錦山が東城会直系の組長になって、数ヶ月がたった頃。錦山の部屋にいる若衆のお腹の中で、お昼ご飯を消化し始めた胃が彼の眠気を誘う昼下り。
空気も動いているのかわからぬ静寂を破り、目の前の電話が突然鳴った。リンリンと大きな音をたてる黒電話を慌てて引っ掴み、若衆は脅すように名乗る。
それを鼻で笑いながら、錦山は手元の書類から目を離し、くるりとリクライニングチェアを回した。――業務に飽きてしまった。
「組長、」
「……何だ」
背中越しに声が掛かる。面倒ごとじゃないといいが。
「真島の叔父貴から電話です」
「……」
……一番の面倒ごとが来てんじゃねえか。
錦山はイスを前に向き直し、黙ったまま手を差し出す。電話を寄越せ、という意味だ。線から引っ張られ、受話器は錦山の手の中に納まる。次いでグイッと顎を振ると、若衆はそそくさと連れ立って、会長室を後にした。
「……錦山です」
初めて会ったときから、何度話しても最初の一声が強張る。現在真島は嶋野組の中の組長であり、錦山は東城会直系の組長であるから、立場的には錦山の方が上になっている。しかしこの真島という男は、他人のリズムを崩し自分のペースに持っていく男である。錦山は、それに敵ったことが無かった。――殺されるも生かされるも、相手の気分次第という緊張が常に存在していた。
「おー、アキラちゃん! 元気やったか?」
電話の向こうから聞こえてきた声は、錦山の緊張を幾分か和らげる呑気さを孕んでいた。……タキシードにポニーテールだったあの真島はいったいどこに行っちまったんだ。
「真島さん、その呼び方辞めてくださいよ」
せっかく人払いをしたのに、無意識に声を潜めてしまう。
「ええやないか、アキラちゃん。かわええやろ?」
「かわいさは誰も求めてないんですよ……」
自然に寄ってしまっていた眉間の皺を揉みながら話す。……今日はこっちのテンションなんだな。それにしてもやけに上機嫌だ。
「何でや! かわいくなりたい時だってあるやろが!」
「……すんません、無いです」
本当に無いので正直に言ってしまった。真島さんはあるのかよ。……あの見た目で?
「あのな、アキラちゃん」
「……。はい」
時には諦めも肝心だ。
「錦山組に空いとる部屋ないか?あと鏡。 ちょっと使わしてもらいたいんやけど」
「ありますけど……何するんですか」
「いや、ちょーっとお着替えするだけや」
「……なんでうち使うんすか」
爆発物は持ち込み禁止ですよ、とも伝えた方がいいだろうか。
「アキラちゃんのファッションアドバイスが欲しいねん。お前のこと見込んで言うとるんやで?」
「……なんかしたらすぐ嶋野の叔父貴に言いつけますからね」
「ヒッヒッ、大丈夫や、悪いようにはせんわ。ほな、準備しといてや」
そんな訳で、俺ぁ真島さんの服を見ることになった……ようだ。
§
俺のアドバイスが欲しいなんて言うから、すっかりいい気になっちまったが、蓋を――いや、ドアを開けてみると、真島さんが着ていたのは女物のドレスだった。
「……」
「どや? アキラち……ちょちょ、閉めんなや!」
見なかった振りは、失敗した。
「真島さん……ふざけてるんすか」
「巫山戯てへんわ」
「ふざけてろよ!」
巫山戯てないって寧ろなんだよ。真面目にやんなよ。
「イヤやわぁアキラちゃんこわーい。折角の美人が台無しやで?」
最早まともな論理を諦める。深い溜め息をつきながら、初めて真面目にドレスを着た真島さんを見据えた。
赤い天鵞絨のドレスを着て、サイドに流した長髪のウィッグをつけている。サイズがピッタリのドレスは真島の肌の色にもしっかり合っていた。ヒールも気合の入ったピンヒールだし、よく見るとすね毛が剃られているのに感心してしまう。それなのに胸や腕の刺青はモロ出しで何時もの髭を拵えていて、矢張り何処に力を入れているのか、ズコーッ、とコケてしまいそうだった。……特に髭への嫌悪感が凄まじい。
「いや、髭はよォ……」
「あん? 髭剃ったらアタシのカワイさが爆発しちゃうやないか。アキラちゃんかて惚れてまうで?」
「……無いんで安心してくださいや」
……それにしても。
「あんたは明るい赤が似合うんだな。羨ましい」
もう何着か見繕って持ってきているらしいドレスが、真島の脇の椅子に掛かっていた。全てオーダーメイドなのだろうか。採寸した人は、まさかこんな事になるとは夢にも思っていないだろうに。
「なんや、錦山は似合わへんのか」
以前赤いスーツを着ていた所為か、真島さんは不思議そうにこてん、と顔を傾けた。
「たしかに……お前は濃い赤のほうが似合うみたいやな」
そう続けた真島さんは、悔しい哉、やはり見る"眼"は本物らしい。
真島の肌は影に潜むと判るが、時々ゾッとするような青白さを持っていた。対して錦山は、"青白い"というよりは健康色。夏が似合う色をしている。
「血の色か」
濃い赤、と言われ、思いついてしまう。
「ヒッヒ、なんや、中二病でもこじらせとるんか。それに、ヤクザやったら血の色が似合うた方がええやろが」
真島にだって、真紅が似合う人間には何人か心当たりがあった。
「いや……あんたのこと見てるとそうでもねえと思うぜ。……似合わないから映えるんだ。つけてるときに馴染まないほうが、目立って格好良いと思いますよ」
真島の普段の格好は、返り血を浴びて紅が浮いているからこそ、畏怖の念を抱かせるのだと思う。
……柄にもないことを言ったからか、真島は目を細めてこちらを精査するように黙りこくってしまった。慌てて他のドレスを掴み、こちらを見つめる真島の顔前に掲げる。
「ん。真島さんやっぱりモスグリーン似合わねえな。絶対顔の周りに入れないほうがいい」
あと、蛍光色似合いますね。黄色とか、ピンクとか。と続ける。
服の合わせについては、俺だって拘りがあるし、その上で真島さんのセンスも普段からわからなくないと思っている。この人は、何だかんだ全てに意味があったりするんだ。例えその繋がりは彼の中でしか解らないとしても、意図は汲める。だからこそこの点で頼られてしまうと、どうにもこそばゆい照れくささと誇らしさが、無いと言えば嘘になる。
「……ほう。覚えとくわ。ありがと、彰ちゃん♪」
……髭はやっぱり剃ってほしい。ぜってぇ剃らないんだろうけど。
「それにしてもそんな格好いつどこでするんすか」
「さあ? せやけど……ワシは待ち人が多いからのう」
「……」
「その人を楽しませるために、練習しとこかおもてんねん」
――待チ人。
「それに……ワシがこのカッコで峰不二子みたいに敵のアジトに潜入する日が来るかもしれへんやろ?」
この人は、俺の心臓の傷を、撫でては距離をとる。忘れてはいけないことを、俺は忘れていないぞ。お前はどうするんだと。手前の事は手前で決めろと。
「……そんときゃ真島さんより先に、俺に話が来るんじゃないですかね」
「なんや、彰ちゃん美人の自覚あるんかいな。生意気やのう」
「……まあ、そこらへんの同業者よりは」
「ほーぅ? せやなぁ……確かに美丈夫ではあるか。ワシやったらお前が死んだ暁には死体から血ぃもろて飲むんやけどな」
「……例えのセンスどうなってるんすか。いつの時代のやり方だよ」
ヒヒヒ、と独特の笑い方で茶化す。
優しいんだか辛いんだか。まったくわかんねえよ。
「俺ぁ前の真島さんの見た目好きですけどね」
10年以上前、この人と初めて会った日を思い出す。俺は残酷さも知らない半端な若者だったが、真島さんは群れから逸れたオオカミのような鋭さを持っていた。常に喪に服しているような強さと、そして"まるで人間"であるかのように、一人の女性に対してグラグラと揺れていた。
「……」
「おおこわ、」
ギロリ、と睨まれれば、いつか「あの頃を知っているから」という理由だけで殺されることもあろうかと思ってしまう。
「……なんやねん。今の見た目だってかっこええやろが。彰ちゃんかて、向上心のある男は嫌いやないやろ?」
女装をしただけの"真島吾朗"が、そう言いながら近寄ってくる。
「……ちかいっすよ。真島さん」
ピンヒールを履いた真島さんは、高さがある所為かいつにも増して威圧的に感じた。ウィッグと上品なデザインのドレスが、ただ身に纏われているだけのような、でも、これは、似合っているのだなと。
「……ワシの目が一つでよかったわ」
「あ?」
暫く俺を見下ろしていた真島さんが、低い声でそう呟いた、と、思う。しかし見上げた時にはもう、ニッ!と笑っていた。
「ほな彰ちゃん、またアドバイスよろしゅう。着替えるから出てってやー」
クルッと身体を回転させ、鼻歌交じりで姿見に向き直る。
また掻き乱されちまったなと思いながら、オッサンの着替を見る趣味も無く、やれやれと扉へ向かった。
――まったく。次は柏木さん呼んでやろうかな。ちったぁ大人しくなるだろうよ。
Fin.