない?だって?」
「うん。今日は部活が休みになったから、どうかな?」


佐々森さんがガラの悪い不良のようにこちらに迫ってくるのを両手を上げて抵抗した。その横で手を扇に見立てて扇いでいる苗字さんへと視線をチラリと向ける。喉へと汗が伝っていく様をぼんやりと眺めてしまう。そんな俺に、佐々森さんはニヤリと笑った。


「別にいいよ」
「そっか。よかった」
「そんなに点数稼ぎしたいか、そうかそうか」
「うん、そうなんだ……って!違うよ!違う!!」
「そっかそっか。橘はスクール水着が好きか」
「ちょっと!変な事言わないでよ!!」


慌てて両手を振りまわし佐々森さんの肩を掴むけれど、佐々森さんは清々しい程の笑みを浮かべているだけで、その口は回り続けた。


「あーそんなに、名前が好きなのか」
「っんぐ?!」


息を詰まらせて、頬に上昇する熱の逃げ場を探しながら視線を落として顔を俯かせる。そんな肯定の意を露わした俺に、佐々森さんは息を吐きだして笑った。


「青春だね、青少年!」
「いった!」


背中を思い切り叩かれて、佐々森さんは少し離れた窓の傍に立っていた彼女へ声をかける。


「名前ープールで涼まない?」
「ん?」
「橘がどうって」


そう言ったら、彼女は笑顔で首を縦に振ってくれた。その笑顔は真夏の太陽みたいに煌びやかで真っ直ぐ見つめる事でさえ、緊張した。


「うぉー涼しいな!」
「何で俺がっ」


佐々森さんがプールサイドに座ってハルにうちわで扇がせていた。そんなことが出来る芸当者はきっと佐々森さんしか居ないと心の中で思う。ビニール袋を提げて辺りを見渡すと、タオルを頭から被った彼女が足先を水面につけてパシャパシャと遊んでいた。その小さな姿に俺は駆け寄りたい気持ちをなるべく抑えながら彼女へと近づいた。


「苗字さん」


声をかけるとこちらへ視線がやってくる。上目遣いで見つめられるその大きな瞳に、俺は汗が滴る。


「橘くん」
「隣いい?」
「どうぞ」


許可を得てから隣に腰掛けて、膝上まで捲くった足を同じように水面へと投げだす。少し生温い水温に苦笑した。


「やっぱ屋外だから水、生温いね」
「浸かれるだけでいいよー」


瞳を細めてパシャっと水を蹴る。足まで小さいのが何だか無性に愛らしくて悶えそうになるけど、グッと堪える。台無しに為る前に袋からアイスを取り出した。袋の封を切り、中から二つに繋がったパピコを取り出すと、それを切り離し、彼女へ差し出した。


「食べる?」
「ありがとう」


嬉しそうに受け取る彼女に、内心ガッツポーズした。珈琲味のパピコが好きだと佐々森さんから聞いていたから、彼女は嬉しそうに口をつけて食べるから、幸せな気分のまま眺める。よかった、それにして。
ちゅうちゅうと音を鳴らして食べる彼女に、俺も倣って同じ音を鳴らして食べた。
同じ物を共有する嬉しさは夏の暑さより、格別な物に成った。