19
「これにてハッピーエンド、めでたしめでたし……ってか?」
はっ、と。誰もいない夜の花畑で、言葉を吐き捨てたのはディストだ。
父が崩れ落ちた花畑にうずくまって、ただ恨み言を吐いて。こんな展開望んでいなかったと歪ませるディストは怒りに満ちているような、今にも泣き出しそうな表情をしていた。
ここにもう誰もいないことなんてわかっている。早く家に帰るべきだ。自分の姉弟のことを受け入れてくれる人たちに、今回の感謝と謝罪を伝えるべきだ。ディストに残る理知的な部分はそう言うけれど、そんなことを今さらしてどうなるのだと、自分が謝罪や感謝を口にする資格があるのかと、そう己を詰る声も頭に響いていて、地面を叩きつけることしかできない。
だって、結局己は誰も助けられなかった。家族を守ろうとして、いろんなことをしたのに。無関係の人の魂を奪って、家族を壊しただけだ。事態を悪化させることしかできなかったのに。突然、父親のことは残念ですがこれで全部終わりです、めでたしめでたし、なんて言われたって、感情が追い付かない。置いて行かないでくれ。まだ何も終わっていないだろう。まだ何も、何も。
「どうしてももっと早く来なかったんだ」
そう絞り出した声は、決して独り言ではなかった。さくりさくりと花を踏みしめて、いつの間にかすぐ傍まで来ていたその人に……秋帆に。恨み言のように呟いた言葉だった。
ディストが振り返ったって、彼女は表情を変えたりしない。そもそも、彼女は別にディストに会いに来たわけでもなんでもないのだろう。おそらく、きちんと契約と封印ができているのか確認をしたかっただけだ。もしくはあんな急ごしらえではなく、改めて封印作業を行おうとしているのかもしれない。
知らない。わからない。けれど、彼女が何者であるかは、初めて顔を合わせた時から知っていたから。彼女が、歪み始めていた封印をなんとかできる存在だとわかってしまっていたから。だから、願わずにいられない。もっと早く、ここに来てくれていればと。
「お前がもっと早く来てくれたらよかったんだ。あいつが封印を解く前に、父さんが傷を負う前に、姉さんが眠る前に、俺が人を傷つける前に、お前が来てくれていたら」
こんなの八つ当たりだ。わかっている。
そもそも彼女一人来たところで、契約の資格を持つ者がいなければ完全には救われない。父だって、正気に戻ったとしても、大精霊のために奔走しただろう。かつてのような穏やかな日々はきっと帰ってこなかった。
それでも、今よりはずっとよかったはずだと、そう思ってしまう。だから誰かのせいにしなければやっていられなかった。自分がただ意味もなく罪を重ねただけなのだと、思いたくなかった。
「お前がもっと早くここに来ていれば、誰も傷ついたりしなかったんだ!」
「あなたの責任まで私に押し付けるのやめてもらえますか」
ばっさりと切り捨てる言葉に、八つ当たりの自覚があるディストは黙り込む。
彼女はそれに何かを言うどころか、ディストに視線さえ向けないまま花畑の中心まで歩くと、杖を取り出して何事かを呟きだした。大きな魔法陣と共に、杖を地面に突き刺す彼女に、やはり封印を改めて強化しに来たらしい。知らずうちにこぶしを握る手の力が強くなる。
この観測者が、もっと早く、ここに来てくれていたらよかった。クリアが精霊の封印を緩めてしまう時より先に、とまではいかなくても。精霊が外に出て行かないように、エルダが拘束するために眠りにつくより早く来てくれたら。ディストが他人を傷つけるより前に来てくれたら。完全な解決にはならなくても、もっといい未来が訪れたはずだ。
ただ意味もなく人を傷付けることなんてしなくてよかった。クリアがあんなに苦しむこともなかった。そう思えば思うほど、目の前の少女にすべてを押し付けて怒鳴りたくなる。
それこそ意味のない八つ当たりだからと黙って作業を眺めていれば、不意に秋帆が口を開いた。
「逆に聞きますけど。私はどうすればよかったと思いますか?」
は、と漏れた声は思ったよりも間抜けで、ディストは思わず顔をしかめる。
どうすれば、とは。いつのことを言っているのだ。主語を言え、と睨めば、彼女はこちらに振り返ることなく、指先で杖をなぞりながら口を開いた。
「かつて。まだ常春の世界だった頃。私の制止で女神が涙を流しだした時。あなたの父上たちに力を奪われて動けなくなった時。なんとかもう一度顕現できるようになったら歪みがあちこちで起きて、じゃあせめてなんとかしなきゃってしてるのに邪魔されてる私は、どうすればよかったと思いますか?」
それは、遠回しにディストを責める言葉だった。八つ当たりをするディストに、お前のせいでこちらも困ったのだと、切り返す言葉だった。
女神の時代のことなんて知らない。父たちの物語も詳しくは知らない。ただ、父がずっと封印を気にしていて、この地から離れなかったことは知っている。だから、ディストは父の選択肢を責められない。それは、かつての秋帆に対して「仕方なかった」と流すしかできないということだ。
なんとかしなきゃと行動していることも、なんとなく気付いていた。最初は父のように彼女の力や魂を使って、家族だけを救おうとしたディストと違って、彼女はすべての封印をどうにかしようとしている。メイとアイヤールだってそうだ。自分の家族しか守ろうとしないディストに比べて、彼らの方がよほど正しいとわかっていた。でも、そんなものよりも家族の方が大事だったのだ。見知らぬ誰かたちよりも、大切な家族を助けたかったのだ。
だから邪魔をした。この地に入れないようにした。追い返そうとした。クリアと仲がよさそうだからすぐには攻撃しなかったけれど、彼女の目的を邪魔するつもりであったのは事実だ。
何も答えられない。何を答えればいいのかわからない。黙り込んだディストに、秋帆はやはり表情を変えずに。ほらね、と言わんばかりに、ただちらりとだけこちらを一瞥した。
「わからないんですよ。どうすればよかったかとか、そんなこと」
だから私に八つ当たりされても困ります、と。突き放す声に歯噛みする。
わかってる。わかっている。そんなの全部わかっている。何もわからないほど無知でなければ、理解できないほど意固地でもない。わかっている。わかっているのだ。
「ヒトの寿命分も生きていないような矮小な存在は、そうやってわあわあと喚くのが仕事なんでしょうけど。すべてのことに答えや手段が用意されていて、責任を押し付けることができる相手がいるなんて思わないでください」
「わかってるんだそんなことは!」
思わず叫んだ声が花畑に散る。はらはらと花びらが風に散って、ディストはくそっと舌打ちをした。
納得できる答えなんてどこにもない。知っている。もう起きてしまったことがすべてだ。わかっている。土の大精霊は契約者を得て落ち着き、封印は再度形を得て、この地から異変は消えた。ディストが何もできなくても、誰かを傷付けただけで納得のできる未来を得られなかったとしても、物語はこれで終わりなのだ。
このまま進まないといけない。父がいなくなった家に、帰らないといけない。
「だからって、はいそうですか、じゃあ全部忘れて次へ進みましょう、なんてできるわけねえだろ!」
「誰が忘れろって言ったんですか」
激昂するディストに、秋帆は面倒くさそうに肩をすくめる。風に揺れる長い髪を鬱陶しそうに手で払いながら近付くと、詰め寄るようにディストの胸へと指を突き付ける。
そのどこまでも静かな瞳が、けれど確かに、煩わしそうに自分を見つめてくることに、ディストは指ではなく刃物を突き付けられているような気になった。
「やらかした事全部忘れる方が無責任です。あなたは全部覚えて、抱えて、あの子たちを傷付けたことを後悔して、自分がやったことを懺悔していくんです。大丈夫ですよ。世界のあらゆるものがあなたを許したって、事実は変わりません。時間は終わりある生き物のために止まることはせず、立ち止まることを許さない」
時間はあなたに味方しないと、彼女は言う。忘れずに引きずってそれでも歩みを止めるなと、答えをくれない観測者が言う。
「時間がかかってでも、あなたの責任から目をそらすことは許されません。駄々をこねていないで、家に帰るんですね」
何も言い返さず、ただただ自分を睨みつけてくるディストに、やがて彼女はふうと息を吐いて離れて。それから、もう興味を失ったとばかりに背中を向けると、再び杖へと向き直った。