※モブ視点です



俺の人生、一体なぜこうなってしまったのか。

特に何に秀でたわけでもない平凡な幼少期を過ごし、学生時代は人並みに苦労も満喫もして、平均的な月給と休暇のポケモンフーズ関連の会社に入社した。なんとなくで始めた仕事にも慣れ、社内にいいなと思う女の子も出来て、なんだかんだ幸せなのかもなんて思っていたのに。
先月、学生時代の先輩に誘われてギャンブルに手を出したのが何もかもの間違いだったのだ。生まれて初めて行ったカジノで大当たり——まさにビギナーズラックを経験し、味をしめた俺はそれから毎週末カジノへ通う様になってしまった。
だけど大きな勝ちは本当にその最初の一回だけで、後はほとんど負け続けている。俺にはギャンブルの才能なんてものはみじんも無かったのだ。
 
今思えば、カラスバさんは初めからその才能の無さを見抜いて俺に声を掛けたのかもしれない。
カジノで見事に全所持金をスッた俺に「なんやお兄さんもう止めてしまうん?」と優しく声を掛けてきたカラスバさんは「いい賭けっぷりやなあ思てずっと見てたんよ」「次こそ勝てるんちゃう? よかったらオレが金貸すで」「勝って返してくれたらええねん」などと耳当たりのいい言葉を並べ、俺の手に現金を手渡したのだ。
しかしそれまで負け続けていた俺が急に勝てるはずもなく、もう一回もう一回と繰り返して、気がつけば俺の手元には多額の借金と滅茶苦茶な内容の契約書だけが残っていた。
彼がサビ組のボスだと知っていれば金なんて借りなかったのに、と後悔しても後の祭りだ。
それからというもの、利子はあっという間に膨らみ、仕事の合間にサビ組の下でタダ働きする日々が続いている。時間も金も無いせいでなまえちゃんをデートに誘うことも出来ない。せっかくオシャレなカフェ、見つけたのになあ。
 


はあっと大きなため息を吐き、俺は埃っぽい棚をハタキではたく。せっかくの金曜の夜だというのに、こんな事をして過ごさなくてはいけないなんて。
今夜サビ組の組員の男から言い渡された仕事は事務所の地下にある物置の掃除だった。
いくつも並んだ棚の中身はあちこちぐちゃぐちゃで、床にはメガ結晶のかけらが詰め込まれたゴミ袋が雑然と置いてある。そこらへんから違法な物でも出てきそうで恐ろしい。

「あ」

うっかり腕があたり、棚に置いてあった恐らく買い置きのモンスターボールがバラバラと床にばら撒かれてしまった。
あーあ、と床に這いつくばって棚の下に転がっていってしまったそれを拾い集めていると、扉の向こうから足音と話し声が聞こえてきた。
サビ組の誰かが俺の様子を見にきたのだろうか?
俺は真面目に掃除してますよ〜、なんて脳内で扉の向こうの誰かに語りかけていると、ガチャリと扉が開かれて声の主が現れる。

「なんやまたここ電気付けっぱなしなんか。今度アイツらに言うとかんと」
「わ、荷物いっぱいあるねえ」
「なんでも屋さんやからな」

現れた二人は、どうやら俺に気がついていないようだった。床に這ってモンスターボールを拾う俺は棚で死角になっていて二人からは見えないんだろう。そのまま俺は息をひそめ、全力で気配を消した。
二人の声が、ものすごく聞き覚えのある声だったからだ。一人は俺に金を貸した張本人であるサビ組のボス、カラスバさんで間違いない。それで、もう一人のこのかわいらしい声は——。

「食事の前にこないな小汚いところに付き合うてもろて悪いなあ。すぐ済むさかい、堪忍な」
「ううん、気にしないで」

部屋の入り口すぐの棚をごそごそと漁る音が聞こえる。
物音を立てないように床に這ったままゆっくりとした動作でそちら側を覗くと、思った通り、俺がカフェに誘いたかった隣の部署のなまえちゃんがカラスバさんと一緒に立っていた。心臓の鼓動がどくどくと早くなる。どうして彼女がカラスバさんと?
まさかなまえちゃんも俺と一緒でサビ組にいいように使われてるんじゃ……と一瞬思ったが、二人の親しげな様子でそれは無いとすぐに思い知らされる。
あの距離感は絶対に債権者と債務者のそれではない。
そもそも、カラスバさんの雰囲気というか態度というか、声のトーンが俺を相手にした時とはまるで違うのだ。優しく穏やかで甘い。

「カラスバさん、ラペルピン割れた時に怪我とかしなかった?」
「してへんしてへん。キョウヤとのポケモンバトルの最中に石がかすっただけやさかい。……今日アイツじめんタイプのポケモンで固めて来よってなあ。ええ根性しとるで、ホンマ」

会話から察するに、どうやら二人はいつもカラスバさんが付けてるあのラペルピンのスペアを取りに来たようだ。そしてこの後に二人で食事に行く……やっぱりそれって、そういう事なんだろうか? まさかこんな風に失恋することになるなんて、思ってもみなかった。
俺がそんなことばかりを考えている間にどうやら目当ての物が見つかったらしく、カラスバさんが「あったあった」と呟いた。

「せや。せっかくやからこれ、なまえが付けてくれへん?」
「へ? わたしが?」
「ゲン担ぎにもなるし頼むわ」

カラスバさんにラペルピンを手渡された彼女はこくりと頷いて、カラスバさんの襟元にそれを装着する。なにやら真剣な面持ちだが、相変わらずものすごくかわいい。

「なまえ」
「んう、?」

「………………!」

目の前の信じられない光景に大声が出るかと思った。
カラスバさんがふいになまえちゃんの腰を抱き寄せ、そのままキスをしたのだ。
カラスバさんが被さっていてその表情は見えないが、生々しい舌を絡ませる音やなまえちゃんのくぐもった声が聞こえてくる。正直、ものすごくエロい。この二人、絶対に数え切れないくらいセックスしてるだろ。
完全なる失恋だ、と頭の中は悲しい気持ちでいっぱいのはずなのに、俺は今のこの状況に何故か少しだけ興奮していた。寝取られものが好きな友人の気持ちが少しわかったような気がする。

「ん、は……っ♡な、なんで急にこんな……っん♡」
「うん? 真面目な顔して隙だらけななまえがかわいくてつい、なあ。……はは、顔真っ赤やねえ。そない初心な反応されたらこの続きもしたなってまうわ」
「な、あっ♡カラスバさん、だめえ……っ♡」

カラスバさんの手が、なまえちゃんの丸い尻を思い切り鷲掴みにしている。なまえちゃんの泣きそうな声は明らかに快感を孕んでいて、聞いているだけで勃起しそう……というか、勃起してしまった。
このまま二人がマジでセックスしだしたらどうしよう。そんなの見たら俺、このまま射精してしまうかもしれない。
そんな世界一情けない射精なんてしたくない。もうこれで終わってくれ、と願う気持ちといや最後まで見たい、という気持ちが俺の中でせめぎ合っていた。
悶々とした気持ちに耐え切れず、俺はその場でほんの少しだけ身じろぎをしてしまった。すると運悪く足がさっきばら撒いたモンスターボールに当たり、二人の方へところころと転がっていく。
まずい! と思ってももはや手遅れで、ボールは二人の視界に入ってしまったようだった。
覗いていたなんてことがバレたら俺は一体どうなってしまうんだろう。とりあえず失神したフリでもするか? と馬鹿みたいなことしか思い付かず、股間が勃起したままとにかく目を閉じた。自分の心臓の音がうるさすぎて二人の声が聞きにくい。

「……モンスターボール?」
「ゴーストタイプのポケモンが入り込んだんかもしらんな。後で組のもんに調べさせとくわ。……とりあえず、外に出よか」
「う、うん」
「続きは家までお預けやなあ」

パチン、と部屋の電気が消され、扉を開く音と二人の声や足音が遠ざかっていくのが聞こえる。
よかった。本当によかった!
どうにかバレずに済んだ安堵感で、俺はその場で大きく息を吐いて脱力する。暗くなった室内でごろりと大の字になって寝そべり直すとまた手や足にモンスターボールが当たって、ころころとあちこちに散らばった。片付けるのは俺の体や気持ちがもう少し落ち着いてからにしよう。
特に、股間が。




翌日、ジプソさんに呼び出された俺は再びサビ組に足を踏み入れていた。ただし昨晩とは違い、今日は物置きの床ではなく事務所のソファに座っている。
昨日のことがバレたんじゃ、俺このまま殺されるんじゃ、と冷や汗が止まらなかった。あの後、掃除を終えて家に帰ってからヤクザもののAVで抜いたからなおさらだ。
俺の正面に座るカラスバさんの表情も、その隣に立つジプソさんの表情も読めない。小さく震える俺に気付いているのかいないのか、カラスバさんは「今日は一つ、提案があってなあ」といつもと変わらない調子で話し始めた。

「て、ていあん?」
「あぁ、オレの知り合いが新しく清掃業始めたらしいんやけどな、人手が足りへんねんて。自分、そこで働いてくれへん?」
「えっと、その、ダブルワークしてさっさと借金を返済しろって事でしょうか……?」
「ちゃうちゃう、今の職場辞めて街のお掃除屋さんになれ言うてるんや」
「えっ」

突拍子もない話に冷や汗も震えも止まって、目が丸くなる。まさかそんな提案をされるなんて思ってもみなかった。
もしかしてお掃除屋さんってサビ組にとって邪魔な人間だとか、その死体を片付けるとかそういうやつか?
などと必死に思考を巡らせていると、まるで俺の頭の中を読んだかのようにカラスバさんが言葉を続けた。

「最近街に増え続けとるメガ結晶ってあるやろ? それを片付ける素晴らしいお仕事や。大した目標もやる気もなく惰性で続けとる今の職場で働くよりずっとええと思うで。——まあ、詳しいことは契約書に書いてあるさかい、読んでサインしてくれたらええわ」

カラスバさんの傍らに立つジプソさんが、俺の目の前に契約書を差し出す。
俺はそれを受け取って、借金の利子の時のような滅茶苦茶なことが記載されていないか必死になって目を通した。
すると、驚くことに俺の不利益になる事は一切記載されていなかった。今の職場を転職し、清掃業者で働くなら借金の利息がチャラになるとまで書いてある。
残る元金の返済は給料から毎月天引き、今後はサビ組の仕事を受ける必要もない。こんな好条件、本当にいいのだろうか?
俺が「なんでこんな条件で……」と思わず口走ると、カラスバさんは大きなため息を吐き、眉間に皺を寄せて俺のことを見た。額には青筋が浮いていてめちゃくちゃ怖い。昨晩、なまえちゃんと居る時の顔とは大違いだ。

「オマエが理由知って何になんねん。ええから早よサインせえ」
「は、はい! すいません!」

慌ててペンを握り、契約書にサインする。恐怖と焦りのせいでひどい字だが、この場にそれを気にする者は居ない。すぐにジプソさんが契約書を回収し、俺は手持ち無沙汰になった手をぎゅっと握って膝の上に置いた。

「ほな契約成立やな。退職は来週中に頼むわ」
「来週……あっ、いえ、はい! わかりました!」

そんな急な、と思ったがこちらを見るカラスバさんの視線が恐ろしすぎて俺は爆速で頷いた。するとジプソさんから「カラスバさまからのお話は以上です」と淡々と告げられ、俺は追い出されるようにしてエレベーターへと向かった。

「ああ、そうや」

エレベーターに乗ろうとしたその時、カラスバさんから声をかけられて俺は後ろを振り向いた。カラスバさんはソファに座ったまま、真っ直ぐに俺のことを見つめている。

「昨日、下の物置の掃除してくれたんやって? ごっつ綺麗になってて驚いたわ。……棚の下までピッカピカやもんなあ。自分、掃除の才能あると思うで」

がんばりや、と続けながらソファから立ち上がるカラスバさんの胸元で、少し傾いたラペルピンがキラリと反射する。
あれ、もしかして、と全身の血の気が引いていくのを感じながら、俺は「ありがとうございます」とだけなんとか呟いてエレベーターに乗った。