真白な宇宙に包まれたなら

「ここは……」

川端先生は窓の外を眺めていた。いつの間にか雪が降り出している。

「ここは雪が積もるのですか?」

昨冬のことを思えば、夜の間も降り続いて、朝には雪かきをしなければいけないかもしれない……などと考えていたが、川端先生が来たのは秋で、彼はまだ冬を知らないのだった。

「積もりますよ。去年は庭に雪だるまが作れるくらいには積もりました」
「そうですか」
「新潟の湯沢町……でしたっけ?そこと比べれば、少ないとは思います」

「雪国」の舞台は新潟だったはずだ。作中には地名は出てこなかったと思うけど、どこの旅館が舞台とされたかということまで広く知られている。冒頭の方で積雪は、普通7、8尺と書いてあった気がするけど、7尺は2メートル以上だ。

「こうやって降る様子は綺麗でも、大量に積もるのは困りものですね。雪かきは重労働ですし」

普通に歩ける程度の積雪ならいい。朝、窓の外が一面真っ白なのは綺麗だし、音が雪に吸い込まれたような静寂は好きだ。

「国はどちらですか?」
「え?国ですか?」
「故郷です」
「東北の田舎です。日本海側だから、気候は新潟に近いかもしれません」
「ああ、道理で……」

道理で雪への反応が薄いということだろうか。雪は毎年積もるものだし、子供の頃に飽きるほど遊んだから、今更遊ぼうとも思わない。去年、雪が降っているのを物珍しそうに見ている何人かの先生を見ながら、そうか、雪が積もらない地域もあるのだなぁと思い出したくらいには当たり前のことだ。

▲ ▼ ▲

朝の光に照らされて、雪は柔らかな光を放っている。一つの足跡もない一面の白は嘘のように綺麗だ。

――この先きの町の中学ではね、大雪の朝は、寄宿舎の二階の窓から、裸で雪へ飛びこむんですって。体が雪のなかへすぽっと沈んでしまって見えなくなるの。そうして水泳みたいに、雪の底を泳ぎ歩くんですって。

ふと、寝る前に読み返した「雪国」の文章を思い出す。あ、と思った時には雪に飛び込んでいた。痛いくらいの冷たさに慌てて起き上がる。我ながら馬鹿なことをしたものだ。子供の頃に友達ときゃあきゃあ言いながら雪に飛び込んだことはあるが、あの時は雪遊びの格好をしていた。今はそれほどの重装備ではない。そもそも、このくらいの雪では雪の底を泳ぐなんてできないだろう。
気を取り直して、雪かきをしなくては。

「……あ」

視線を感じてそちらを見ると、川端先生が立っていた。淡い色をした髪の毛が柔らかな光を放っている。雪の色だと思った。
恥ずかしいところを見られてしまった、どう説明しようかと考えるより先に、川端先生の体が傾いた。雪に吸い込まれるように倒れ込む。

「えっ!?川端先生!?」

突然のことに驚いて駆け寄ると、ゆっくりと顔を上げた先生は冷たいですねと当たり前のことを言った。

「えっと、どうされたんですか?」
「先ほどの行動に何か意味があるのかと思いまして」
「な、ないです!」

雪国で育った私がやったからといって、何かの儀式だと思ったわけでもないだろうに。無駄に寒い思いをしただけだ。

「真っ赤ですね」

なんでもないことのように先生は私の頬に手を伸ばした。指先が頬のあたりをなぞる。冷たさとは違う理由で更に赤くなりそうだ。

「雪が冷たかったので。川端先生も赤いですよ」

普段は顔色一つ変えない先生の頬に赤みがさしていた。

「……冷たかったので」

世界に二人きりのようだと思った。川端先生が口をつぐむと静寂に包まれた。音も色もない真っ白な世界。私と先生が雪に飛び込んだ場所、そのへこみが輝いて見えた。
先生が私の手を取った。次の瞬間、私の視界は白で埋め尽くされた。少し遅れて冷たさがやってくる。

「なっ、何ですか!?」

川端先生が私の手を引いて、雪に飛び込んだのだ。さっき意味がない行動だと言ったばかりなのに。

「……いえ」

図書館の方から微かに話し声が聞こえてくる。もうみんなが起き出す時間になっていたらしい。不思議な静寂は綺麗さっぱり消えてしまった。柔らかだった光は眩しいほどの白へと変わった。

「宇宙に二人きりのようでしたね」

先生がぽつりと落とした言葉に私は頷いた。
雪かきをして、人の形にへこんだところもどうにかしなくてはいけない。誰も気にしないかもしれないけれど、誰が雪に飛び込んだんだと話題になったら困る。少なくとも二人並んで飛び込んだ場所は隠さないといけないだろう。でも、もう少しだけと私は先ほどまでの不思議な時間を惜しむようにゆっくりと瞬きをした。

180114
参考:川端康成「雪国」
title by icy

-back-

ALICE+