ごぶぇ、と可愛げのない呻き声が漏れた。私の喉から。
宮田先生は私を診察台にぶん投げたあと、隣の部屋で何かをガチャガチャと弄っている。
「宮田先生……?」
返事は返ってこない。
「宮田先生、美奈、さんは……?」
村がおかしな事になってから、やはり逃げ込むにはここだと宮田医院を探した。病院の中は見覚えがないほど薄暗く、中にも化け物が彷徨いていた。
隠れた私を見つけたのは、宮田先生だった。
私は宮田先生に淡い恋心を抱いていた。
抱いていた、からこそ、美奈さんと付き合っていたのは、知っている。
やがて隣の部屋から、先の曲がったようなハサミを持った先生が出てきた。……この有事に、落ち着き払っている。
「竹中さん。丁度いい。痛いのは嫌いですか」
丁度いい、から次の言葉に、一体どんな繋がりがあるのかが受け取れなかった。
「い、痛いのは嫌いです」
私は何故診察台にあげられたのだろう。何もかもが暗い視界の中で、私の横たわる診察台に、何かパリパリとしたものがこびりついている気がする。
「なるほど。では、せめて」
そのままガラガラと、謎の機械をこちらに寄せる。
「今、眠いですか」
先程から宮田先生は質問ばかりだ。
「ね、眠くないです」
「そうですか。では……」
宮田先生がポケットから何かを取り出した。私は何も悪いことをしていないのに、宮田先生が好きだったことがまるで悪いことだったかのように、心の奥だけグチグチと溶けて、後ろめたさで動けない。
「これは、痛いですか」
まるで手を添え叩く、打診をするかのような穏やかな口調で宮田先生が聞いた。と同時に、左脇腹に重い激痛が走った。
「イタッ……!」
痛い、と言えただろうか。実際に口から出た言葉は、日本語としては成立しなさそうなものだった。驚いて宮田先生を見遣ると、彼が持っていたものは、カナヅチのようだった。
「いたい、いたいです……何でそんなことするんですか……」
村も訳がわからなくなって。お巡りさんも居なくって。宮田先生のことは頼れる大人だと思っていた、のに。
よく見ると宮田先生の白衣はあまりにも黒く汚れていた。
「竹中さん。貴女の瞳は綺麗ですね」
カナヅチを振りかざしたまま、宮田先生が初めて愚図りだした私の顔をまじまじと見つめた。
まるで予想していなかった褒め言葉に、殴られた下腹部がガンガンと熱を訴えた。……中で何かが潰れたかもしれない。
「ひとつ、貰っておきましょう」
そう言うと、私の顔に宮田先生の顔が近づいた。間近で目を覗かれる。……宮田先生はどちらの目がいいのか、ゆっくり品定めをしているようだった。
下腹部を殴られたことで腰が抜けて、動けない。宮田先生はやがて私の左瞼に、キスをした。
「さようなら」
左瞼が熱い。まるでそこだけ春が来て、植物が発芽するようだった。
宮田先生は先程寄せた機械を私の口元へ寄せると、濁った目だけこちらに向けた。
嗚呼、なんてかっこいいんだろう。
私の意識はそこで途絶えた。
気がつくと、私は病院の外にいた。遥か上に、私と宮田先生がいたであろう診察室の窓が見える。
私の身体はおかしな方向に捻じれ曲がり、1ミリたりとも、今は、動かせないような気がした。
私の左目は、宮田先生のポケットの中に入っていた。
2019年 異界入り