お昼休み 食堂


「名前、行くか」
「行きます!」

 午前中のゼミも終わり、時間はお昼休み。三限目も続けて同じ教室でゼミがあるため、このままこの教室で昼食をとるゼミ生もいるが、名前は外で食べることが多い。お弁当と食堂と、半々ほどの割合だ。

 黒板の前、彼の定位置から鶯丸が立ち上がりながら、椅子一つ開けて隣に座った名前に声をかける。二限目が始まる前に約束したとおり、共に食堂で昼食をとるためだ。鶯丸は名前をSA業務外の雑務に使う代わりにときどきこうして食事を共にとる。口では文句を言いつつも、名前としては強制されたわけではなく好きで手伝っているだけなのだが、いただける好意はありがたく受けとることにしている。もちろんそれも鶯丸は分かった上で甘やかしてくれているようだが。
 鶯丸が扉を開けるのを横目に見ながら、名前は荷物を鞄に詰め込む。いつのまにか降り出した雨が教室の窓を叩いている。今朝準備したプリント、ルーズリーフ、筆記用具、それから数冊の参考文献ーーどの本も使わなかったけれど。



 ぱたぱたと小走りに廊下に出た名前の腕がぐっと引かれて、名前は思わずたたらを踏んだ。

「わ。お、大倶利伽羅くん。びっくりした、危ないでしょ……」

目を丸くする名前に向けられた視線は冷たいようで熱いような不思議な温度だ。廊下を挟むように教室が並んでいるため、廊下に出ると雨の音は聞こえない。

「どこに行く」
「食堂だけど……」
「……」
「なんだ、どうした」

てっきり先に行ってしまったと思っていた鶯丸の声がして、名前と大倶利伽羅が同時に顔を向けた。名前の腕が、掴んできた勢いが嘘のような優しさでそっと離される。

「痴話喧嘩か? 俺を巻き込んでくれるなよ。ーーああそうだ、大倶利伽羅、お前も一緒に来ればいい」
「は……?」
「昼食だ」

痴話喧嘩だなんて、と反論しようとした名前を無視して二人は会話をしている。

「お前の心配するようなことはない。俺との間にはな」
「……」

沈黙が落ちる。軽く笑う鶯丸に対して、隣の大倶利伽羅の雰囲気が鋭くなったのに慌てた名前が今度こそ口を挟む。

「も、もうせんせ、何不穏なこと言ってるんですか! 大倶利伽羅くんもせんせの悪ふざけを真面目に受けないで。ね、一緒にお昼食べない?」

まるで昼ドラのようなやりとりに名前が大きくため息を吐いて鶯丸を一瞥する。続いて鶯丸を睨むような目で見る大倶利伽羅の腕を軽く叩く。せんせの奢りだよ、と内緒話をするように言えばやっと大倶利伽羅の視線が名前に向けられた。

「ね、一緒に食べようよ」
「……わかった」





 廊下を進みいくつかの校舎を抜けていく。そして食堂に着くなり鶯丸は財布を名前に渡すとさっさと席を取りに行ってしまった。食券の券売機には数人が並んでいる。お弁当派も少なくないのだが、大学の近くに食事ができるところが多いこと、大学内でも購買で軽食を買えること、そしてなによりこの大学にはここ以外にも食堂があることから、食堂がごった返すことは少ない。

「何にするか決めてる? 私はね、いつも日替わりランチ!」
「あんたと同じでいい。……それより、いつもこんなことしてるのか」
「ランチのこと? ときどきね。せんせ、人使い……SA使いが荒いからねー、たまにはご馳走してもらわなきゃやってられないよね」

あはは、と名前が笑う。対照的に大倶利伽羅は少し眉を寄せた。券売機の短い行列は進み、前に並ぶのは一年生らしい初々しい女子二人組だけだ。いつもはお昼の日差しが差し込み、天気のいい日なら高い位置の窓が開かれて爽やかな空気の抜けていく食堂も、二限目の途中から降り出した雨のためお昼だというのに電気がつけられている。

「それもそうだが、いつもあいつはあんたを並ばせてるのか」

大倶利伽羅の言葉の意味を名前が問い返そうとしたところで前の女子が出てきた食券を手に奥のカウンターへ向かっていった。名前は慣れた手つきで財布からお金を取り出し食券機へ入れる。短いながら、自分たちの後ろにも行列は続いているのだ。

「A定食が一つ、と……日替わりランチが、二つ」

その様子を見守りながら大倶利伽羅は愚痴をこぼすように言葉を続ける。

「……あんたを並ばせて、あいつは座ってるのか」
「ああ、そういうこと」

お釣りを名前が取り出している間に出てきた食券三枚を大倶利伽羅がサッと取る。それにありがとう、と短く伝えて二人並んで奥のカウンターへ向かう。

「せんせはあれでも一応“先生”だからね。生徒よりも先生が席取りした方がなんていうか……便利なの。席詰めてもらったり、周りに人があんまり来なかったりとか」

大倶利伽羅が食券をカウンター越しに食堂のスタッフに渡す。それにもありがとうと伝え、名前は笑って食堂のテーブルを見回す。やはり鶯丸が座っている周囲は少し人が少ない。“生徒”というものは基本的に“先生”のそばには座りたくないものだ。

 食堂スタッフの手際はいいが、やはり少しの待ち時間はできる。料理が出されるのを二人並んでカウンターにもたれて待つ。長テーブルの端、三人分の席を確保し、さらにその隣にも空席を抱えた鶯丸が一人座っている姿は、大倶利伽羅にも見えただろう。

「ちょっとぽつんとしててかわいそうだよね」

名前はいたずらっぽく笑うが大倶利伽羅は面白くないというようにあからさまに視線を外した。鶯丸が名前の視線に気づいたのか軽く手を挙げるので、名前も小さく手を振り返す。そしてそんな彼女の様子を横目に見て大倶利伽羅が細めた目で鶯丸を見やる。その視線は鋭く不機嫌そのものだが、カウンターにトレイが並べられる気配にぱっと振り返った名前は気づかない。

「はい、A定食と日替わり二つお待たせしました!」
「はーい! ありがとうございます!」

弾んだ声をあげる名前がいつものようにトレイを二つ持とうと手を伸ばすその横から大倶利伽羅が腕がトレイを奪っていく。すでに自分の分を持っていた片手と、その反対の手にA定食のトレイ。

「あんたは自分の分だけ持ってろ」
「あ、ごめんね、助かります」
「謝られるようなことじゃない」

両手に軽々とトレイを乗せた大倶利伽羅と、その後ろから名前がトレイを両手で持ってついて歩く。二人の様子をのんびりと観察していた鶯丸が独り言ちる。

「はは、青春だな」


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