04

 シャワーから上がると、おじさんはベッドの上で横になっていた。
「おじさん」
 声をかける。無反応。
「おじさん、寝ちゃったの?」
 そうっと顔を覗き込むと、おじさんの閉じた瞼が僅かに震えた。狸寝入りだ。
「シャワー、浴びないの? このままする?」
 その肩に触れる。
「おじさん」
「……うるせえな」
 重そうな瞼が持ち上がって、黒い瞳と目が合った。
「まだおじさんって歳じゃねえよ」
「いくつ? 名前は?」
「…………」
 ごろり。おじさんが寝返りを打って、背を向けられる。後頭部の癖毛に手を伸ばして、髪を梳いてみた。
「……触んな」
「ホテルに来ておいてそれはないよ、おじさん」
 苦笑すると、おじさんはぐっと上体を起こした。ベッドが軋む。
「お前、高校何年だ」
「一年」
「一年の六月に何やってんだ。学校はどうした」
 馴染めなかったのか。いじめか。おじさんは真顔で続ける。
 お説教? 心配されてるの? わからずに首を傾げると、おじさんは眉を顰めた。
「餓鬼は学校でお勉強してろ。知らないおっさんとこんなことしてんじゃねえよ」
「……まだ何もしてないよ?」
「…………」
 でも、するでしょ? そう問えば、舌打ちで返された。おじさんは無言で、またしてもこちらに背を向けてベッドに横たわった。
「おじさん」
 揺すってみる。反応なし。
 軽く叩いてみる。反応なし。
「…………」
 襟を広げて、首筋に噛み付いてみる。おじさんは私の顔をがしっと掴み遠ざけた。
「ふざけんな。犯すぞ」
「いいよ」
「よくねえよ」
 再び、眠る体勢。
「おじさん、ねえ」
「寝かせろ」
「えー……」
 じゃあなんでホテルまで来たの。むっとしてみるものの、おじさんの考えは変わらなさそうだった。
「……学校はね」
 ぽつりと呟く。おじさんは何の反応も返してくれない。
「最初の方は行ってたんだけど。淫売がなんだとか言って、なんか、ねえ。いづらくなっちゃった」
 中学の時からそうだったけど、と続ける。
「学校の人とするのってなんか嫌で。別に、いいんだけど。でもなあ」
 独り言のように、静かに話す。なんとなく黙ると、おじさんが肩越しに振り返った。
「で、ホテル通りで客釣ってんのか」
「うん。手あたり次第」
「病気だな」
 おじさんが片頬だけで笑う。
「ほんとにね」
 薄く笑うと、おじさんは真顔になった。
 のそりとおじさんがベッドから降りる。身長は高いのに、体は薄い。緩慢な動きは、怠惰な獣を彷彿とさせた。
「ん」
 差し出されたのは、小さな紙切れだった。名刺だ。
「あきもと……、きと」
 秋本貴人。有名なIT企業の、取締役。取締役って、どのくらい偉いんだっけ。
「タカヒトだよ、馬鹿」
「きとさん、偉い人なの?」
「タカヒトだっつってんだろうが」
「これ、くれるの?」
「……ああ」
「……どうも」
 ああ、ちょっと待て、と貴人さんは、名刺の裏にプライベート用の携帯アドレスを書いてくれた。
「……連絡していいの?」
「気が向いたら相手してやる」
 貴人さんは眠るのを諦めたようで、煙草に火をつけている。その様子をじっと見つめていると、火はすぐにもみ消された。携帯灰皿。
「……吸わないの?」
「…………」
 近付くと、しっしっと手で追い払われた。
「吸ってもいいよ。あと、灰皿あるよ」
 テーブルの上に置かれていた安っぽい銀の灰皿を差し出す。貴人さんはそれをちらっと見ただけだった。
「変な人……」
 思わず口にすると、ぎろりと睨まれた。
「一通百円」
「なにが?」
「メールの返信」
「お金取るんだ」
 なんだか本当に、変な人だと思った。掴みどころがない。大人なのに、大人の匂いがしない。ぼんやりとした雰囲気を出すのに、どこか現実味がある。
「……きとさん」
「タカヒトな」
「きとさん」
 自分でも、声に熱が籠っているのがわかった。
「……なんだよ」
 目と目が合う。私は、とてもじゃないが我慢できない、と思った。
「セックス、しようよ」
 貴人さんは、面倒くさそうに溜息を吐いた。

 それからも結構粘って食い下がったのだけれど、結局最後まで貴人さんは応えてくれなかった。
 仕方なく帰ることになって、夜の街を並んで歩く。
「…………」
 なんとなく、歩調を遅めていく。貴人さんはそれに気付かない。
「……ねえ」
 ついには立ち止まる。離れてしまった背中に、声を投げかけた。蚊の鳴くような声だった。
「なんだよ」
 振り返った貴人さんが眉を顰める。
「何突っ立ってんだ。さっさと来い」
「…………」
「おい」
「聞こえたの?」
 か細い声で問う。
「なにが」
 面倒くさそうな顔だった。咥え煙草の煙がゆらゆらと揺れる。
「……なんでもない」
「早く歩け。さっさと帰って寝たい」
 小走りで、その背に追いつく。
「家って」
「あ?」
「奥さんの待つ家?」
 はあ? と、今度は呆れたような顔。
「いねえよ、そんなもん」
「奥さん?」
「ああ」
「子供は?」
「なんで嫁がいないのに子供がいるんだよ」
 首を傾げる。
「そういう人もいたよ」
「ふーん」
 興味のなさそうな声。聞けば何でも答えてくれそうな気がして、質問を探す。久しぶりに頭を使っている気がした。
「お前、どこまで付いてくる気だ」
 言われてはっとする。
 真顔で立ち尽くしていると、貴人さんはひらりと手を振った。
「じゃあな」
 変な皴のついてしまったカッターシャツの背中が遠くなっていって、見えなくなる。






- チョコレートの快楽 -