カレーは驚くほど美味しかった。体調が悪いふりをしていようと思っていたのに、ぺろりと食べてしまった。
 入谷は野菜をべた褒めしていて、おばあさんはそれを嬉しそうに聞いていて、海影さんは黙っていた。
 食べ終わったあと、片付けくらいはしないとと立ち上がろうとすると、入谷もおばあさんもいいから座ってろと言った。私はまた黙って麦茶を飲む。隣には海影さんがいる。
「ハルさん絶対田舎向いてないよ」
 海影さんは小声でそう言って、可笑しそうにくすくすと笑った。
「私も、そう思う……」
「でも食べっぷりはよかった。ここの人は、自分の作ったものを美味しそうに食べてもらうとすごい喜ぶから」
「……それは、アドバイス?」
 そう問いかけると、海影さんは吹き出すようにして笑った。
「いや、いや、そういうんじゃないけど。別に無理して食べろってことじゃなくてさ」
 あははと笑う海影さんは、いたずらっこの少女のようにも見えたけれど、やはり大人びた少年のようにも見えた。言動からして、多分女の子なのだろうけれど。
 年はいくつなのだろうか。おそらく十代の後半だとは思うけれど、中学生にも見えるし、高校生にも見える。子供のようでもあり、大人のようにも見えた。
「ハルさん、子供は好き?」
 ひとしきり笑い終えた海影さんにそう尋ねられて、心を見透かされたのかと思いどきりとした。
「え、っと」
 無難な言葉を探して視線をさ迷わせる。けれど、偽る必要もないのかな、と視線を戻した。
「あんまり好きではないかな」
「ああ、なんかそんな感じする」
 海影さんが得心したように頷く。
「なんで?」
「人付き合い苦手そうだから。子供ってわけわかんないこと言ったりするからさ、相手するの嫌がりそうだなーって」
「そうじゃなくて……」
 言っている内容はそのまま大正解だったけれど。
「なんで、そんなこと聞くの?」
「ああ、うち、見ての通り雑貨屋なんだよね。本土で買ってきた肉とか、果物とか、お菓子とか、あとティッシュペーパーとかそういうのも置いてて。朝と昼はお年寄りが来ることが多いけど、夕方は島の子供が駄菓子を買いに来たりするんだ」
「島の子供?」
「そう。今は小学生が3人と中学生が2人いる。みんな仲良し。放課後はお菓子を買ってきゃっきゃ遊んでる」
 なんとなく想像できて、それは賑やかだろうなあと自分の子供時代を思い出す。
 私がそういう輪の中に入ることは最後までなかったけれど、同級生たちはテレビの話やゲームの話や芸能人の話を延々とし続けていて、話題が尽きることなく盛り上がっていた記憶がある。
「そいつらがさ、独自ルールの遊びでなんかバトル? してることとかあって、たまに付き合わされるから。この間は離島戦隊ヒヤケマンってのをやってて、私は敵の怪人UVAをやらされた」
「えっと……、海影さんは……、高校生?」
 話の流れでそう聞くと、海影さんは嫌そうな顔をしてゆるゆると首を振った。
「私、もう二十歳だから」
「えっ!?」
 思わず大声を出してしまって、その反応すら失礼であることに思い至った。
「ごめん」
「いいよ、よく言われる。そんなに子供っぽいのかな。年だけならまだしも、性別まで間違われることもあるし……」
 そこまで言って、海影さんは微妙そうな顔で質問した。
「私の性別……、わかってるよね?」
 これは間違えたら村八分ならぬ島八分にされるんじゃないか、と怯えながら、でも一人称から推測するにこっちだろうと恐る恐る答える。
「女の子、だよね……?」
「正解」
 海影さんははあと息を吐いた。
「まあ私、ハルさんみたいにスタイルよくないし、髪も潮風でぱさぱさだし、肌も焼けてるし……、いいんだけどさ」
「そんなこと……ないと、思うけど」
 中性的なのも魅力だと思う、と言おうとして、それはフォローになってないかもしれないと思ってやめる。けれど、ええー十分女の子らしいよお!みたいな嘘くさい言葉は言えなかった。そんなことが言えるのなら多分ここにはいない。
「ハルさんは何歳?」
「二十四歳。今年で二十五になる」
「じゃあ五歳差か。あと五年したらハルさんみたいなぷりぷりの女の人になれるかな」
「ぷ、ぷりぷりって何?」
「ぷりぷりっていうか、うるつや? ふわ……もて? みたいな……、とにかく女の人らしい女の人」
「私、そんなんじゃないと思うけど……」
「そう? 都会の女の人って感じがする」
 どんな風に見えているのだろうか、と若干不安になったが、悪い意味ではないのだろうと無理やり自分を納得させる。しかし、本当にそんな、憧れられるような人間ではないのだ。
「麻網。そろそろ帰るぞ」
 洗い物を終えた入谷が台所から戻ってくる。
「いやあ、醇くんは料理もできるし洗い物も率先してやってくれるし、よく気がつくし、いい男だねえ」
「いやいやそんな。俺、おばあちゃんっこだったから、千代さん見てるとおばあちゃん思い出します」
 何を下の名前で呼び合ってるんだ、とおののきながらも、黙って立ち上がる。海影さんを見やると、同じように立ち上がって私の隣に並んだ。
「野菜までありがとうございます。大事に食べます」
「そんなに喜んで食べてくれるんなら野菜も食べられがいがあるってもんだよ」
「ははは、そうですかね。それじゃ……、明日からうちのがお世話になりますけど、よろしくお願いします」
 入谷が海影さんとおばあさんに頭を下げる。慌てて、私も頭を下げた。
 ぞろぞろと店の入り口まで歩いて、外がもう真っ暗になっていることを知った。街灯がほとんどない場所では星が綺麗に見えるというのは本当だったんだと思った。
「ごちそうさまでした」
 入谷が店の外でもう一度頭を下げる。
「ごちそうさまでした」
 並んで私も頭を下げる。
「いいやあ、楽しかったよ。またいつでもおいで」
「はい。ありがとうございます」
 海影さんに声を掛けるべきか、このまま流れに任せて別れるべきか、悩みながら海影さんを見る。海影さんはちょっと笑って、ひらりと手を振った。
「また明日ね。今日はゆっくり休んで」
「……ありがとう。海影さんも」
 控えめに手を降り返すと、海影さんは困ったように笑った。
「迫でいいよ。ばあちゃんもとーさんも海影だし、紛らわしいでしょ」
「あ……、さこ、ちゃん」
「うん。おやすみ、ハルさん」
 他人におやすみと言われるのはいつぶりだろうか。何故か少し感動してしまって、小さな声でおやすみなさいと返した。

「星が綺麗だなー」
 ゆっくり歩く、その背中を見ながらゆっくりと歩く。白いTシャツが似合う広い背中だった。
「な」
 振り返ったその顔は暗くてよく見えなかったけど、多分笑っているのだろうと思った。
「うん」
「体調は大丈夫か?」
「え?」
「しんどかったんだろ」
 ああ、と声を漏らす。そういえばそうだった。
「もう治ったのか? もりもりカレー食ってたもんな」
「もりもりは食べてないでしょ……」
「いや、もりもり食ってたよ。美味かったもんなあ」
「うん……」
 ふいに入谷が立ち止まった。その少し後ろで、私も立ち止まる。
「ん」
 手を差し出されて、何を渡せばいいのか一瞬悩んだ。そしてすぐに、違うということに気づいた。
 ゆっくりと、その手を握る。
 指をからめられて、再び入谷は歩き始めた。手を繋いでいるせいで、後ろではなく隣を歩くことになる。
「暫くはお前にも苦労かけることになると思うけど、頑張ろうな」
「うん」
「一緒に来てくれてありがとうな」
 珍しく真面目な雰囲気の入谷に、二つ並べられた白い敷布団を思い出した。
 入谷は、セックスの前と最中だけは優しい。そういえば久しぶりだったな、と思って、全然そんな気分じゃなかったけれど、上手く気持ちを作ろうと試みる。あと十数分で、私は入谷の望む女にならなければならない。
 何時に眠れるだろうか。明日は何時起きだろうか。明日、お店に海影さんは、迫ちゃんはいるだろうか。
 なんとなく聞き流してしまった離島戦隊ヒヤケマンのことを思い出して、怪人UVAの響きに思わず笑ってしまう。
 ああ、違う、気持ちを作らないと。
 私は他の何でもなく、入谷醇の女だった。それだけが、私の。

 まあみ。まあちゃん。
 それが夢の中なのか、入谷の腕の中だったのか定かではない。
 船の上のように揺れていた気がするから、夢だったのかもしれない。
 まあみ。まあみ。
 入谷が私を呼ぶ声が聞こえる。吐息が私に触れる。
 抱き合うときにだけ甘い声で呼ぶ、そのわざとらしさが、私は嫌いだった。





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