ナックルシティの古さと新しさの混ざる美しい街並みが、オレンジ色の夕日に染まってゆっくりと暗くなっていく。太陽が沈んでいく窓の外の景色をチラリと見て、わたしは正面のデスクに座るキバナさまに声をかけた。
キバナさまは手の中の書類から目を離し、すぐにわたしの方へと顔を向ける。細かい字がびっしりと敷き詰められた書類を見ていたせいか、キバナさまの眉間には珍しく皺が寄っていた。しかしそれは一瞬のことで、キバナさまはあっという間にいつもの穏やかな顔に表情を変える。

「キバナさま、先程のまとめたデータ、リーグに送りました」
「おっ、サンキュー。そんじゃ今日はもう上がってくれ。なまえ、帰るの最後になっちゃってごめんな」
「最後じゃないですよ。まだキバナさまも居るじゃないですか」
「フフッ、それもそうだな。じゃ、なまえとオレさま、最後の二人で一緒に帰ろっか」

手に持っていた書類をデスクの上にぽんと置いて、キバナさまはさっさと席から立ち上がった。つられてわたしも慌てて立ち上がると、キバナさまはわたしを事務室の出口へとエスコートしながら優しく落ち着いた声で笑った。

「なまえ、今日も一日お疲れ様」

よくがんばったな、と歩きながらわたしの背中を軽く叩いて、キバナさまは大きな手をそのまま腰に滑らせる。わたしよりも頭ひとつ分以上高いところにあるキバナさまの顔を見上げれば、キバナさまは「ん?」とこちらを見下ろした。
そうしてぐっと腰を抱き寄せられ、キバナさまの足が止まる。薄暗いナックルジムの廊下はしんと静まり返っていて、キバナさまの息遣いさえ聞こえそうだ。数秒わたしをじいっと見つめたキバナさまは、きりりとかっこいい顔をこちらにずい、と近付けた。

「むぐ」
「キ、キバナさま、まだ職場です!」
「もう仕事も終わったし、残ってるのオレたちだけなんだからいいだろ?」

慌ててキバナさまの唇を押さえたわたしの手を掴んで、にんまりと笑いながらキバナさまはそう言った。そのままわたしの手のひらにちゅっとキスをして、するすると指同士を絡ませる。そのいやらしい指の動きに、思わずかあーっと赤面するとキバナくんは再びわたしに顔を寄せた。

「なぁ、ダメ?」
「ひゃわ……」

キラキラと輝くキバナくんの顔のかっこよさで『職場ではイチャイチャしない』と決めていた心が、真夏のアイスクリームのようにとろとろと溶けていく。どうにもわたしはキバナくんの顔に弱すぎる。

「うぐ……ちょこっと、ちゅってだけなら……」
「りょーかい」

ふ、と笑ったキバナくんは、指と指を絡ませたままちゅ、とわたしの唇にキスをした。柔らかい唇が重なって、わたしの言葉通りにキバナくんの唇はちゅっ♡ちゅっ♡と甘い音を立てながら何度もキスを繰り返す。おまけと言わんばかりにぺろりと悪戯っぽくわたしの唇を舐めて、キバナくんの唇は離れていった。

「……そんじゃ、続きは家でな」

最後にわたしのおでこにキスを落としたキバナくんは、指を絡ませたまま再び歩き始めた。その歩幅はわたしに合わせて小さくゆっくりだ。キスはちょこっとだけ、というお願いを聞いてくれたり歩幅を合わせてくれたりと、キバナくんはとても優しいのである。

「ところで、ずっと思ってたんだけどなんでまだ仕事中は『キバナさま』なんだ? オレさまとしては仕事中もいつも通りキバナくんでいいし、敬語も使わなくていいんだけど」
「だって、その……そうやって無理矢理切り替えないと……すぐイチャイチャしたくなっちゃうんだもん……」

話しながらも恥ずかしくて、声がだんだん小さくなっていく。ジムリーダーとして活躍しているキバナくんはものすごくかっこいいし、気を引き締めておかないとすぐにくっついてデレデレに甘えたくなってしまう。さらに言ってしまえば、ハグもキスもいつだってしたい。
そうごにょごにょと説明していると、キバナくんの足がまたぴたりと止まってしまった。立ち止まるキバナくんの顔をそろそろと見上げると、キバナくんは意外にも頬を少し赤くして、手で口もとを抑えていた。

「……オレさまてっきり、付き合う前からの習慣でだとかそういうのかと思ってたんだけど、そんな……え? そんなかわいい理由?」
「へ? か、かわ……?」
「あーもー! 早く家帰るぞ!」
「キバナくん? わわっ」

ぐい、と腕を引かれ、半ば引きずられるようにしてナックルジムを後にする。キバナくんはジムを出るなりすぐに空飛ぶタクシーを手配して、わたしと一緒にその大きな体をタクシーの座席へと押し込んだ。自宅へと向かう間、キバナくんに「家着いたらめちゃくちゃにかわいがるからな」と脅しめいたことを言われ、わたしの心臓はどうにかなりそうだった。
夕日はすっかり沈みきり、ナックルシティは夜空にチカチカと瞬く星によって美しく飾られている。しかし、家に着いてからのことで頭がいっぱいのわたしにその景色を楽しむ余裕は一ミリもなかった。