世界でいちばん幸せな場所

※徳田さんの出番が多め


手帳を開くと「特務司書就任記念日」の文字。ほとんど何もわからないまま、堀先生と徳田先生と出会った日からちょうど1年が経ったわけだ。
その日から使うことにした新しい手帳に、この日までにはもっとたくさんのことを知って、力をつけて、成長したと思えるようにと願いながら書き込んだ文字だった。
少しは成長できただろうと思う。まだまだ力不足で堀先生と徳田先生をはじめ、たくさんの人の力を借りてどうにかなっている部分もあるけれど、右も左も分からなかったあの日よりは。

「司書さん、おはようございます。今日の潜書の予定なんですが……」

食堂に行くため歩いていると、向こうから堀先生がパタパタと駆け寄って来た。潜書の予定を確認すると、ありがとうございますと言って戻って行こうとする。その背中に声をかけようとしてやめた。もしかして、忘れているのかもしれない。それなら、こっそり準備してお祝いをするのはどうだろう。
図書館全体でも活動を始めてから1年の節目を迎えるにあたって、誕生日を祝うよりもっと盛大な会を開こうという話になっていた。次の休館日には実現するはずだ。
でも、盛大な会とは別に、ささやかなお祝いをしたいなと思う。出会えたことを、最初の一歩を踏み出したことを、最初の2人と思い出して喜び合いたい。

司書室で書類に目を通しながら頭の片隅ではどうすれば喜んでもらえるだろうと考えてしまう。そんな時にノックの音がして、思わずびくりとした。

「え、どうかしたのかい?」

それは普段通りノックしただけなのに、驚いた顔で迎えられれば怪訝にも思うだろう。徳田先生は今日ってさ、と小さく言った。ああ、彼は覚えていたんだと思わず笑みがこぼれる。

「今日で1年、ですか」
「……なんだ知ってたんだ」

どこかがっかりした様子の徳田先生。驚かせようとしていたのかもしれない。

「私も驚かせようと思っていたところです」
「僕は別に驚かせようとかは……」
「朝会った感じだと、堀先生は忘れているみたいでしたよ」

内緒話のように声をひそめて言う。徳田先生は、そうなんだと反応はそっけないけれど、心なしか明るい表情を見せた。

「ささやかなお祝いができればと思うんです。堀先生には内緒で」

◆ ◆ ◆


簡単にではあるけど、司書室を飾りつけて、あの日に3人で作ったおにぎりを徳田先生と一緒に作った。
あの時はお米と調味料しかなかったから、ご飯を炊いて、シンプルな塩むすびと表面に味噌を塗っただけの味噌おにぎりを作った。並んでおにぎりを作っているうちに、ぎこちなかった空気は少しずつ変わり始めて、いただきますと手を合わせる頃には話が弾んでいた。

「なんだか懐かしいね」
「そうですね、本当に」
「食堂で手の込んだものを食べるのもいいけど、こういうのもいいよね」

おにぎりを綺麗に並べた皿を机に置けば準備は完了。あとは堀先生を呼んで来るだけだ。誕生日のために買ったクラッカーが残っていたから、一応それも持って来た。でも、徳田先生が堀先生を呼びに行ったから、司書室にいるのは私一人だ。一人でクラッカーを鳴らすのもどうなんだろう。
足音と話し声が近付いてきて、せっかくだからとクラッカーを準備する。ドアが開いた瞬間にパンと音が響いて、堀先生は目を丸くした。

「えっ……!?」

きょとんと首を傾げた先生は少し困ったように、誕生日じゃないんですけど……と小さく呟いた。私と徳田先生はほとんど同時に吹き出した。

「誕生日じゃないけど、記念日なんですよ!堀先生」

私の顔を見て、徳田先生の顔を見て、それから皿に並んだおにぎりを見た堀先生はあっと声を上げた。

「あ、えっ、今日で1年だったんですか!?」

どうやらすっかり忘れていたらしい。大成功だったなぁと徳田先生の方を見れば、彼も満足そうな顔をしていた。

「……忘れてました。あ、もちろん、大切な日だと思っているんですよ!でも、うっかりしてて……これじゃあ言い訳みたいですけど」

あわあわとしている堀先生を見ていると、笑いを抑えきれなかった。そんなに気にすることないのに。

「わかってますよ」
「わかってるよ」

徳田先生と声が重なって、また笑ってしまう。

「もう、2人だけ楽しそうでずるいです。僕にも最初に教えてくれればよかったのに」
「いい反応をしてくれてよかったよ。司書さんは覚えていたから」

席についていただきますと手を合わせた。久しぶりに食べたシンプルなおにぎりはとても美味しかった。初めて会った時のこと、初めて潜書した時のこと、ああでもないこうでもないと話し合った時のこと……懐かしい話から、最近の話に移って行く。
人数が少なかった頃はみんなで集まって話していたけれど、10人20人と増えていけば、そんな機会はまずなくなる。
堀先生は先輩にあたる芥川先生や横光先生、もしくは同年代だった中野先生や三好先生と過ごすことが多いようだし、徳田先生は尾崎先生か自然主義のメンバーといることが多い。私は私で、特定の先生と仲良くするのはよくない気がして、進んで話しかけることはそう多くない。考えてみると、こうやって3人だけで話すのは久しぶりかもしれなかった。

「こんなににぎやかな図書館なんて、あの時は想像もできませんでした」
「確かに。空き部屋だらけで静まり返ってたよね」
「そっか。あの夜はこんな広いところに僕達3人だけだったんですね」

今となっては真っ暗な図書館を見ることはない。執筆、読書、飲酒……夜遅くまで起きている人の方が多く、深夜になってもどこかしらの明かりは灯っている。本当に人が増えてにぎやかになったと思う。
でも、どんなに人が増えようと、私が最初に頼るのは堀先生か徳田先生なんだろうなと思う。潜書に慣れていて、図書館のことをよく知っているというのもあるけれど、多分理由はそれだけじゃない。

◆ ◆ ◆


司書室の片付けを終えて一息つく。明日の午前中に潜書の予定がある徳田先生には先に戻ってもらったから、部屋には私と堀先生だけだ。

「秋声さんに芥川さんのことを相談したこともあったなぁ……って思い出しました」

窓の近くで外に目を向けていた堀先生が呟いた。それを聞いて、芥川先生が転生した時の彼の反応を思い出す。笑顔だったし嬉しそうではあったけれど、どこか不安そうだった。あの時、徳田先生は堀先生の背中を軽く押したのだった。

「徳田先生は頼りになりますからね」
「……僕は頼りないですか?」

少しだけ拗ねた様子に、慌ててそういう意味じゃないですと言えば、堀先生は小さく笑った。揶揄われたらしい。

「偶然かもしれないけど、僕を早くに転生させてくれて、ありがとうございます。司書さんと秋声さんと過ごせたことも、慣れているからって頼りにしてもらえることも、とても嬉しいんです」
「こちらこそ、堀先生がいてくれて助かります」

何か問題が起きた時にてきぱきと指示を出して対処してくれるのが徳田先生なら、問題――特に喧嘩というか諍いのようなもの――が起きる前にそれとなく察して、間に入って空気を和らげてくれるのが堀先生だった。
どちらか一方でも欠けていたら、この図書館はこんなに上手くは回らなかったと思う。いくら感謝しても足りない気がする。

「だから……これからもよろしくお願いします」

色んな気持ちを込めてそれだけ言った。始まりがあれば終わりもあって、きっといつかは避けられない別れが来るのだと思う。今伝え切れない感謝の言葉はその時まで取っておこう。
堀先生はふわりと笑って、はいと頷いてくれた。

171111
title by kakaria

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