「あ、名字さん!」
移動教室で3年生の教室の前を通ったら、よく知っている声に呼び止められた。よく知っている声なんだけど、振り返って見てみると誰ですかあなたは、ってくらいキラキラした笑顔の慶ちゃんがにこやかに手を振っていた。いや、ほんとに誰なんですかあなた。性格が原型をとどめてないじゃないですか。
「慶ちゃん、いつも言ってるけどきもちわるいよ」
「そういう名字さんはいつも辛辣だよね」
「だって私も一応幼馴染なんだし、慶ちゃんの性格くらい知ってるもん」
本当は邪悪な性格だよね、と言おうとしたけどものすごく睨まれたから空気を読んでやめた。慶ちゃんと幼馴染でいて、真っ先に覚えたのがこの空気を読んで口を閉じるということだ。触らぬ神に祟りはない。素直に黙った私に満足そうにした慶ちゃんに、せめてもの抵抗で頬を膨らませてみたけど無視された。
「名字さん、今日もしかして放課後暇かな?」
「ううん。今日は見たいドラマあるから早く帰るんだー」
「そっか!良かった、暇なんだね!」
「待って慶ちゃん聞いてた?わたし今日暇じゃない」
「いやー、今日購買部にスポーツドリンクが入荷しなくてさ…外まで買いに行ってる時間ないし困ってたんだ…正人が」
「う…卑怯だ慶ちゃん!正人くんの名前出すのはずるだよ!」
「だって正人困ってたし…カバディやる時間が減るって泣きそうな顔してたなあ」
「嘘でしょ!正人くんがそんなことで泣くわけ…いや、泣く…かな…?どうかな…」
*正人くんのことだからもしかして本当に泣いてるかもしれない。昔からカバディのこととなるととてもまっすぐだから、1分でもカバディやる時間が減るならそれはもしかして泣いてるかもしれない…。正人くんには泣いて欲しくないなあ…。多少闇が垣間見えてても楽しそうにカバディやっててほしい。
慶ちゃんがいつの間にかニヤニヤ顔になってる。むかつく。
「わかったよ!でも別に慶ちゃんのお願い聞くとかじゃないです〜正人くんが泣いたらやだからです〜」
「わかったわかった。じゃあ適当に10本くらいよろしくね」
「多すぎでしょ?!待って、やっぱなしなし!」
「あ、名字さん、正人来たよ」
「また嘘でしょ!ごまかそうとしてるでしょ!」
「名前、こんなとこでどうしたの?何ごまかすの?」
「まっ、正人くん!」
「慶〜あんまり名前いじめちゃダメだよ」
いつの間に後ろに来たのか知らないけど、正人くんがよしよしと慰めるように頭を撫でてくれたから、それだけで100本くらいスポーツドリンク差し入れたい気持ちに切り替わる。すき。昔からほんとうにめちゃくちゃすき。だって、圧倒的に優しいし。私が慶ちゃんにこうしていじめられていると必ず助けに来てくれて頭を撫でてくれる。
だいじょうぶ〜?と目を合わせるように屈んでくれるところも、繊細なまつげも、昨日より若干濃くなったクマもすき。
「正人くん、今日スポーツドリンク持って部活行くね!慶ちゃんから購買にないって聞いて困ってるかなって」
「え、いいの?助かるけど、名前も忙しいんじゃないの?」
「ぜんぜん!やることなさすぎて帰ったら天井でも見てようかなって思ってたから!」
「天井?!」
「へ〜名字さんそんなに暇だったんだ」
「慶ちゃんうるさいです。わたしは暇です。それが何か?」
「いや別に?今日名字さんの好きなドラマやるんじゃないかな〜?と思って?」
「ニュースしか見たことないんで大丈夫です」
さらに何か余計なことを言いそうな慶ちゃんを必死に視線で牽制していたけど、正人くんが「でも、放課後にまた名前に会えるのは嬉しいなあ」なんて本当に嬉しそうに言ってくれたからその幸せを噛み締める方に労力を使おう。隠す気もなくニヤニヤし始めた慶ちゃんをそっと目線の外へ追い出した。
△▼△
旧体育館の周りはあんまり人がいなくて少しこわい。早く買ってきたもの置きたくて足早に体育館に近づくと、まばらだけど人の気配が感じられてほっとする。
邪魔にならないようにそっと扉を開けて中を覗くと、ちょうどミニゲームをやっているところだった。同じクラスの水澄くんと伊達くんの前に、ものすごくこわい顔をして笑う正人くんがゆらゆらと揺れている。私はほんのお遊びでしかカバディやったことないけど、あれこわいよね、わかるよ。昔わたしは少し泣いたよ。
「あ、ストラグルされちゃった」
頼りなげに揺れていた正人くんがいつの間にか伊達くんと水澄くんの真ん前にいて、慌てた二人が正人くんを捕まえようとしたけど、指先が服を掠めただけだった。振り返った正人くんはこどもみたいに嬉しそうに笑っている。誰が見たって、本当に心底カバディが好きなんだとわかる。その存在は大きすぎて、きっと誰も入り込めない。じわじわ悲しいのと悔しいのが混ざったような気持ちになってくる。正人くんがカバディやってるところを見るといつもこうだ。嫉妬する対象がカバディとか虚しいにもほどがある。
これ以上打ちのめされる前に帰りたくて、データでも取っているのか、みんなと少し離れたところにいる慶ちゃんにそっと手を振る。学校でのキラキラはどこにいったのか、傍若無人な表情のいつも通りの慶ちゃん。
「ああ悪いな、名前。もう少ししたら休憩だから待ってるか?」
「ううん。わたしもう帰る」
「久しぶりにお前がカバディ見にくるって嬉しそうにしてたぞ」
「み、見たいニュースあるから帰る」
「ニュースくらい俺が後で教えてやる」
「い、いいよ…だって慶ちゃん知らないような国のニュースとかも教えてくるからなんか混乱するもん。あ、また試合始まったよ」
何か言いたそうな慶ちゃんに、バイバイ!と手を振って踵を返す。特に引き止められなかったのは、わたしの考えてることなんか慶ちゃんには全部お見通しだからなんだろう。恋のライバルがカバディで、全く敵う見込みがなくて嫉妬ばかりしてるとか、できればわかられたくなかったけど。涙が滲みそうだったから、思い切り目を瞑る。目を開けたら、きっとこんな暗い気持ちじゃなくて、正人くんの好きなカバディを好きな私になれる。大丈夫。カバディ好き。カバディ超すき…。わたしはカバディを愛せる…。
「あ!名前いた!」
慌てたような正人くんの声がしたと思ったら、もうわたしの目の前にはやっぱり心配そうな顔の正人くんが立っていた。え、いつの間に。ていうかカバディは?もしかしてわたしが帰るの見て、カバディ中断してきてくれたんだろうか…?え…うそでしょ…。うれしい…。
「ま、正人くんカバディは?」
「今休憩中だから!なんか、名前が部活見てられないくらいお腹壊してトイレ探してるって慶が!」
「え?!」
「大丈夫?!こっちあんまり来ないからわかんないよね、今トイレ案内するからね!」
「え、待って、なにそれ…慶ちゃんなんてこと言ってるの…」
使命感に溢れたような正人くんに違うなんてとても言えない。わたしはカバディのことは好きになれるかもしれないけど、慶ちゃんだけはきっと、一生、嫌い!