前を



「おや名前さん、今日もまた一段と辛気臭い顔ですね」
「おはよう、名字さん。具合悪いの?大丈夫かな?」
「ぅえっ?!えっ、て、天祥院先輩?!日々樹先輩?!えっ、うわ」

学校に向かっている途中に、突然両側から日々樹先輩と天祥院先輩が顔を覗き込んできたからびっくりしすぎて思わずこけた。昨日の出来事を反芻しながら翠くんみたいに死にたい死にたいって歩いていたのに、いきなりこんな美しい顔がふたつもあったら誰だって転ぶ。
荷物を投げ出して転んだ私を、日々樹先輩はお腹を抱えて笑っているし、天祥院先輩も「渉の言う通り名字さんっておもしろい人だね」なんてニッコリ微笑んでいるから本当にいますぐ死にたくなる。

「ねえ名字さん、今度僕の紅茶部に遊びにおいでよ。美味しいお菓子をあげるから」
「おや英智、もしかしてまた名前さんを今回みたいにびっくりさせる気ですか?」
「あは、ダメだよ言っちゃ。だって名字さんって反応がおもしろいから」
「そうでしょうそうでしょう!こんなに大きく反応してくれる人はそうそういませんよ英智…そのお茶の席には是非私も出席したいですね」
「もちろん。君が来てくれるなんて嬉しいな、とびきりの紅茶を出そう」
「楽しみですねえ」
「ねえ、名字さんはいつが暇なの?」

スケジュール帳を取り出した天祥院先輩に、立ち上がる機会を逃した私は地面に這いつくばったまま先の予定を思い出す。やることはたくさんあるし忙しいんだけど、なんだか前よりはぜんぜん忙しくなんかない気がする。だって、もう、プロデュースの合間につむぎ先輩を探し回ったり、何かと理由をつけて放課後に図書室行ったりしなくてもいいんだから。

「あの、天祥院先輩…いつが暇かと聞かれるとわりといつも暇なのですが、驚かされるのわかってるお茶会には行きにくいというか…」
「大丈夫だよ、驚かせないから」
「えええ…その笑顔信じにくい…」
「おや英智、疑われていますよ」
「え、心外だなあ」
「い、いや!疑っているわけでは!決して!すいません!」
「ねえ渉、なんか僕怖がられてる?」
「名前さんはfineには関わりませんし萎縮してしまっているのでは?ほら、英智はあまり学校にいませんし」
「それは仕方ないことだけど…ねえ名字さん、親睦を深めるためにも今度紅茶部においで。ね?」
「え、えええ」

どうしよう、絶対にそのお茶会で無事に帰れる気がしない。蓮巳先輩がいてくれたらまだかばってくれそうだけど蓮巳先輩って確か弓道部だったはずだし。しののんを巻き込むのなんてもっとかわいそうだし。そういえば紅茶部ってりつくんもいる…。
どんなサプライズをするか嬉々として話し始める二人に、何かを言う気もなくなっていく。じわじわ痛み始める膝と、昨日の自分と、つむぎ先輩のことがぜんぶ混ざって、翠くんじゃないけどほんと鬱で死にたくなる。昨日のことはほんとうはぼんやりとしか覚えていない。ずうっと昨日のことを反芻してるけど、わたしが勢いに任せて好きだって言ってしまったことと、つむぎ先輩もわたしのことを好きだって言ってくれたことと、わたしがやっぱり好きなのかわからないって言った時の、安心したような穏やかな笑顔。

「えっ、名前ちゃん?!」

後ろからびっくりしたような声でわたしを呼ぶ人がいて、走り寄ってきたと思ったら腕を掴まれて立たされた。聞きなれた声。最近はずっとその声を追いかけていたからすぐわかる。でもどんな顔をしていいのかわからない。どうしよう。

「おはよう、つむぎ」
「おはようございます、英智くんに日々樹くん。それで、ええと、なんで名前ちゃんは地面に座り込んで…?ああ、鞄も放り出しちゃって…」
「ああ、そういえば転んだ時のままでしたね」
「えっ名前ちゃん転んじゃったんですか?大丈夫ですか?女の子なんだから気をつけなきゃダメですよ…」
「まあ僕たちが驚かしてしまったんだけど…。名字さん、一応病院に行くかい?僕がお世話になってる病院なら電話したらすぐ来てくれるから」
「いやいや英智くん、転んだだけで病院はいらないと思いますよ〜」
「そうですね、では、先代さんが保健室に連れて行ってあげては?」
「俺なんかでよければ構いませんよ」
「よかったですねえ、名前さん」

日々樹先輩のきれいなすみれ色の目が、探るように私を見ている。勘のいい先輩のことだからきっともう全部分かってる。なんだかんだ言って人の機微には敏感な人だし。
ほら言ったでしょうとばかりに持ち上げられた口元に顔が一気に熱くなった。死んだみたいに凪いでいた感情からいまさら恥ずかしさが湧き上がってくる。日々樹先輩の忠告も聞かずにいろんなことを後回しにして、きちんと知りもしないのにつむぎ先輩に好きだと言って、知ってみたらなんだか好きでいるのが怖くなって、挙げ句の果てにつむぎ先輩を傷つけて。そう、恥ずかしいんだ。自分が恥ずかしい。つむぎ先輩を傷つけた自分がとてもゆるせない。こんなのだめだ。だめに決まっている!

「つ、つむぎ先輩!」
「えっ、はい、どうしたんですか?そんなに怖い顔して…。あっ俺なんかに保健室ついてこられたくなかったですか?!そうですよね、朝で人いっぱいいますし並んで歩いてるとこなんて見られたくないですよね?!すいません!」
「膝が割れそうに痛いのでぜひ保健室連れてってください!」
「えっそんなに?!その割にはしっかり立ててますけど…?」
「これはたぶんもう割れてます!保健室に行きたいです!いきましょう!」

つむぎ先輩のブレザーの裾をつかんで、保健室に向かう。後ろから日々樹先輩の笑い声が聞こえる。