恋する獣と飛ばない小鳥
まずは、本日の物語の主人公である、私の自己紹介をしよう。
名前はリュミエール。リュミエール・ベースティア。年齢は百年と少し。寿命五百年程度の種族の女性は、百歳を超えると年齢をぼかす傾向があるとのことなので、私もぼかさせてもらう。獣族の中でもそれなりに由緒正しい犬系の家に生まれた長女で、家族構成は妹が三人と弟が一人。実家暮らしで家族仲は悪くない方。今は魔科学研究所でとあるチームのリーダーを勤めている。
長を任されるくらいなのだから、仕事ぶりはそれなりに優秀だ。自分で言うと自慢のようで少し気恥ずかしい気もするけれど、少なくとも勉学や仕事の能力などで大きく怒られたことはないから事実だと思う。体は健康だし魔力量も優秀な方で運動も苦手ではない。顔が似てる末の妹がよく可愛がられているのを見るに、顔もいいらしい。しかも背も高いから羨ましいとよく言われる。趣味はとくにない。嫌いなものも特に思いつかない。
恋愛については、たぶん。
今、君に初めてしているところ。
「それ、口説いてるつもりなのかな」
「そう。口説いているつもり」
くすくす。少し困ったように笑う姿が可愛らしくて、自然と頬が緩むのがわかる。
彼女のお気に入りの喫茶店で、こうして二人対面に座って話しているだけでも、ずっと私の心は浮足立っていたのに。また、そわりそわりと落ち着かなくなってくる私を見つめる彼女こそ、私の好きな人、だ。
先ほどまで食べていたケーキはもうなくなって、紅茶の湯気もすっかり消えて。それでもまだ別れがたくて始めた私の「口説き話」を聞きながら彼女は、フィルクーリオは、こてりと愛らしく首を傾げた。
「でもなあ。リュミちゃんのそれは頭打っただけだからなあ」
他の人とぶつかったら同じようにころっといきそう、という言葉に、私は少しだけ拗ねた表情を浮かべる。確かに彼女と初めて出会った時、翼を持つ種族なのに、空から落ちてきた彼女を抱きとめようとして強く頭を打った時から、彼女の気持ちもわかる。
でも残念ながら、抱きとめる前に見たフィルクーリオがあんまり可愛くて、あんまり綺麗で、驚いてしまってから抱きとめ損ねたのだ。あれはきっと、一目惚れ、だったのだ。だから、頭を打ったから恋をしたわけではないのだ。
でも「これは本当の気持ちだ」と伝えるのは難しいこともわかっている。この衝撃を覚えたのは私であって、彼女ではないから。私はどうにも己の感情の変化に疎くて、いつも世界がよそよそしくて、他人にどれだけ説明されても大きな感情の動きなんてわからなかった。だから相手の中に存在しないものを説明するのはとても難しいことを、経験的に知っている。
でも本当に、私は衝撃的に恋をしたのだ。
彼女の笑顔を見た瞬間、すごく。胸が、どきどきして。体温が上がっていく感じがして、叫び出したいような、泣いてしまいたいような、大笑いしたいような、よくわからない感情が一気に溢れてきて。どうしたらいいのかわからなくて、困惑しながら恋をしたのだ。
するりと手を伸ばして、フィルクーリオの小さな手を掬い取る。私の手の中にすっぽりと納まってしまうくらいに小さなそれは愛らしくて、どきどきと心臓が騒ぎ出す。今にも離してしまいたいような、もっと握っていたいような。いろんな気持ちがこみあげてくるのを自覚しながら、私は少しだけ身を乗り出して、その手を己の頬に触れさせるように引き寄せた。
「いいよ、勘違いでも。頭打ったせいでも、なんでも。今の私がフィルクーリオのことを愛しくてたまらないほど大好きだってことは、事実だから」
そう、うっとりと微笑んで伝えれば、さっと頬を赤らめるのが見える。そのまますぐに顔ごと視線をそらす様子がこれまた可愛らしくて、私はそっと彼女の手の甲を撫でた。
「顔がいいんだよね……」
「意識したことはなかったけど、君が気に入ってくれる顔で生まれてよかったよ」
「うん、すっごく美人さんだよ。それじゃあそろそろ行こうか」
もうお話はおしまい、と立ち上がるフィルクーリオは、残念なことに私の告白を受け止めてくれる気が今はないらしい。仕方ない。まだまだチャンスはあるし、これからも頑張ろう。そう自分を納得させて、名残惜しいが素直に手を離した。
本当はもっと話していたかったし、一緒に過ごしたいのだけれど。彼女は私より頭二つ近く小柄だけど、私より百年くらいは年上だし、この世界において唯一「王」を名乗る竜の王宮勤めのメイドという、名誉ある仕事をしているのだ。礼儀にもそれなりに厳しい彼女を、あんまりわがままを言って困らせて、子供みたいだなと思われたくはない。わがままはここぞという時に使うんだぞ、と妹も言っていた。むしろそういう相手こそ甘やかしたいよねと言っていたのは弟だったと思う。
確かにフィルクーリオが私に甘えてくれたらすごく可愛いな……と思いながら続いて立ち上がろうとすると、それより先に彼女が私の前に回りこんでくるのが見えた。何かあったのだろうかと首を傾げて待てば、彼女はこつん、と額をくっつけてきた。
「好きって言われるの、ちょっと照れちゃうけど……そうやって無理強いはしてこないとこ、優しくて好きだよ」
そう、密やかな声でささやかれて。ぶわり。一気に体温が上がって、頭上で耳がぴんっと伸びるのがわかった。
えへへ、とはにかんだ後に何か言ったような気がするけれど、もうそれが耳に入らない。だって、好き、って言った。好きな人に好きと言ってもらえた。それだけでこんなに胸がはち切れそうなくらいに満たされて、体が熱くなって、涙が出そうになるなんて、知らなかった。体中が震えるほどにあふれ出るこの感情をどうすればいいのか知らない。わからない。
ただ、ただ。私は必死になって彼女の手を握ると、そのままぼろりと零れる涙と同じように言葉を落とした。
「けっ……結婚しよう!」
「どうして? 後半までちゃんと聞いた?」
「わかった結婚を前提としたお付き合いをしよう」
「聞いてないね? 最後にちゃんと「お友達として」って言ったの、聞いてないね?」
はあ、とため息を吐く彼女もまた可愛らしい。それに、呆れたという態度をしても、フィルクーリオの手を握りしめた手を振り払ったりしないから、私は先ほどの言葉の撤回もしないし、さらに指をからませる、だなんて調子に乗った行動に出てしまうのだ。
恋は盲目。恋は衝撃。恋は麻薬。正常な判断を失わせるものだと言われる通り、私はフィルクーリオだけを視界に収めながら会計へと向かった。
2022年1月執筆