ジニア先生は何かと放っておけない人である。
フィールドワークに夢中になって大事な学会に遅刻したり、食事を取るのを忘れてしまったり、ボロボロの服のまま外出したりと、挙げ始めればキリがない。
わたしはそんなジニア先生を見かねて——というか、自ら進んで本来の助手の仕事の範囲を超えるようなお手伝いを色々としていた。わたしは、ジニア先生に恋をしている。
好きな人の側にはできるだけ居たいし、役にも立ちたい。なにより、ジニア先生に優しく名前を呼ばれて「ありがとうございまあす」なんてふにゃりと笑ってもらえるのがすごく幸せなのだ。
そんなわけで、今日もわたしはサンドイッチやら白衣やらを抱えて研究室に向かっていた。ジニア先生は昨日「ぼくはこのまま泊まって作業を続けますねえ」なんて言っていたから、きっとちゃんと食事もしてないはずだ。
「ジニア先生、おはようございます」
「はあい、おはよお」
コンコン、とノックをしてから研究室の扉を開けば、そこには昨日と変わらずパソコンのモニターとにらめっこするジニア先生の姿があった。
わたしがジニア先生の側へと近付くと、ジニア先生はモニターに釘付けだった視線をわたしの顔へと移して「なまえさん、今朝は早いですねえ」と柔らかく微笑んだ。
ジニア先生は今日もかわいくてかっこいい。またデスクで寝たのか、ジニア先生の動きに合わせて寝癖がぴょんぴょん跳ねている。
「ジニア先生、また食事を取るの忘れてるんじゃないかと思って朝ごはん買ってきたんです。角のお店のハムチーズサンド。すっごくおいしいんですよ。えっと……それと、こないだフィールドワーク中に破れちゃった白衣もお店で直してもらったので、ついでにそれも受け取ってきて……」
「わあ、ちょうどお腹空いたなあって思ってたところで……」
そうジニア先生が話し始めると、タイミングよくジニア先生のお腹の虫がくぅ、と鳴き声をあげる。思わず笑いながらサンドイッチを差し出せば、ジニア先生は「すいません」と恥ずかしそうに照れ笑いしながらそれを受け取った。照れた表情のジニア先生はそれはもうかわいくて、自然とわたしのほっぺたが熱くなる。
「えへへ、早速いただきますねえ。白衣もありがとうございます。実はもう替えが無かったのでとっても助かりましたあ」
「はい、どうぞ! 今コーヒーも淹れてきます。ジニア先生はサンドイッチ食べててくださいね」
白衣をジニア先生に手渡して、わたしはばたばたと研究室の隅にコーヒーを淹れに行く。ジニア先生がガサガサとサンドイッチの包みを開く音を聞きながらコーヒーを二杯淹れて、わたしはすぐにカップを持ってジニア先生の元へと戻った。
まだ始業時間にはなっていないし、サンドイッチを食べるジニア先生の横で一緒にのんびりコーヒーを飲ませてもらおう。
「コーヒー、ここに置いておきますね」
「ふあい……ありがとう〜」
「ジニア先生、今日はちゃんとおうちに帰って寝なきゃだめですよ」
「れふよねえ……」
もぐもぐとサンドイッチを頬張りながら頷くジニア先生は、まるでホシガリスのようで愛らしい。
わたしはゆるむ頬もそのままにジニア先生のデスクの隣に座って、暖かいコーヒーをごくりと一口飲んだ。すると、サンドイッチを片手に持ったままのジニア先生がわたしの顔をじいっと見つめ、穏やかな声で「なまえさん」とわたしの名前を呼ぶ。
「あの、一つ質問してもいいですかあ?」
「はい? なんでしょう?」
「いつもぼくの事、ものすごく色々と助けてくださって本当にありがとうございます。それで、その……なまえさんは誰にでも、こんなに親切なのかなあって……」
そう話すジニア先生の頬が赤くなっているのは、きっと気のせいなんかじゃない。そしてわたしの顔はそれ以上に真っ赤になってしまっている気がする。だって、顔どころか全身が熱くてたまらないのだ。
コーヒーを飲んだはずなのに喉はカラカラで、わたしは消え入りそうな声でジニア先生の質問に答えた。
「えっと、あの……ち、ちがい……ます……」
「……それは、ぼくにだけって受け取っちゃってもいいのかなあ?」
「は、はい! ジニア先生にだけ、です」
わたしの言葉を聞いたジニア先生は「えへへ」と照れたように笑うと、一人で「そっかあ、ぼくだけ」と噛み締めるように呟いた。そして片手に持ったままだったサンドイッチをデスクに置いて、わたしの手をぎゅうっと握った。初めてしっかりと触れるジニア先生の手は大きくて、少しだけカサカサしている。
「すごく、うれしいです。なまえさん、これからもぼくの事を隣でいっぱい助けてくださいねえ」
「っもちろんです! ジニア先生のためなら、なんでもします!」
「……なんでもしますなんて、ぼく以外には言っちゃダメですよお」
にこやかだったジニア先生の顔が、急にスッと真顔になる。普段あまり見ないジニア先生の表情に胸がきゅうっとなって、口からは小さく悲鳴のような声が出てしまった。声もいつもより低くて、わたしの手を握る力も強い。どうしよう、かっこよすぎて頭の中がめちゃくちゃだ。
「わ、わかり、ましたっ」
「わあ、いい子ですねえ。えらいえらい」
すぐにいつもの調子に戻ったジニア先生は、にこにこと笑いながら話を続ける。何が起こっているのか、わたしの心はもう完全にキャパオーバーだ。そんなわたしに更に追い討ちをかけるように、ジニア先生は「今度のお休みの日って、空いてますかあ?」と微笑んだ。
「なまえさんに日頃のお礼もしたいですし……えっと、もしよかったらぼくと食事にでも……」
「しょくじ」
しょくじ。食事? 言葉の意味がすぐに理解できず、数秒間固まってしまった。ジニア先生が、わたしと、食事に。それってもしかして、デートってやつでは。
返事をしなくてはと慌てて口を開いた瞬間、研究室のドアが開く音と共に「おはようございまーす!」と同僚の明るい声が聞こえてきた。反射的にわたしが椅子ごとジニア先生から離れると、同僚はわたしたちを特に気にする様子もなく、陽気に「お二人とも早いですね!」と笑いながら自分のデスクに向かっていく。
おはよう、と同僚にあいさつを返しながら、わたしはどきどきとうるさい自分の心臓を押さえた。
さっきのジニア先生の言葉の意味は、もしかして、自惚れてしまってもいいのだろうか。そうぐるぐる考えていると、再びそっとわたしの側に近づいてきたジニア先生に「お返事、待ってますねえ」とヒソヒソと耳打ちをされる。ふいうちの囁き声に、わたしの心臓はどきどきとうるさくなる一方だ。もうわたしの頭の中は、ジニア先生の事でいっぱいだった。
どうしよう、わたし、自分で思ってたよりももっとずっとジニア先生のことが好きなのかもしれない。