開店時間ちょうど、店の扉のベルがカランカランと心地良い音色を響かせる。わたしが「いらっしゃいませ」と声をかけるのと同時に現れたのはこの街の有名人、ナックルジムのジムリーダーであるキバナさんだった。
彼はわたしを見ると、にこりと微笑んでその長い足でわたしの立つレジまで歩みを進める。
キバナさんはわたしの働くこのカフェに数ヶ月前から通ってくれていた。休日やジムへの出勤前、ランチのついでの事もある。マスターの話によれば週に一度は必ず顔を出してくれているらしい。今はすやすやと寝息をたてているうちの看板ポケモン、ペロッパフもすっかりキバナさんに懐いている程だ。
わたしよりもずっと高い位置にある整った顔を見上げて「おはようございます」と挨拶をすれば、キバナさんは綺麗なブルーの瞳を細めて優しくわたしに笑いかけた。
「なまえちゃん、おはよ。今日もかわいいな」
「あ、ありがとうございます。今日は何にしますか? 今朝は寒いですしホットジンジャーティーなんかおすすめです」
当たり前のようにかけられる甘い言葉につい顔が熱くなる。それを誤魔化すようにして聞かれてもいないおすすめを早口に答えれば、キバナさんは「じゃあそれをテイクアウトで」とまるでワンパチのようににこーっと笑って見せた。
「かしこまりました」
「——ところで、そのピアスよく似合ってるな。初めて見る気がするけど誰かからの贈り物?」
スマホロトムで会計を済ませながら、キバナさんはちらりとわたしの耳元へ視線を動かした。数日前に購入したばかりの小さな花の形のピアスの事だと気がついて、わたしはキバナさんに見せるようにして少しだけ顔を傾ける。
「これですか? こないだ友達と買い物に行った時に衝動買いしちゃって……。気に入ってるので似合ってるならうれしいです」
「へぇ、友達と? 本当になまえちゃんに似合ってるぜ。すげえかわいい」
よく響く声ですらすらと褒め言葉掛けてくれたキバナさんに対して、わたしはもじもじと「ありがとうございます」と小さな声で答えることしかできなかった。
キバナさんはわたしと顔を合わせる度に、こうして勘違いしてしまいそうな言葉を投げかけてくるのだ。キバナさんがただのカフェ店員であるわたしなんかを本気で口説くはずはないので、きっとキバナさんは誰にでもこうなのだろう。それとも、わたしの反応を見ておもしろがってるのかもしれない。
優しく穏やかで人当たりのいい性格に、この整った顔。更にはガラル最強のジムリーダーでありながらもとてつもない努力家でもある。ちょっとくらいプレイボーイでないと、さすがに非の打ち所が無さすぎるだろう。恋人だってきっと居るに決まってる。
そう自分を納得させて、わたしは毎回キバナさんの言葉を真に受けすぎないようにしていた。
「お待たせしました。ホットジンジャーティーです。今日もジムのお仕事がんばって下さい」
出来上がったドリンクを差し出すと、キバナさんは「サンキュ」と眩しいくらいの笑顔で受け取って、大きな手をひらひらと振ってみせた。
「また会いに来るよ」
パチリとウインクをして、キバナさんはわたしに背を向ける。本当に最初から最後まで女の子をドキドキさせるのが上手い人だ。ゆっくりと店の扉を開く後ろ姿もまるで映画のワンシーンみたいにかっこいい。
キバナさんが店内から出ていくのをぼうっと眺めていると、すやすやと寝息を立てていたはずのペロッパフが眠たげに目を開いてわたしのことを見つめていた。
それから何日か経ったとある休日、午前中にちょっとした用事を済ませたわたしは以前から気になっていたベーカリーにランチを食べに行く為街を歩いていた。
お昼には少し早い時間帯だし、きっと席も空いてるはずだ。そんな事を考えながらスマホロトムでお店の場所を確認していると、ふいに背後から「おねーさん」と声をかけられる。
「これ、落し物——」
「あっ、ありがとうございま……」
振り返ったわたしの目の前に立っていたのは、ペロッパフのキーホルダーをこちらに差し出したキバナさんだった。お互いに目を丸くして一瞬固まった後、キバナさんは「すげえ偶然だな」と柔らかく微笑んでみせる。
「は、はい、本当に! キーホルダー、ありがとうございます。これ気に入ってたので助かりました」
「店の子にそっくりだもんな。この舌の出し方とか、ちょっと眠たそうな顔とか」
「ふふ、そうなんです。うちのペロッパフをいつもかわいがってくれてありがとうございます。あの子、キバナさんの事大好きなんですよ」
キーホルダーを受け取りながらそう話をすれば、キバナさんは優しい声で「かわいいな」と笑った。それはペロッパフに向けられた言葉だとわかっているのに、日頃のキバナさんの言動のせいか反射的に胸がドキドキしてしまう。
「なまえちゃんは今日、休み?」
「はい、そうです。キバナさんは……私服じゃないから、お仕事ですよね」
「うん、そう。オレさまは今昼休憩でさ。今からランチなんだけど、先約がなければ一緒にどう?」
「えっ!? わたしとですか?」
「あぁ、二人で。前からなまえちゃんとゆっくり話がしたかったんだ」
まさかランチに誘われるなんて思ってもみなかったわたしは、驚きのあまり手の中のキーホルダーを再び落としそうになってしまった。それをぎゅっと握り直して、ゆっくりと口を開く。
「キバナさん、あの……そういうの、本気にしちゃう女の子も居るので止めたほうがいいですよ」
「うん? そういうの?」
「顔を見る度にかわいいって言ったり、二人での食事に誘ったり……き、気のあるような素振りをするの、です!」
自分の心臓の音がばくばくと耳元で大きく聞こえ、全身がぶわっと熱くなる。これじゃ、わたしがキバナさんの言葉を全部本気にしていると伝えているようなものだ。言い訳のように「キバナさんの恋人にも悪いですし!」と早口で付け加え、わたしはその場でうつむいた。キバナさんの言動を真に受けないようにしていたはずなのに、どうしてこうなってしまったんだろう。
「恋人は居ないよ」
「へ?」
そろそろと顔を上げてキバナさんの顔を見れば、キバナさんは今まで見たことのない位真剣な顔でこちらを見つめていた。わたしのことをからかってるだとかプレイボーイだとかなんて思えないような表情で、キバナさんの瞳から目が逸らせない。
「恋人にしたい子なら居るけど」
「そ、それって……」
「オレさま今までけっこう真剣になまえちゃんのこと口説いてるつもりだったんだけど、本気にしてくれねえの?」
そうキバナさんに顔を覗き込まれ、心臓が鷲掴みにでもされたかのように胸の奥がきゅうっとする。
もしかして本当に、キバナさんはわたしのことを?
そう頭に浮かんだ瞬間、今まで無理矢理閉じ込めていた気持ちが一気に溢れ出す。口を開いて、おそるおそる発した言葉は情けないくらいに声が震えてしまっていた。
「ほんきに、しちゃってもいいんですか……?」
「もちろん。オレさまに口説かれてよ」
フ、と優しく目を細めて笑うキバナさんから目が離せないまま、わたしは熱に浮かされたように「はい」と答えていた。