群青色の世界


「壁ドンって実際無理じゃない?」
「ん?」


友人が突然、お菓子を咥えながら憂鬱そうにそう呟いた。PSPを両手で持っていた私は少しだけ同調するのが遅れてしまい、小首を傾げて、とりあえずセーブしてからゲームの電源をオフにして、しまってから彼女に向きあった。


「どうしたの?」


コテン、と音が鳴りそうな小首の傾げ方をした訳じゃないのだけど、何故か目の前の友人、弓夏ちゃんは頭を撫でて来て、ポッキーを差し出される。それをパクリと咥えて器用に食べる。


「それがさーよく少女漫画とかで壁に追い詰めて、閉じ込めるアレあるじゃない?」
「うん、あるね。寧ろ定番だね」
「すっごい憧れるんだけど……でも、さ……。実際、実行しようとしたら無理じゃないか?って事に気がついてね」


心なしか涙目の弓夏ちゃんの背を撫でてあげる。


「まあ、よっぽどの事じゃないと無理だね。でも、どうして今更?」
「……っ!聞いてよー!!!」


何故か、それが引き金となって、弓夏ちゃんは涙ながらに私に抱きついて語り始めた。どうやら弓夏ちゃんの彼氏さんが壁ドンをしてくれたらしいのだけれど…弓夏ちゃんの方が身長が高かったために、全く壁ドンが出来ていなくて、挙句の果てに弓夏ちゃんの方が追い詰めていたそうだ。
そんな虚しい話を聞いて、未だに抱きついて泣きつく弓夏ちゃんの頭を撫でて上げた。


「名前くらいの身長だったらもう、すっごいイイ構図なのにぃーその身長あたしにくれー!」
「私だって弓夏ちゃんの身長欲しいよ」
「あんたはこのままのサイズがベスト何だからそのままでいなさい。あたしの目の保養として」


何故か肩をがっしり掴まれて真顔でお願いされた。いや、やめてくれ、そのマジな感じ。


「はあ……壁ドン」


どうやら想到落ち込んでいるみたい。いつになく項垂れていた。こりゃ、迎えに来て貰おう。そう思って携帯を取り出して彼氏くんにメールを打って送信した。これでよし。弓夏ちゃんが机の上で伸びるからその横で私は天井を見上げた。
彼氏がいないから解らないけど、彼氏と彼女って大変だなって、そう思った。



弓夏ちゃんを彼氏さんに手渡してから、私は演劇部の脚本に遣いたい資料を求めて図書室に来ていた。ずらりと並ぶ棚の前で背表紙を指先でなぞりながら探していると、目の当ての本を見つけてそれを取ろうと手を伸ばすがどう考えても届かない。脚立を探しても周囲には見当たらないし、可笑しいなと思いつつもその本がなければ次の脚本が書けないために、頑張って背伸びをして「 うーん 」と唸りながら手を伸ばしていると、突然。後ろから声が聴こえた。


「何やってんの?」


この声に聞き覚えが合った。確か、同じクラスの七瀬遙くんだ。背伸びをしている最中だったため、後ろに降り返れなくてそのまま会話を続けた。


「あの本を取りたいんだけど……届かなくてっ」
「アンタの身長じゃ無理だろ。貸して」


そう言って、七瀬くんは一歩近寄り私よりも遙か高い位置まで手を伸ばして、簡単に取ってしまった。その高さに私は何だか感動と変な劣等感に苛まれて頬を少し膨らませた。低い位置にある背表紙とにらめっこしながら落ち込んでいると後ろで七瀬くんが「 ほら 」と本を差し出してくれていると思って、振り返る事にした。


「ありがとう七瀬くん」


それを受け取り微笑むと七瀬くんは「 ん 」と無口ながらも私を見降ろした。だけど、私は後に気がつく。この距離の近さに。
振り返った瞬間、七瀬くんの制服と私の制服がすれ違う。それ程の距離に私は、離れない七瀬くんに戸惑いながらも口を開く。


「あ、あの…七瀬くん」
「なんだ?」
「あ、えっと……その。距離、近くない?」
「……別に」
「(いやいや別にって距離じゃないよ?!)でも…私、コレ貸出しに行きたいんだけど」


苦し紛れに、そこどいて?風に言葉を選びながら告げたにも関わらず、七瀬くんはどくどころか一歩近寄って来た。もう既に密着寸前。体温が感じられてしまうのではないかと思う程接近され私は混乱する。


「な、七瀬くん?!!」


グルグル視界が回る中、七瀬くんは棚に手、だけじゃなくて肘までつけて小さな私を小さな檻にしまい込んだ。
本で顔を隠しながら視線だけは七瀬くんを見上げる。そんな私の少しだけ怯えた瞳に七瀬くんは無表情なその顔を崩した。


「壁に追い込まれた、感想は?」
「へっ……?」


教室で弓夏ちゃんと話していた内容を思い出して、私は赤面する。そんな私の反応に七瀬くんは見た事もない笑みを浮かべて私の鎖骨を覆う髪をくるくると指に巻き始めた。