魔法少女は振り回したい
「
「……うわ、違和感すっごい……」
呼んでくれと頼まれたから、素直に彼女の名前を呼んだだけなのに。
目の前に座る、正真正銘の絢瀬陽葵は、なんとも言えない顔でうなだれた。
「区別着けないといけないのはわかるけど、やめない? ……ません?
「無理して丁寧な言葉にしなくていいぞ」
「でも、槙がそういう風にしちゃったから」
他の人ならもう少しうまくできるもん、と頬を膨らませるのは絢瀬陽葵だ。……本物の、絢瀬陽葵である。
五年前。幼馴染である姫野槙を助けるために、彼女は自分の体に彼の魂を移し替えた。
その後行方がわからなくなってしまった本物の絢瀬陽葵を探しながら、彼女に問題なく体を返せるようにと「絢瀬陽葵」を演じていた彼が、ようやっと陽葵を見つけ出して。いろいろな事件やらなにやらを解決して、陽葵が本当の体に戻って一週間。
もちろん、彼女が本当の体に戻る際にも騒動はあったのだが、今は省略してしまうことにして。「槙が演じていた陽葵を演じる陽葵」などという、ちょっとおかしなことになっていることに目をつぶれば、それぞれが別人として存在することができるようになった、物語のエピローグみたいな現在の中で、陽葵は俺が用意しておいたクッキーを齧る。
といっても、困っているのは対俺のみで、それ以外は何も考えずに接したところで違和感をもたれることはないというのだから、彼による絢瀬陽葵の演技は本当に完璧だったのだろう。たまに会っていたはずの両親にも、ちょっと雰囲気が変わったと言われただけで怪しまれなかったというのだからさすがだ。
これは、それだけ槙を動揺させることができたと喜ぶべきか、悪いことをしたと謝るべきか。なんとも判断がつかなくて、俺はお詫びのような気持ちで、陽葵の皿にクッキーを追加した。
「すまないな。そのせいで構ってもらうことになって」
「別にいいです、それは。先輩と遊ぶの楽しそうだなって思って見てたし。改めて、先輩から槙のこと聞くの、楽しいから」
みんな陽葵の話しかしないんだもん。
そんな、彼が頑張って当然のことにした事実を寂しそうに言いながら、絢瀬陽葵は俺がいつも可愛がっていた後輩とは少し違う笑顔で笑った。
☆
「陽葵が先輩の話いっぱいする……」
ぐりぐりと、背中に頭を擦りつけてくる絢瀬をあやしながら、すっかり使い慣れた姫野家の料理器具を使って夕飯の準備をしていく。
今日はハンバーグだ。雇い主である梢さんのリクエストである。
その間ずっと背中にくっついている絢瀬は、まあちょっとだけ邪魔ではあるけれど、俺にとってはサービスタイムのようなものなので、当然振り払ったりはしない。そもそも彼はこの家の家事代行アルバイトで台所に立つと必ずこうして引っ付いてきていたので、もう今さらだ。
もともと彼は人が台所に立つとずっと後ろをついて回る習性があるらしいし、危ない作業をしているわけでもないのでそのままだ。……以前までと違って、髪の毛がとても伸びてしまったから、引っ掛けてしまわないか、心配なのだけれど。今は食材に触れているから、彼の髪を結うことはできない。
かつて。自分の命を繋いだせいでいなくなってしまった絢瀬陽葵の代わりに、「絢瀬陽葵」として生きて、魔法少女としてこの島に夢を振りまいていた姫野槙は、彼女に体と名前を返す過程で自分が事実上死んでしまうことも覚悟していたらしいけれど。他の誰でもない陽葵の奮闘により、これまた新しい形で、まだそこに存在していた。
……といっても、姿かたちは魔法少女として島を賑わせている時のものなので、俺としては服装くらいしか違いがわからなかったりするのだけれど。
かつて、「絢瀬陽葵」を演じていた少年は、今、「魔法少女」と呼ばれる少女の体で生きている。
男の子に戻れなかった、姫野槙本人の姿に戻れなかった、という意味では、間違いなく五年前の状態に戻ることはできなかったのだけれど。姫野槙の体はとっくに死んでしまっているし、陽葵と槙の両方が同時に存在できるという意味では、間違いなく彼が望んだエンディングになるのだろう。
いったいどうしてそうなったのかは、正直俺は理解していない。彼の姉であり魔法少女の一番の協力者である姫野梢さんが説明してくれたけれど、彼女はやたらとひねくれた言い方をしたり、わざと本筋から外れた話に脱線させたり、そもそも途中から飽きて適当に喋る悪癖があるので、凡人の俺にはさっぱり理解できなかったのだ。
かろうじて、「絢瀬陽葵」と「魔法少女」はもともと別の体が入れ替わる形で変身しているだけだというサイクルを利用して、特に今現在生きているわけでも誰かの魂が入っているわけでもない「魔法少女」の方の体を借りることにした、というのはわかったけれど。いったいどうやって、その体を持ってきたのかは、わからない。
けれど、姫野槙が……今は、いろいろな事情を考慮して、絢瀬槙と名乗っている絢瀬が。「もう五年も女の子してたからこっちのが慣れちゃったし別にいいよ」とあっさり受け入れて、むしろ、陽葵とお揃いコーデとかできる、なんてうきうきしているので、それ以上何かを言うことはやめた。
もともと男女の差を意識していなかったようであるし、こういうのは人それぞれだ。むしろ、「陽葵とお揃いにしたいから」と言って髪を結ってほしいと言ってきたりするようになって、こちらとしても非常に役得なのでこの方が都合がいい。
あえて問題をあげるなら、これまで絢瀬が培ってきた陽葵としての日常が、どうしても俺と陽葵の接触を増やしてしまうがゆえに、絢瀬が拗ねている、ということだろうか。
堂々と拗ねているところも可愛いので俺としてはやっぱり問題ないけれど。
「絢瀬に構っていた時と同じように陽葵のことも構っているから、当然だな」
「しかも陽葵のこと陽葵って呼ぶし……」
「君のことを名前で呼んだら嫌がるから」
う、と言葉に詰まらせる絢瀬は、俺が槙と呼ぶと非常に嫌がる自覚があるのだろう。
彼を絢瀬と呼ばざるをえない都合上、どうしても陽葵のことは名前で呼ぶことになる。それでこうして拗ねるのだから、非常に複雑怪奇だ。
照れている、とか。意識している、とかなら、嬉しいけれど。どうにも読み切れない。人を観察するのは得意だし、その結果絢瀬の秘密も何もかも探り当てたわけなのだけれど。今、彼が何を思って名前を呼ばせてくれないのかは、全然わからない。
何かと警戒されていた以前と比べて、こうして堂々とくっついてきてくれることが増えたから、ぼろが出ないように警戒する相手から、甘えてもいい相手までは昇格したのだとは思うけれど。名前だけは呼ばせてくれないので、ちょっと悔しい気持ちもある。もちろん、表情には出ないけれど。
「……振り回したもの勝ちなんだそうです」
「何が?」
ぽつりと。呟かれた声を聞きながら、フライパンに油を引く。
ある程度あたためてから、形を整えたハンバーグの種をのせて、じゅわ〜っと響く肉の焼ける音の中から彼の声を聞き分けようとみみをすませていれば、やがて腕と腰の隙間にするりと頭を潜り込ませてきて、不貞腐れたようにつぶやいた。
「だから、せん……秋也さんが私に振り回されてるなーって思うまでは、名前呼ばれたくないんですよ」
その言葉の意味は、やっぱりよくわからない。
どうして振り回されていると思うまでは名前を呼ばれたくないのだろう。そもそも、振り回した者は何に勝つのだろう。
わからない。が、それを聞くどころの心境ではないというのも事実で。急に言葉が上手に出てこなくなって、俺はただ、じっとハンバーグを見つめる。
「そうか」
「はい」
「すでに振り回されていると思うのですが」
「顔真っ赤ですもんね」
俺の表情はなかなか変わらないけれど、顔色は結構簡単に変わる。だから指摘された通り、今の俺の顔は真っ赤だろう。
だって、絢瀬に名前を呼ばれるのは、初めてだ。先輩、以外の呼ばれ方をするのは初めてで、それどころじゃない。
本当に、俺の恋心はもう十分に振り回されていると思うのだけれど。
彼が満足するまでは名前も呼ばせてもらえないらしいので、これからもせいいっぱい振り回されるしかないらしい。
おそろしい魔法少女だ、とからかいながら、ハンバーグをひっくり返した。