「譲! そっちのチャリも乗っけて」
近江連合が闊歩する夜の神室町で、人気のない路地に置いてある自転車を軽トラックに乗せる若者たちがいた。二人の男性が自転車を運び、トラックの荷台に乗るガタイの良い男がこれを受け取る。指示している男も、年齢は20歳前後だろうか。譲、と呼ばれた男は、キョロキョロとあたりを見回してから鍵のついていない自転車をカタン、と動かした。
「時間かけ過ぎだ。そろそろズラかるぞ!」
荷台に乗った男が叫んだ。そのとき。
「おい。……何をしてるんだ」
低くシャープな声が曲がり角から現れた。
「ヤベッ! おい、乗れ!出るぞ」
先程譲を呼んだ男は、ニィッと笑ってそのままトラックの荷台に飛び乗る。譲は急いで自転車を押したが、トラックは緩やかに走り出した。
「ばーか!」
高らかに荷台からリーダーが叫ぶ。譲は慌てて自転車を捨てようとしたが、先程角から現れた人物に首根っこを掴まれた。……いつもこうだ。僕だけ逃げ遅れてしまう。走り去るハイゼットと心配そうにこちらを見つめるリーダーを見送る。後ろの人物が何か無線でブツブツと呟いた。
「中村。お前、まだ彼奴等とつるんでるのか」
ようやく離された首元は痛くもなく、温もりだけ早めに失った。ゆっくりと振り向くと、警察官の――三國がいた。
三國は一度深い溜め息を吐くと、譲が掴んだままの自転車を受け取り、カラカラと元の場所に運ぶ。譲が逃げないとわかっているのか、丁寧に駐車禁止の黄色い紙を貼り付けた。
「さて」
何をするでもなくぼんやりと見つめていた譲の元へ、三國が近づいた。三國は優しそうな顔立ちではないが、神経質そうな、それでいてスッキリとした印象を与える。
「中村譲。君は何であんなワルガキとばっかりつるんでいるんだ。本来そんなことをする子じゃないだろう」
ばーか!と三國に向って高らかに叫んだ、先程のリーダーのことを思い浮かべる。譲はよくそのグループと一緒に街で小さな悪いことをしては、巡回中の三國に一人、捕まっていた。
捕まっていた、と言っても、三國は何故か最初から譲を補導しなかった。その癖リーダーが一度逃げ遅れたときには、リーダーと譲を纏めて交番に連れて行った。別々の部屋に通されリーダーは何をしていたのかわからないが、譲はデスクに座らされ、ただお茶を飲まされただけだった。湯呑みから昇り立つ湯気を眺めている譲を、三國もまたただ眺めていた。――三國の視線に溺れて、まるで湯呑になったような気持ちだった。
仕事の丁寧なお巡りさんだとはわかっているだけに、譲も何故こうも不問にされるのかがわからない。
「そ、そんなことないです」
ようやっと口から出た言葉は、早鐘を打つ心臓から叩き出されたものだった。僕は、いい子なんかじゃない。
「とにかく、こんなことはもうやめるんだ」
注意深く見下しながら、三國は色を見せずに言う。悔しくなって見上げると、色素の薄い瞳と目が合った。
思わず、手を伸ばしてしまう。
「……何してるんだ、返しなさい」
誰かの眼鏡を外すことなんて、したこと無いけど。そう言う割には、三國さんはちゃんと外されるまで、静かに一度瞬きをしただけで、避けようともしなかった。
「本当に近眼だから、よく見えないんだ」
いつも眼鏡だから物足りないように感じるかと思ったのに、眼鏡のない三國さんは急に色香が増したようだ。こちらの顔が見えないのか、長身を屈めるように顔を近づけてくる。
「弱ったな。君は俺を困らせるのがよほど上手いんだな」
そういった三國さんの吐息は、もう僕の唇に達してしまいそうだった。
(捕まったのは、どちらなのか。)