それをきみが愛と呼ぶのなら


「なあ、司書さん」
「汐音さんと一緒の外出なら許可できません」

太宰の言葉を遮るように司書は言った。どこか呆れたような表情なのは、この訴えが一度目ではないからだ。しかし、何度言われても断る以外の選択肢はない。

「そこをなんとか!」
「ご自分が何をなさったかもう忘れましたか?あれからまだ半年も経っていないんですからね」
「忘れてないけどさ、デートの一回もできないなんて悲しいじゃん」

司書は少し驚いたように目を見開いた後で小さくため息をついた。聞いていないんですかと問う。

「何を?」
「行き先です」
「休みがもらえたから出かけてくるって言ってたけど」
「本人に聞いてください。私からお話しするようなことじゃないと思います」

ふいと太宰から顔を背けた司書はもうこれ以上話すつもりはないようだった。仕事はできるし、融通を利かせてくれることもあるが、一度決めたことをなかなか曲げないのは太宰もわかっている。ため息を一つ落として、太宰は司書室を出た。

「あ、太宰君」

ちょうど廊下の向こうから歩いてきた汐音と目が合った。書類を抱えているところを見ると、司書に報告にでも行くのだろう。

「なあ、休みがもらえたって言ってたけど、どこに行くんだよ?」
「後で話す。今はまだ仕事中だから、待ってて」

相変わらずの仕事量にこの真面目さ、司書の信頼を得たのだろうと太宰は納得した。どうにかならないものかと考える。何人かで外に出たことはあっても、汐音と2人で出かけたことはまだない。喫茶店でもどこでもいいから、2人きりになりたいと思うのだ。

「お待たせ。……どこに行くか、だっけ」
「そうだよ、俺は1回くらい汐音と2人でどっか行きたいわけ!司書さんは許してくれそうにないけど!それに、その日ってさ、俺らが初めて会った日じゃん」

汐音はあーとか、んーとか、なんとも言えない声を出しながら少し悩んでいたが、あの人の……と小さく呟いた。

「あの人の命日だから、お墓に行こうと思って」
「……あ」

司書は行き先を知っているようだった。目的が目的だったから、1人での外出を許可したというのもあるのだろう。太宰と汐音が初めて会った日、それは彼女が海の中に入って行った日だ。

『海に入って死のうとしたのも、あの人が海で亡くなったから。溺れた人を助けようとしたんだって。そんなことしても、同じ場所に行けるはずないのにね。人助けと自殺じゃあ、全然違う』

そう彼女は言っていた。あの人の命日に死のうとしていたのだ。多分、そうすれば会えるんじゃないかとでも思って。
そうかと思った。それは想像していなかった。司書があんな反応をするはずだ。

「お墓参りでよければ」
「へっ?」
「太宰君がいいなら、一緒に来て。色々心配かけたかもしれないけど、今は太宰君がいるから大丈夫って報告したいから」

ぱちりと瞬きした後、太宰は赤くなった。汐音はたまにこういうことを真顔で言うのだ。本当に心臓に悪い。報告だなんて、まるで両親への挨拶ではないか。

「いいに決まってるだろ!」
「そっか、うん、そっか……司書さんにお願いしてみるね」

頷きながら噛みしめるようにそう言った汐音は少し照れたように笑った。

◯ ● ◯ ● ◯


「そんなに緊張することないと思うけど」

どこかぎこちない様子の太宰を見た汐音が呟いた。最初は渋っていた司書も普段は意見を主張することの少ない汐音が何度も訴えたこともあってか、最後には折れてくれた。一緒に出かけられることになったのはいいが、いざ行くとなると太宰は思いの外緊張していた。
墓の前で何を言ったって、文句を言われることも反対されることもないだろうが、緊張するものは緊張するのだ。

電車にしばらく揺られ、駅から出たところで汐音は突然足を止めた。なんだよと太宰が声をかけても返事はない。ようやく太宰の顔を見た汐音は久しぶりだからと小さく言った。

「久しぶり?」
「思い出すのが辛くて、お墓に行けてなかったから、本当は私も緊張してる。太宰君が一緒じゃなかったら、逃げてたかもしれない」

一緒に過ごす時間が長くなって、昔のこともぽつりぽつりと打ち明けてくれるようにはなったが、まだまだ知らないことはたくさんあるのだ。元々自分のことを話すのが得意ではないのだろうと太宰は思っていた。
太宰の方も全てを話せるわけではない。図書館の職員になったとはいえ、特務司書を中心とした活動は明かせない部分も多い。もちろん、お互いの全てを知るなんて不可能だとは思うが、もっと頼って欲しいと感じることは少なくなかった。

「太宰君?」

汐音の手を取った。少し強めに握る。手を握る時、いつも水の音を思い出す。あの息苦しさと冷たさ……握った手の感覚だけが鮮明だった。自分も汐音もきっとあの時、一度死んだのだと太宰は最近思う。

「ほら、行くぞ」
「うん」

もう家族が来た後なのか、墓には真新しい花が供えてあった。汐音は静かに手を合わせ、太宰もそれに倣った。

「久しぶりだよね。私は元気でやってるよ。俺は汐音の味方だからって言ってくれたこと、今でも思い出すし、本当に嬉しかったの」

小さな声で語りかける汐音は普段より幾分幼い口調だった。太宰はそれを黙って聞いていた。

「最近、怖い夢を見なくなったよ。心配かけたかもしれないけど、もう大丈夫だから。太宰君がそばにいてくれるから」

言葉が見つからないまま太宰は墓に向かって軽く頭を下げた。

「これからも見守っていてください」

汐音はゆっくりとそう言って深く頭を下げた。頭を上げ、墓に背を向けて歩き出そうとした汐音は太宰が動かずにいるのに気付いて振り向いた。

「どうしたの?」
「俺も汐音の味方です、絶対に」

墓に宣言するように言った太宰に汐音は少し驚いた後でありがとうと呟く。不意に風が吹いて、供えられた花が揺れた。それは太宰の宣言に応えたようにも見えた。

◯ ● ◯ ● ◯


「喫茶店でも寄ろうぜ」
「寄り道はしない約束じゃ……」
「バレないバレない」

司書に怒られないだろうかと考えつつ、本当は汐音も太宰とどこかに寄りたい気持ちはあるし、太宰もそれをわかっているから強引に誘うのだ。
今日は2人が出会ってちょうど1年。出会いはおかしなものだったかもしれない。間違ったこともたくさんしたかもしれない。

「生きてるね、私達」
「そうだな。……来年の今日も再来年の今日も、10年後の今日も、俺らは生きてるよ」
「うん」

変わらないものはないかもしれないけど、続いて欲しくても終わってしまうこともあるだろうけど、それでも、変わらないものもあるのだと今は信じたかった。温かな手をぎゅっと握った。

171029
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