困らせる


「え…、り、理鶯?」
「名前、やっと帰ったのか」
「え、本物?の理鶯?じゃないよね?」

仕事から家に帰ると、玄関の前で壁にもたれて座り込む理鶯がいたから仕事で疲れすぎて見た幻覚だと思った。今日中とか無理でしょ?!っていう膨大な書類を打ち込みながら、理鶯げんきかな〜最近会ってないな〜会いたいな〜なんてずっと現実逃避的に考えていたから、ついに幻覚まで見たってなにもおかしくない。
立ち上がって伸びをする理鶯のお腹をちょんとつついてみたけどいつも通りめちゃくちゃ硬かった。こ、これは…!この理鶯は…!

「本物だあ…!」
「さっきから何を言ってるんだ?」
「わ〜理鶯どうしたの?言ってくれれば仕事早く終わらせたのに!」
「言えば早く終わるのか?」
「う…まあ3日くらい前に言ってくれれば…」
「無理するな。今日は買い出しのついでに寄っただけだ」

そう言って理鶯がガサガサとスーパーのビニール袋を持ち上げる。何でも現地調達で済ませる理鶯が買い物なんて珍しいなと思ったけど、うっすら見えた袋の中身はどうやら香辛料みたいだった。小瓶のぶつかり合うくすぐったい音が、静かな廊下にそっと響く。
理鶯は満足そうだけど、せっかく来たんだからもっといろいろ買えばいいのにと思うってしまう。自分の大切な人にはおいしいものを食べていてほしい。いや、ヘビとかカラスが美味しくないとかそういうわけではなく。

「ね〜理鶯、今日泊まってくよね?森では食べれないようなご飯作るよ!」
「いや、有難いがついでに寄っただけだからな。今日は帰ることにする」
「え…帰るって…今から?せっかく会えたのに…?あ、幻聴?」
「お前はなんでそうすぐに現実から目を背ける。幻聴ではない。小官は帰ってキャンプの様子も確認しなければいけないし、仕掛けた罠も見に行かなければいけないんだ」
「え、明日じゃダメなの…?いや、今から理鶯のキャンプ行ったら着くの明日だけど…」
「罠にかかった獲物をそのまま放置すると、ストレスで肉がまずくなる。急いで帰らなければ」

もともとこんなに遅くなるつもりじゃなかったからな、と表情一つ変えずに言った理鶯に、浮き立っていた心がしぼんでなんだかものすごくやるせなくなる。久しぶりに会えて嬉しいのはわたしだけなんだろうかっていう不安とか、久しぶりに会ったんだからなんでもっと一緒にいたいとか思ってくれないのっていう怒りとか、ついででも会いに来てくれて、体が固まるまで待っててくれて嬉しいとかそういうのが全部混ざって、結局何が言いたいのかわからなくなってしまう。理鶯を困らせたいわけじゃないし、信念を持って生きている理鶯にサバイバル生活やめてなんて言いたいわけじゃない。でも、なんか、これは相当こたえた。食材の鮮度が落ちるから帰るって。あんまりだと思う。
理鶯がギョッとしたように目を見開いたのがじわっと滲む視界の向こうに見えた。理鶯の表情が崩れるなんて貴重な瞬間、はっきり見られなかったのが惜しい。ていうか、もしかしたら最後かもしれない。こんな風に泣く女なんていちばん嫌いそうだし。うっとうしいだろうし。別れの原因が自分より食材の鮮度を心配されたからだなんて思わなかったけど。

「理鶯のバカ!どうせ理鶯は私の幻覚とか見ないでしょ!」
「お前はいきなり何を言ってるんだ…?見るわけないだろう、ほら、泣くな」
「わたしは理鶯の幻覚とか見ますけど?!だってぜんぜん会えないし電話たまにしか出ないしメール見ないしたまに会えたと思ったら三秒で帰っちゃうし!」
「三秒?もう少しいたように思うが」
「そういうことじゃない!」
「じゃあどういうことなんだ。小官にどうしてほしい」
「ど、どうしてほしいって…」

理鶯の顔はもう驚いてもいなかったし、迷惑そうでも困ってもいなかった。ただただ静かなその目で見つめられて、さっきまでの勢いは途端になくなってしまう。落ち着いたと同時に、理鶯とこれでお別れすることになるという不安で、今度はさっきの比じゃないくらいに涙が溢れてきた。理鶯は表情一つ変えずにわたしの言葉を待っててくれている。

「り、りお…ごめん…やっぱり別れるのはいやです…ごめんなさい…」
「ああ、わかった。わかったが、何がやっぱりなんだ?お前は話を自分の中でややこしくするからわかりにくい」
「だってこんな、理鶯の邪魔するみたいな女、やでしょ…なんだこいつめんどくさいなもういいや別れよって、お、思ったでしょ…」
「そんなこと小官は思わない」
「う、うそだあ」
「そんなこと思ったりはしないが、災害時には今のように混乱せず冷静に対処できるようにしておいたほうがいいとは思った」
「え、そんなこと考えてたの…」
「お前の性格だと真っ先に死にそうだからな。小官はいつもお前が生き延びていくためにどうすればいいか考えている」

もし理鶯のいうとおり災害が起こったら、たぶん理鶯はそばにいないし理鶯を探してるうちにわたしも死んじゃう気はする。
わたしたちは、きっととても変わった付き合い方をしてる。理鶯はきっとわたしを大事に思ってくれてるんだろうけど、それでももっと大事な自分の信念があってそのために生きてる。わたしがいるとかいないとか、その信念の前にはとても些細なものだしそれでもわたしはそんな理鶯が好きでしょうがない。でもこうやってたまにどうしようもなく悲しくなってしまう。

「理鶯さん」
「なんだ」
「じゃあ、チューしてください」

またギョッとした顔をして理鶯が一歩後ずさったから逃がさないとばかりにその身に抱きつく。かたいその迷彩柄の服に顔を押し当てると、少しホコリっぽいような匂いが鼻についた。森からここまで来たのなら大変だったんだろうな。結構待っててくれたみたいだし。
おい離れろ、とやんわりと肩を押し返されるけど、見上げたその顔は困っているのか怒っているのか焦っているのかなんともわかりにくい表情だったから、そのまま抱きつき続けることにする。なんだかちょっと楽しくなってきた。

「やだ。チューしてくれるまで離さない」
「何を言ってるんだ…」
「してくれたらとても不本意だけど帰って食材の鮮度を確かめてきていいよ」
「それとこれと何の関係があるんだ」
「だって幻覚じゃない理鶯ならせめてチューくらいしてお別れしないと」
「意味がわからん…」
「わがまま言ってごめんね、あと待っててくれてありがとう。久しぶりに会えたからすごく嬉しかった!泣いてごめんね!だからチューして!」
「何だその理屈は…」

本当にお前は…みたいなため息を吐いた理鶯だけど、背中に回された手はすごく慎重で優しかった。一瞬だけわたしを抱きしめた腕はすぐに離れて、今度は目元を理鶯の唇が掠っていく。瞬きのうちの出来事で、正直キスされたなんて全く思えなかったけど、至極疲れたような顔をしてる理鶯の耳が少しだけ赤くなってたから嬉しくなって笑ったら睨まれた。

「お返しにわたしからもしてあげる」
「いい、いらん。小官はもう帰る」
「照れてるの?」
「照れてなどいない」
「じゃあする!」

屈んでくれそうもなかったから首に手を回して飛びついたら、やっぱりギョッとした顔をした理鶯がわたしの顔を押し返したから鼻をぶつけた。痛い。痛いけど、それより、理鶯の手に鼻水なんかつけてないよね…?