今日は満月らしく、空にはまん丸の月がぽんと浮かんでいる。その月をちらりと見上げながら隣を歩く後輩に「今日はめちゃくちゃ働いたよな」なんて話しかけると、後輩は眉をハの字に下げてこちらを見上げた。
「ほんと大変でしたよね。なんとか終わってよかったです。……先輩、疲れてるのに送ってもらっちゃってすいません」
「いーよいーよ。降りる駅一緒なんだし」
本当のことを言うと俺の家の最寄駅はひとつ先である。しかし残業のせいでこんな時間になってしまった訳だし、女の子を夜道一人で歩かせるわけにはいかないだろう。毎日何かしらのよくないニュースを目にする訳だし。
それにしても、せっかくの金曜日に残業なんて後輩も俺もツイてない。本当だったら今日は合コンのはずだったのになぁ。
「ありがとうございます。先輩優しいですね」
にこーっと微笑む後輩はものすごく可愛くて、彼女がフリーだったら間違いなく俺は告白していた。まぁ、フリーじゃないんだけど。
残念なことに彼女には同棲している彼氏がいるのだ。一虎くんという名前でペットショップで働いてるとか、なんだかほっとけないところがあるとか度々話を聞いている。
ラブラブなんだろうな、というのが話の端々から感じられるので俺は大人しく日々合コンに勤しんでいるのだ。今のところその成果は出てないが。
「あ、わたしの家ここ曲がったとこです」
「あぁ……そこのアパートか」
「はい、ここまで送ってくれて本当にありがとうございます」
「なまえ」
曲がり角を曲がりながら、気の利いた事を何か言おうと口を開いたのだが、それは聞き慣れない低い声により遮られてしまった。
不機嫌そうな低い声の主は俺たちの前に不機嫌そうに立ちはだかり、隣にいる後輩の名前を呼んだ。
え? なに? 後輩、この首に刺青がっつり入った人と知り合い?
「あれ? 一虎、みんなで飲みに行ってたんじゃなかったの?」
「なまえが残業だって言うから迎えに行こうと思ってさっさと帰ってきたんだよ。スマホにも連絡したのに返事ないから心配した……つーか、隣のヤツ誰」
一虎くん!?あの、彼氏の!?この今すぐにでも俺のこと殴りそうな不機嫌な声と視線のこの男が一虎くん!?
ペットショップで働くほっとけないとこがある彼氏、という後輩からの話で子犬の様な純真爛漫な男の子を想像していた俺は、子犬どころか肉食獣のような雰囲気を持つ目の前の男のことを脳内でうまく処理できないでいた。
確かに顔はものすごくかっこいいしかわいいとは思うが、首の刺青のせいか、不機嫌そうな態度のせいか、はたまた金髪混じりの髪色のせいか、とにかく纏っている空気がどこか普通じゃないように感じてしまう。
「会社の先輩だよ。仕事終わるの遅くなっちゃったから送ってくれたの」
「ふーん……」
「あ、はい。ただの先輩です。遅くまでなまえさんを働かせてしまってすいません……」
働かせたのは俺じゃなく上司なのだが、一虎くんのただならぬ雰囲気につい謝ってしまった。だって怖いんだもん、一虎くん。
じろじろと俺のことを上から下まで見た一虎くんは、今までの表情が嘘のようにコロリと笑顔になり俺に話しかけた。すいません、笑顔も笑顔で怖いです。
「わざわざなまえ送ってくれてありがとうございました。もう大丈夫なんで」
「あっ……それじゃ、また月曜日……」
「先輩、ありがとうございました! お疲れ様ですっ」
「なまえ、早くこっち」
「え、あ、うん……っ」
一虎くんの『もう大丈夫なんで』の言葉に含まれる『さっさと帰れ』を感じ取った俺は足早にその場から立ち去った。笑顔のかわいい後輩にお疲れ、と声をかけ、元来た道へと歩みを進める。
するとリン、と小さく鈴の音が聞こえ、反射的につい振り返ってしまった。
「……っ、ん、んぅ……♡」
すると、そこには一虎くんに壁に押し付けられてめちゃくちゃキスされている後輩の姿があった。一虎くんの手が後輩の目を覆うように置かれていて、更には片足が後輩の足の間にぐいぐいと突っ込まれている。
なにこれ、現実? 仕事で疲れた脳が見せた幻覚?
一時間ほど前まで会社で真面目な顔をして働いていた女の子が、今は彼氏に口の中に舌を突っ込まれながら足で股間を刺激されて腰をびくつかせている。うっすらと聞こえるくぐもった声は甘さをたっぷりと含んでいて、ついつい股間に熱が集まった。
このとんでもない光景を呆然として眺めていると、一虎くんの視線と俺の視線がばちりとぶつかる。にぃっと細められる瞳にぶわっと全身から汗が吹き出して、俺はすぐさまその場から走り去った。
あれはきっと、俺に見せるためにあの場でキスしたに違いない。彼女が自分の物だという見せつけや牽制だ。
俺は興奮してるのか怖いのか自分でもよくわからないまま大急ぎで家に帰り、網膜に焼き付いて離れない満月の下のあの光景を思い出しながら一人家でオナニーした。あの二人、この週末すっごいセックスするんだろうなぁ……。
まぁ、俺はあの二人のせいで週末をオナニーして過ごす事になるのだが。