火曜三限SA 休講


 名前の大学内での主な滞在ーー生息場所は鶯丸の研究室と図書館である。図書館の中でも最上階である五階にある一人用の机は大のお気に入りだ。
 最上階にある本は洋書や大判の専門書など、用のある人の少ないものが多くあまり人がいないため、静かに本を読んだり課題をするときだけでなく、居眠りをするのにも最適だからだ。良し悪しは別として、勝手知ったる鶯丸の研究室でも昼寝はできることではあるが、研究室には稀に訪問者がいることもあり、図書館の方がのんびり眠ることができる。

 かくいう今日も図書館最上階、一番奥の一人用の机というベストポジションを確保した名前は自身の卒論や取っている授業にまったく関係のない、デザインについての図録を一ページずつ眺めながらうとうととしている。今日は火曜日。時間は午後からの授業、三限目が始まってすぐ。今日の名前の履修している授業はお昼前の二限目のみ。いつもは三限目はSAとして鶯丸の授業に出るのだが、今日は彼が午後から用事があるらしく休講だ。

 少し前に入梅し、今日もあいにくの空模様。梅雨入り前は夏を思わせる日もあったというのに、雨続きのここ数日は少し冷える。とくに今日は薄手のカーディガンを着て来てしまったため、空調の効いた図書館とはいえ梅雨寒が少々堪える。
 もう少し本を眺めたら帰ろう、ああ、今日の食堂のランチも美味しかったなーー。重たい手でめくったページは見開きいっぱいに色鮮やかな写真。その詳細を見る前に名前の意識は午睡の海に沈んだ。





 今日の授業は二限目、そして休講になった三限目と、それから四限目。お昼過ぎの授業がなくなるという、一番サボりたくなる時間割だ。普段はこの三限目の時間は鶯丸の授業を取っているのだが今日は用があるとかで休講になっている。

 天気は雨。空き教室や食堂にいては帰りたくなる気持ちに抗えない。そこで大倶利伽羅は図書館へ来たのだった。ちょうど午前の授業でレポートの課題が出たので、その参考文献を探して、できればレポートも終わらせてしまおう。

 図書館の一階、入ると左手側には受付カウンターがある。その向かい、入って右手側にはその日の新聞や雑誌がお洒落な棚に並べられ、普通の机と椅子の他にソファも並べられている。一階の奥には書籍検索用のパソコンが並び、数人の生徒が検索をしたりメモに本の置き場所や情報を書き写していた。そんな一階には他の階とは違い、大きな窓があり、普段ならば開放感がある。晴れた日には図書館を囲む木々や、葉と葉の間からは青空が、幹の間からは道沿いに植えられた花々が見えて気持ちがいい。しかし今日は雨なのだ。残念ながら梅雨なのだ。窓からは灰色の景色が見えている。憂鬱な気分になって大倶利伽羅はため息を吐く。手早く参考になりそうな本を検索して、情報を書き写す。さらに奥にある階段室へ出ても、階段の折り返す踊り場の窓から見える風景に彩りは増えない。せいぜい階数が上がり、道行く生徒や教授の傘や服などが見渡せるようになったくらいだ。大倶利伽羅は三階にあった目当ての本を一冊手に取り空いている机を探すが、三階の一人用の机はすでに満席で大机しか空いていなかった。面倒に思いながらも、どうせなら最上階まで上がるか、と彼は再び階段室に足を向けた。





 肩にふわりとやわらかい温かさと軽やかな重さを感じて名前の意識は浮上した。ゆるゆると瞬きを繰り返すと目の前に彩り鮮やかな写真が広がる。本を開いたまま眠っていたらしい。そのままぼんやりとしていると、すぐそばで椅子を引く音がして名前はのそりと身を起こす。
と、肩からするりとなにかが滑る。半ば反射的にそれを抑えながら音のしたーー隣の机へ視線を向ける。

「あ……、大倶利伽羅くん?」
「……ああ」

机に彼の鞄と閉じられた本が一冊載っている。ちょうど今席に着いたところのようだ。肩辺りで押さえていたなにかに目を向ければ、男物のジャケット。

「これ、」
「……」
「ありがとう。あったかかったよ」

見たことのないジャケットだが、おそらく彼のものだろう。まだ半分ほど眠ったままの頭で考えて、結論に至る。寝起きらしく、いつもより幼い表情でふにゃりと頬を緩める名前に大倶利伽羅はふいと視線を外して席に着く。

「そうか。
 ……持っていろ」

短く応え本を開いた大倶利伽羅だったが、隣で名前がジャケットを軽く畳み立ち上がりかけるのを見ずに制する。

「四限まではここにいる。だから」

名前は言葉の続きを待つが大倶利伽羅は口を閉じたままだ。このまま使わせてくれるということだろう。

「ありがとう」

椅子に座りなおした名前に返事は来ないがチラリと視線が向けられた。表情はほとんど変わらないながら優しさを感じる視線に名前も微笑みを返す。その視線が再び本へ向けられたのを見て、名前は自身の目の前にひろがっていた図録を閉じて机の脇に避ける。そして改めて男物のジャケットを自分の肩に羽織るようにしてかけた。大きいから肩から背中、腰まですっぽりと包まれる。やはりあたたかい。腕を組んで枕にして頭を乗せる。名前のその顔は隣へ向けられている。

「おやすみ、大倶利伽羅くん」

眠気はすぐにやってきそうだ。しばらく勉強をする大倶利伽羅の横顔を眺めていようかと思っていたのだが名前の瞼はすでに重い。インターバルの長い瞬きの隙間、大倶利伽羅の小さな声が聞こえた気がした。お天気は悪いけれど、なんともしあわせなひるさがりだ。


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