ゼミ 初回


「さて。三年生には初の、そして四年生には昨年度ぶりのゼミを始める」

 鶯丸の声が広くはない教室に響く。窓から麗らかな春の日差しが木々の葉を抜け入り込み、吹いているらしい風の動きに合わせて教室内の床に壁に机に、影を揺らしている。
 教室には六台の長机が長方形のロの字型になるよう置かれている。黒板の前に二台の長机があり、その真ん中あたりに鶯丸は座っていた。彼から見て右手側、教室の窓際には四人の四年生がぽつぽつと座り、鶯丸の向かいから左手の廊下側にかけて五人の三年生が座っている。金曜日の二限目。午前最後の時間ということもあり、電気を点けずとも室内は明るい。

「初回だからな。今日はオリエンテーションだ。……まずは自己紹介でもするか。では、先に四年生から」

鶯丸が一席開けた右隣、長方形の角に座る名前に目をやった。彼女も鶯丸を見ている。その背後の窓の向こうは春の中庭だ。

「最初はSAエスエーにしてもらおう。三年生の緊張をほぐす大事な役目だからな」

鶯丸のからかうような言葉に名前は「なんですかそれ、ハードル上げないでくださいよ」と反論してから、ぐるりと三年生を見回してから少し声量を上げて名乗る。そしてその後ろに「今が言ったように今年は先生のSAです」と付け足すと、四年生の一人の女子が遮るように勢いよく手を挙げた。

「名前、SAになったの? 院に進学するの?」



 この大学にはSA、スチューデントアシスタントというアルバイトのような制度がある。大学の雑務や授業の手伝いをする生徒のことで、SAになるには二通りの方法がある。一つは自分で応募する方法、もう一つは四年生限定でゼミの担当教授からの申請でなる方法だ。前者は主に雑務や一年生向けの大人数の授業のアシスタントを、後者は担当教授の授業のアシスタントをする。就職活動などで登校することの減る生徒には向かないため、主に院へ進学する生徒がなる。担当教授からの申請という方法を採るのは、アシスタントをするため相性も重要であること、また担当教授ならば就職・進学状況をくわしき把握できるからという理由らしい。のだが、

「ううん、院にはいかないよ。
 まぁ就職もなんとかなるかなって。もし就活だめだったら、せんせがなんとかしてくれるって言うし」
「……言ったか?」
「えっ! 言いましたよ! 信じてますからね!」

挙手した女子と話していた名前が鶯丸の呟くような声に慌てて彼へ顔を向ける。その様子に先ほどの女子は苦笑を浮かべ、「ま、名前なら大丈夫でしょ」と肩をすくめた。少人数制のゼミらしい和気藹々とした雰囲気の教授と四年生に、三年生の雰囲気も緩んでいく。

「もう……。えーと、なんだっけ。あー、このゼミと全然関係のない授業もいろいろと履修してたので、他の授業のレポートやテストのことでも力になれるかもしれないから気軽に話しかけてね。一年間よろしくお願いします」

名前の自己紹介に付け足すように四年生の男子が口を開く。

「そうそう、名前って知識ジャンキーだから。取ってた授業もバラエティに富みすぎなんだ。
 卒論の、この鶯丸先生のゼミも三年で初めて選んだんだぜ。しかも一年も二年も、前期後期もぜーんぶ別のゼミで」
「ちょっと、知識ジャンキーってなによ。それに一年と二年の後期は同じゼミだったから!」
「同じゼミ選んどきながら三年で新しいゼミ選ぶって変わってるよな。普通そっちのゼミ行くだろ」
「だってどのゼミにも興味あったからさぁ……」
「ほら知識ジャンキー」
「だからそれなによ」
「名前の情報はもういいだろう。三年生が困っている」

四年生の軽口のようなやりとりに三年生の視線が名前と男子の間を行ったり来たりしている。それを軽く笑いながら鶯丸が制して次を促す。はぁい、と返事をして名前の隣の四年生が自己紹介を始めた。穏やかに春の木漏れ日が揺れている。





「大倶利伽羅だ。別に語ることはない。慣れ合うつもりはないからな」

 それきり黙った三年生を最後にゼミ生の自己紹介は終了した。情報の少なすぎる自己紹介にも鶯丸は気を止めず、次の説明を始める。

「では次はこのゼミの説明だな。

 この金曜の二限目と昼を挟んで三限目がゼミの時間だ。二限目が三年生の、三限目が四年生のゼミだが基本的には両方出席してもらう。……まあ他に取りたい授業があったり就活で忙しかったりするだろうから、自分の学年のじゃない方は出られるやつだけでいいさ。

 三年のうちはテーマを決めてその担当箇所を授業ごとに発表って感じだな。その次のゼミに要点と考察のレポートを提出してもらう。卒論は三年の最後あたりから取り掛かる。四年のゼミでは卒論の進捗状況を各々発表してもらおう。発表者以外は質問して論文の中身を深める手伝いをしてやってくれ。

 ーーまあ少人数だしな、のんびりやろう」

そこまで話して鶯丸は椅子にもたれる。三年生は比較的真面目に話を聞いているが、四年生は一年前にも聞いた説明に話を半分聞き流している。午前中とはいえ、春の陽光は眠気を誘うのだ。鶯丸はちらりと時計を見上げた。

「授業が終わるまでまだ時間があるな。この時間中に前期前半の発表の担当を決めてしまえたら三限目は休講にするか」

その一言にバッと四年生達の背筋が伸びる。

「先生! 四年は俺たちで決めますから! 先生は三年のみんなと決めてください」

今度は四年の男子が挙手して言う。休講がうれしいのだろう。声が大きい。「じゃあそうしよう」笑みを含ませた鶯丸の声で教室が二つに分かれた。





 黒板に前期の前半のゼミの日程とその日の発表者の名前が書かれていく。既に分かっている休講の日や発表の予備日も書かれている。書いているのは名前だ。「SAとしての仕事だ」と鶯丸に指示されたのだった。丁寧に、三年生の名前の横には担当箇所が、四年生の名前の横には卒論のテーマが書かれている。そのテーマを見た三年生が小さく声をた上げた。

「えっ、名前先輩の卒論って……」
「あはは、驚いた?」
「知識ジャンキーはこのゼミに全然関係ないテーマで卒論書くんだもんな」
「ちょっと、またそれ言う」

名前の名前の横に書かれたテーマは鶯丸の専門となんの関係もないものだ。驚く三年生の女子達に四年の男子がまた茶化す。

「去年のゼミ説明会でも言ったが、このゼミでは卒論のテーマは自由だからな」

鶯丸がのんびりと口を挟んだ。そういえばそんなことも言っていた、と三年生が顔を見合わせる。彼女達は鶯丸の専門に近いところに興味があって彼のゼミを選んだのだろう。

「そうそう。だからこのゼミ選んだみたいなとこあるからね。テーマはなんでもいいなんてゼミ、他になかったから。
 ……や、せんせの分野にも興味あったんですよ! そっちの分野で卒論書こうか迷ってたからこのゼミにしたんです! ……別の分野選んじゃいましたけど!」

言葉の途中、じとりとした視線を向けた鶯丸に名前が慌てて弁明する。その様子に鶯丸は目尻を和らげて「冗談だ」と笑う。

「さて、自分の発表日はちゃんとメモしたか。質問がなければ今日はこれで終わりだ」

誰からも声は上がらない。鶯丸が教室中を見回したのと同時に二限目の終わりの鐘が鳴る。

「昼だな。
 三限目は休講だ。ではまた来週に」

席を立つ鶯丸に生徒たちは広げたスケジュール帳や筆記用具などを片付ける。扉へ向かいかけた鶯丸がくるりと振り返ると

「名前、黒板、頼んでいいか。終わったら食堂に」
「わかりました!」

名前の短い返答に鶯丸は軽く笑いを返す。今年は楽ができそう……いや、楽しくなりそうだ。


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