22-1

竜の伝説があるこの町には、竜から力を授けられたという魔法少女がいる。
彼女がいるから自分たちはこの世界で生きていける。かつて襲った災厄を斃し、平和な世界を取り戻したのは彼女の功績だ。彼女の戦いによってこの町は今も平和に暮らしている。

魔法少女はもう当たり前に日常に溶け込んでいる。
彼女が存在することがここでは当然だ。彼女がいない日常などもう考えられない。突然現れた夢と希望は、瞬く間に人々の心を掴んでしまったから。敵対する相手すら彼女の存在に光を見ているから。

魔法少女は、この町の英雄だ。
魔法少女は、この町の光だ。

でも。でも、違う。 自分を救った英雄は彼女じゃない。そんなすごい人間でも、素晴らしい何者かでもない。
自分より色鮮やかに笑う、春のような子供だ。春のあたたかな光に照らされて、香りの良い花を優しく揺らす春風のような子供だ。
手を差し伸べて、柔らかい部分を抱きしめてくれて、優しく笑いかけてくれた、ただの子供。

だから、魔法少女に願わない。
だから、魔法少女に救われない。

たった一人、彼だけが。


「こんな時間にお散歩ですか?」
早朝、人のほとんどいない時間。まだ眠っている静かな町をゆっくりと歩いて、ぼんやりと海を眺めるのが日課だったけれど。ふわりと落ちてきた声に、ほわ、と胸の内側があたたかくなるのがわかった。
この時間に話しかけられるのはとても珍しいことだ。たまにすれ違う人たちは、一人の時間を大事にしているのか目も合わせてくれないから、むしろ初めてかもしれない。
でもこの声が誰か、なんて、すぐにわかる。ゆっくりと振り返れば、やっぱりそこにいたのは魔法少女の姿をした絢瀬だ。彼女の癖なのか、上体を屈めて覗き込むように俺を見上げている。そんなことをしなくても、身長差で俺の表情なんてよく見えるだろうに。どこかふわふわとした様子で見上げてくる瞳に、俺はほんの少しだけ目を細めた。
「珍しいな、その格好で」
「はい。一仕事終えてきたところです!」
くるりと踊るように俺の前へと踏み出した絢瀬は、当たり前のように右手を差し出してくる。だから俺も、当然の顔をしてその手を取って、優しくその甲を撫でた。
すっかり恒例になったこの仕草をしながら、ぼんやりと抱いていた疑問への答えをじっくりと飲み込む。早朝とはいえ、この道に誰もいないのは珍しいと思っていたのだ。早朝の散歩やランニングを行う人たちはそちらへ行ってしまったということだろう。朝から情報が速いなと気持ちだけ笑って、再び絢瀬へと目を向ける。
大人しく撫でられている彼女は俺と目を合わせると、へにゃ、と笑った。
「帰ろうと思ったら、珍しく巻き込まれてない先輩が、ぼーっと歩いているのが見えたから、つい」
「そうか」
「それに、ここらへんってもう研究所の私有地内で、映像関係は全部姉さんが管理してるんだ。それで、ここらへんでは録画とか録音とか一切できないようになってるんだって。魔法と同じくらいすごい気がするけど、姉さんの説明聞いてもよくわかんなかった」
だから心配いらない、と少しはにかみながら説明する彼女に、こっそりと胸をなでおろす。
ちょうど聞こうと思っていたのだ。頻繁に事件に巻き込まれて、ある程度登場人物として顔を知られてしまってはいるけれど、あくまで一般人である俺と魔法少女がこうして二人きりで会っているというのは少し問題ではないか、と。
魔法少女はこの町みんなのアイドルと言っても過言ではない存在だ。誰かに目撃されるのはどうかと思ったけれど、この近辺に限っては証拠が残らないから平気だと魔法少女は言う。絶対に大丈夫というわけではないが、あまり深く聞くと、彼の自慢の姉を信じられないのか、と機嫌を損ねかねないので黙ることにした。
「公道じゃなかったのか……不法侵入になるか?」
「ここがそうだって知ってる人の方が少ないから大丈夫ですよ」
朝の散歩コースとして人気の場所なのに、と残念に思ったが、そちらについても問題はないらしい。特に撮影スポットとして人気なわけでもないのだから、撮影できないことに気付く人だって少ない。あったとて、せいぜいこの辺りは電波が悪いな、と思う程度だろう。
そもそも魔法少女の正体を知ろうとする人間の方がこの町には少ないから、この対策だって、そんなに大きな意味を持っているわけではないのかもしれない。

魔法少女と悪の組織はこの町の娯楽だ。マスコットキャラクター、看板娘、代表作。かといって外に発信しているわけでもない、ご当地限定のヒーロー。彼女の存在を認識した当初こそメディアも騒いだけれど、絢瀬の言う「姉さん」こと姫野梢さんがわざわざ戦いの場に飛び出して、「キミたちの公式グッズが作りたいし個人情報を守りつつ快適に二次創作もしたいなって思うので権利関係を保有する組織を作ってほしい、なんなら私が起ち上げるから許可してほしい! 詳しくはこちらに連絡を!」と派手に名乗り上げたのをきっかけに、魔法少女たち本人ではなく、梢さんやそれぞれの権利関係を所有することになった「拠点」へとメディアの目は向けられるようになった。
あくまでも正体のわからない、けれど不思議な不思議なヒーローショー。拠点に問い合わせればコラボ商品だって作ってもらえるので、無理して正体を暴く必要もない、実在の娯楽作品。
だからこの近くにある魔法少女の拠点も、悪の組織の拠点も、所在地はわかっているけれど誰も不必要に近付いたりしないし、お互いの拠点には攻撃しないようにしよう、と暗黙のルールが敷かれているくらいで。守るべき個人情報などが守られていれば、細かいことは気にしないのかもしれない。

「では、何も聞かなかったことにして、今後も散歩に使おう」
「そうですねえ」
いいんじゃないですか、と少し適当に返事をする絢瀬は、いつの間にか手を撫でられるだけではなく、にぎにぎと握り返すようになっていた。普段ならそうやって自分から触れてくることなんてほとんどないのに。先ほどから微妙に砕けて甘えた口調といい、今日はずいぶんとふわふわしている。
たぶん、眠いのだろう。先ほど一仕事してきた、と言っていたし、事件が起きたのが早朝どころか夜明け前だった可能性もある。早起きしたのか夜更かししたのか、さすがに判断がつかないが、単純に眠くて、それで少し思考が緩んでいるのかもしれない。 つまりこれはゆるゆるになった「彼」の素の行動だ。そのことに気付いて、深く深く、息を吸った。
「長いイヤイヤ期だった……」
「は?」
今でこそ不思議そうに首を傾げるだけだが、絢瀬が魔法少女であると看破した直後や「彼女」が「彼」であることを見抜いてしまった時などは、一生懸命に笑顔を取り繕いながらも、明らかに警戒していたのに。そしてそうやって警戒することすらストレスだとばかりに俺を避けようとしていたのに。今はこれ。ものすごい進歩だ。
いや、そんなに嫌がられているとわかって、それでも構いに行っていた己の行動は純粋に迷惑だったのではと、思わないでもないのだが。
だがどうしても、どうしても、この繋がりを手放すわけにはいかなかったのだ。
彼は覚えていないようだけれど、俺は彼にとても救われたから。どうしても彼に自分の持つありとあらゆるものを渡したくてたまらなくて、なんとか許される距離を測りながら構い続けた。
そうして知ったことはたくさんある。たとえば「いや」は本当に嫌で、「だめ」は押せば揺らぐことがあるとか。「いいよ」は無理している時が多くて、「大丈夫」は言い方によって意味が違う。一生懸命我慢しているようだけれど、いい感じの木の枝は集めたい派で動物でもロボットでも大きい方が好き。男性が好きそうな可愛いらしい仕草はだいたい姉を参考にした真似であるとか、がっつりした肉料理が好きだとか。陽葵がそうだったから何でもないふりをしているが、実際は自分から行動するのがあまり得意ではないだろうこと。とか。
一生懸命に調べた絢瀬のことを伝えた時に、自分と同じように表情に乏しいようで表情豊かな研究所の人が「こわ……」とだけ返してきたことまで思い出してしまったが、なかったことにしてぐっと小さくこぶしを握る。
今。こうやって、すっかり俺に警戒を解いてくれたことが嬉しい。多少、扱いが雑だと感じることもあるけれど、それもまた甘えられているのだと思えば可愛くて仕方がない。

イヤイヤ期に例えてしまったせいか、眠いせいか。いまいち俺の言葉の意味を掴みかねた絢瀬は、呆れたような顔をして手を握る力を少しだけ強くした。
「またどこかで小さな子を誑かしてきたんですか?」
「誑かしたことはない」
「じゃあ大きい子?」
「俺を何だと思っているんだ」
「何をしても褒めて全肯定してくれる人」
確かに。他の友人たちからも「秋也はなんでも褒めてくれるよね」と言われるくらいには人を褒めるようにしている自覚はある。というか、そう心がけているというか。どうせなら相手のいいところを見つけたいと思っているというか。そうすることで、少しくらい構いすぎても怒られない関係を作ろうとしている部分はある。
その中でも特に絢瀬に対してはその傾向が強い、気がする。普段はもう少し叱ったりできている気がするが、確かに絢瀬のことは、全然、まったく、𠮟ったりとか、出来ていない。なんとか諭そうとしたことがあるくらいか。でも仕方ない。どうしても絢瀬はよしよしなでなでいーこいーこしたいのだ、俺は。
「……本当は叱れるようにもなりたいんだ。甘やかすばかりではいけないともわかっている……だがどうしてもよしよししたくなってしまって……」
「はあ」
「聞き流しているな」
「まあ」
いかにもつまらなさそうに俺の手で遊ぶ絢瀬は、そもそもこの話題に飽きているようだった。実に遠慮のない態度である。他の人への対応と比べても明らかに冷たくて、反抗期みたいで可愛い、なんて思ってしまう自分は、わかっていたけれど彼女に対して本当に甘い。
確か、「彼」が「彼女」になったのは五年前、九歳の頃だったと聞く。少しずつ男女の違いが出始め、思春期の入口とも言われている年齢のはずだ。そろそろ反抗期が始まるタイミングもである時に、がらりと生活が変わってしまって、「絢瀬陽葵」として振舞うのに精一杯で。反抗期なんてしている余裕がなかっただろうことを考えると、これはこれでだいぶ特別扱いをしてもらえているのではないか、なんて。実に楽観的で都合のいいことを考えてしまう。
もしかしたら本当に反抗期なのかもしれない。もともと初手で正体を看破してしまったことせいで警戒心を抱かれているのはわかっていた。それでも最近はそれもだいぶ解れてきて、遠慮がなくなってきているのも感じていて。その結果、本当に家族のように、反抗してもいいと思うくらいには心を開いてもらえているのかもしれない、なんて。さすがにそれは都合よく考え過ぎだろうか。

ふと。気付けば手ではなく、顔をじっと見られていることに気付く。何か言いたいことでもあるのだろうか。顔が整っている自覚と自信はあるけれど、それ以上に何かと「天才美少女」と呼ばれる梢さんと暮らして美形を見慣れている絢瀬がそれを話題に上げたことはないから、見惚れている、なんてことはありえないだろう。
何か食べたいものでもあるのかな、と考えていれば、ぺたり。突然胸のあたりを撫でられた。
そのままさわさわと手のひらが胸の上を這って、少しだけくすぐったい。何をしたいのかわからなくて自由にさせているが、絢瀬の目が眠そうに垂れているあたり、深く考えていない可能性がある。いや、深く考えずに人の胸など触るものではないが。
「出ないぞ」
「何が?」
「何も」
よくない。思わず出た言葉に慌てて口を閉じる。
この先はセクハラだ。彼女は彼かもしれないが、男相手なら言ってもいいというわけではない。対同性の友人と同じように変なことを言ってしまった。失言だ。幸いにも絢瀬には通じなかったことにほっとしつつ、深く反省する。
ぺたぺた。さわさわ。
俺が反省している間も遠慮なく触り続ける絢瀬に、どちらかというと現在進行形でセクハラをされているのは自分のような気がしてきたけれど我慢だ。黙って好きなようにさせていれば、彼女はやがて、何かを考えるように小さく呟いた。
「抱っこしたら寝心地いいのかな……」
「いや……クッションの方がずっといいと思うぞ」
「そっか……」
というより、年頃の女の子が男の子を抱き枕にして寝ようとしないでほしい。
「彼」が自分の性別をどちらで捉えているのかは知らないが、どちらにせよよろしくない。
そんなに眠いのだろうか。そっと頬に手の甲を当てると、絢瀬はふふ、と笑って手に寄りかかってくる。相当眠いようだ。
「眠いならちゃんと帰ってから寝なさい」
「眠いとはいってない……」
「そうか。「陽葵」は寝たくないとぐずる子なのか」
「違います……たぶん……寝る前のことは知らないけど……」
陽葵を引き合いに出せばだいたい流されて素直になったりお願い聞いてくれたりするよ、と彼の姉が言っていた通り、むすりと頬を膨らませて「眠いです」と自己申告してきたけれど、これはこれで困った。何せ俺は、梢さんの連絡先は知らないのだ。
自分で「眠い」と発してしまったせいか、ずいぶんと瞼を落としては、俺の手で頬を支えるようにもたれかかっている姿を見るに、迎えに来てもらえないならいっそ自分で運んでしまった方が速い。ここから考えると、絢瀬の家より拠点の方が近いなとルートを決めてから、あやせ、と呼び掛けた。
「抱き枕、試してみるか?」
「んー……?」
うとうと。ほとんど目を閉じたまま、少しだけこちらを見上げるように首を動かす。これはもう限界だと判断していいだろう。きょろりと周りを見回してから、よいしょ、と絢瀬の体を抱き上げた。
とんとんと、この間ボランティアで一緒に遊んだ子供を寝かしつけた時のように背中を叩く。抱き方もあやし方も完全に子供扱いだが、まあ自分は彼女を本当に自分の養子にしたいくらい可愛い子供だと思っているので問題ないだろう。文句を言うかもしれない絢瀬はむずがるように身じろいだ後、ぎゅうと首に腕をまわしてくるだけなので、気にしないことにする。
「姉さんの方がいい……」
「それは、まあ、そうだろうな」
感触も安心感も、長く一緒に暮らしている姉の方がいいに決まっている。だが彼女の連絡先を知らないのだ。今は俺で我慢してほしい。
そうして歩き出せば、すぐに寝息が耳にかかり始める。よほど眠かったようだ。今日は普通に平日なのだけれど、この後ちゃんと学校に行けるのだろうか。心配だが、さすがに恋人でも本当の家族でもないのに学校までこうして運ぶのは、怒られるどころではないのでどうにもできない。
ただ、まあ。よくある物語のように、この小さな体に世界の命運がかかるような世界ではなくてよかったなと、寝息を聞きながら思った。

一番最初、五年よりもっと前に、絢瀬陽葵が魔法少女になった理由は知らない。
五年前に、確かに大きな事件があったことはぼんやりと覚えている。その時に魔法少女が自分たちを助けてくれたことも知っている。だがそれがどんな事件で、どんなことが起きたのか、誰も覚えていない。まるで魔法にかけられたように、その時のことを誰も知らなかった。
今もどうして悪の組織との小競り合いという名のヒーローショーを行っているのか、よく知らない。俺はあくまで部外者で、たまに事件に巻き込まれることがあるだけの、事情も知らない一般人だ。そもそも彼らがどうして「悪」を名乗っているのかも、何も知らない。
何も知らない、けれど。夢のようだったけれど。覚えていることも確かにあるのだ。
(俺を救ってくれたのは魔法少女じゃなくて、「君」なんだと言っても伝わる気配がないな)
目の前の少女と出会った時も、魔法少女に初めて助けられた時も。いいや、それどころか五年前、夢幻と消えた事件の最中。俺は間違いなく、この目の前の少年に救われたのだ。魔法少女ではない、ただの子供に救われたことを覚えている。絢瀬は絶対に信じてくれないけれど、これは嘘ではないのだ。
きっと、もしかしたら。本物の絢瀬陽葵もそうだったのではないかと、俺は思っている。俺と同じように彼に救われたからこそ、命を賭してでも彼を助けようとして、体を明け渡したままどこかへ行ってしまったのではないかと。
……さすがに、無責任にそんな可能性を言うわけにはいかないけれど。なんとなく、みんなの記憶から颯爽と去って行った本当の彼女は、自分と同じなのかもしれないと思った。
(名前、呼びたいな)
絢瀬、ではない、彼の名前。
自分はあくまで「絢瀬陽葵」で、いつか必ず絢瀬陽葵にこの体を返すから、もう本当の名前なんて誰にも呼ばれたくないのだと、彼は言って呼ばせてくれない名前。
彼が願う限り、呼べるわけもないのだけれど。せめていつか、その名前を呼んでから別れたい。なんて。抱きしめている力を強くしたことなんて、眠っている彼は知らないのだ。



2022年1月執筆

ごちゃ。